勇者を殺すは。

松葉たけのこ

勇者を殺すは――。


 英雄を作り上げるものは何か――?


 魔物を穿つと決めた勇気か。

 殺した数が多ければ、それが勇気と認められるか。その勇気を見定めるのは一体誰なのだろう。

王様か、神様か。


 その責任の担い手は、誰か。




――――――――




「アポリネルさん。いらっしゃいますか」



 雨の中、一人の騎士公が一軒の家の扉を叩いた。

 巨大な屋敷から離れ、庭にぽつんと建てられた木造の家。

黒い花畑に囲まれた、小さな一軒家。


 ミリシャ・アピリネルなる女は、その家で暮らしていた。勇者の婚約者として知られた女。

 今は亡き、勇者の恋人だ。



「……何故、俺がこんな目に。ずぶ濡れだぞ」

「止めて下さい。バサバサしないで」

「全く、この女は。婚約者の葬儀にも出ないで、何をやっているのだか」



 扉を叩く騎士の横で、もう一人の騎士がボヤく。

 二人の騎士は戦時でもないのに、全身鎧のいわゆる正装を余儀なく着させられている。

勇者の葬儀に参列するには、正装が必要だった。

仕方のない事だ。


 だが、葬儀から着替える間もなく、ここまできたという事。

 この事は、仕方がないでは済ませられない。

それでは気が済まない。

けれども、騎士ならば冷静であるべきだ。

どう苛立っても、表面上は冷静を保つべき。



「その様な物言いはお控えください。ジアン卿」

「では、バシュレ卿はそう思わんか? 不届きな娘だとは」

「ミリシャ殿の事ならば、そうは思いません」



 バシュレと呼ばれた騎士。

 彼はジアンと呼ばれた騎士の言葉を否定する。

そして、ヘルメットを脱いで、雨水を拭った。


 バシュレは言葉を続ける。

 目線は、ヘルメットに落としたまま。



「婚約者とは言え、彼女の身分は低い。それに歳も若い。英雄の葬儀に参列すれば、後ろ指を指されるかもしれない。そこを思慮したのでしょう」

「ミリシャ嬢は勇者殿と同い年だろう。身分の事を言うなら、勇者だって庶民の生まれと聞く……」




 ジアンがヘルメットを床に置く。

 その瞳は、バシュレのモノへと問いかけている。



「それに――恋人は愛しき人を弔うものだ」



 ジアンがぶっきらぼうにそう言い放つ。

 それに対して、冷たい雨の中、バシュレは白い息を吐く。



「あのような政治の場に、あなたみたいに想う人はいませんよ……ジアン」



 勇者は少数の精鋭を引き連れ――魔王を倒した。

 そして、その帰路の途中、魔王軍残党の反撃に遭って死亡した。

バシュレ達後続の軍に伝え聞かされた事実。


 それが“真実”であるかどうか。


 王政は、庶民の生まれの勇者を疎ましく思っていたに違いない。表向き、彼に“勇者”という称号を与え、特権を誉めそやしても。

裏では、早く消えろ――と念じていたに違いない。


 しかして、魔王は人類の仇敵。

 勇者以上に消えて欲しい存在だ。

その存在に対抗できるのは勇者だけ。


 彼を王政は蔑ろに出来なかった。

 魔王が倒されるまでは。

その後に、勇者も死んでしまえば良い。

いかにも王政が考えそうな事だ。


 勇者の葬儀に参列した、政に関わる面々。

 王子に王女、教会の司教ども。

誰が“暗殺”に関わっていても驚かない。


 あの葬儀は、秘密を守る為の儀式に他ならない。

 いわゆる、政治の場だ。

バシュレはそう考えていた。

ジアンもきっと、そう。



「……今日は冷えるな。バシュレ」

「雨の夜は、いつもこうですよ。ジアン」



 バシュレとジアンは魔王軍と共に戦った。

 戦友に違いない関係だ。

けれど、平時に話す事は少なかった。


 二人は気まずさを覚える。

 耐えかねてか、ジアンが無駄話を始める。


 

「そういや、確か薬の知識に長けていただろう。こういう時に使える薬草とか、花の類かは知らんのか」

「花……と言うと?」

「例えば、この家を囲む黒い花だ。かじったら、体温が上がるとかはないか」

「止めたおいた方がいいですよ、ジアン。その花には死に纏わる噂がある」

「ああ、そう……」



 さらに、じめっと重くなる空気。

 その雰囲気から抜け出そうと、バシュレが扉をもう一度叩く。今度はかなり強く叩いた。

それが功を奏したのだろう。



「はい……今、参ります」



 家の中から、やっと聞こえた声。

 それに、バシュレとジアンは安堵する。

幾ばくも時が経たない内に、扉が開いた。



「どうぞ」



 扉の中に立つ、綺麗な女。

 首元をスカーフで隠しても尚、その白く透き通る肌は眩しく見える。

象牙の彫刻を思わせる顔、ガラス玉のような大きく青い瞳、太陽に流れる麦畑の様に輝く金髪。

それが人間ではなく、それを模した精巧な美術品であると言われても、バシュレは信じてしまうだろう。

質の良い生地の黒い服に身を包む彼女は、さながら出来の良い人形だ。


 そんな美女――ミリシャは、騎士二人を家に入れると鍵を閉めた。



「それで、ご用件は……?」

「その用件を話す前に――“これ”を」



 ジアンがテーブルの上に剣を置く。

 白く錆一つない、これまた美術品の様な長剣。



「これは……」

「はい。勇者バーノルド様の聖剣です」

「それを何故お持ちに?」

「勇者様の遺言でしてな。“自分が死したならば、この剣を最も愛した者に託してほしい”――と」



 ミリシャはその剣を眺め、目を細める。



「最も愛した者……」



 そして、彼女は剣から目を背けた。



「ならば……それは、私ではありません」



 冷たくそう言い放つ、ミリシャ。

 それにジアンは駆け寄る。



「何を仰る。あの勇者様を最後までお支えしていたのは、紛れもなく、貴殿への恋心だった」



 ジアンは声を震わせて、そう告げる。

 その声には、ある感情が載っていた。

英雄を支えようとしていた一兵士としての感情。

そんな自分でも届かなかった。

心の奥底まで支えていただろう恋人への羨望。



「あの民草達の希望――勇者様に寄り添って頂くなど、光栄余りある名誉だろうに」



 バシュレは言葉に詰まるジアンの肩に手を置く。

 それから、彼の言葉を続けた。



「聞く所によれば、勇者様は魔王軍の残党……――いや、“敵”と相対した時、一歩も引かなかったそうです……身動ぎ一つしなかった」

「それがどうしたというのです」

「敵に背を向ければ、騎士としての魂を失う」

「はい……?」

「この国で騎士道に準じる者なら、誰もが信じる掟です。勇者様もきっとそうだ」

「彼も……――」

「ええ。あなたを想って、最期まで戦い、崇高な魂を守り抜いた」



 ミリシャは身を震わせている。

 彼女も泣いているのか。

そう思って、バシュレは歩み寄る。


 そして、ジアンの騒然とした顔を目にした。



「ふ……ふふふ、あはははははははははははは」



 ジアンの目の前で笑っていた。

 その女――ミリシャが整った顔を歪ませて、唾を撒き散らし、声を枯らして笑い続ける。



「何を笑っている……何がおかしい!」

「ふふふ……だって、おかしいでしょう。全てが間違っているのですもの」



 スカーフを取り去り、ミリシャは目を見開く。



「あの人は、あなたの思うような勇者じゃないのです」



 スカーフ。

 その黒い布の下には、赤い痣があった。

何か金属で殴られたような痣だった。



「それは……」

「あの勇者様に殴られた跡です。傷です!」

「そんなはずは……――彼は民草の希望だ。清廉潔白の象徴だ」

「そうですね。あなた達はそう信じて疑わなかった。その妄信こそが彼を苦しめていたのです」



 ジアンが息を呑む。

 その目線が泳ぎ、机の上の聖剣に向く。

それに構わずと、ミリシャは言葉を続ける。



「彼は清廉な英雄を演じ続けた。けれども、彼自身はそれとかけ離れた人格をしていた。本来から、あまりに離れた英雄という人格を演じるストレスはどうしようもなかったのです。だから……」

「だから……?」

「だから、私を殴りました。彼は、酒を飲んでは殴った」



 バシュレが後退りする。

 目の前の世界が揺らぐ。

音を立てて、天地が崩れるような感覚がした。



「仲間の死にだって耐えられなかったのでしょうね。彼は繊細な人だったから。だから、自由に歪められる人形を欲していたのです。自由に壊せる玩具を」

「嘘だ……信じられない」

「所詮……あなた達は、希望としての彼しか知らないから」



 ミリシャは首を傾けていく。



「けれど、私にとっての彼は絶望そのもの。彼が街に帰って来るたび、恐怖を感じていました。私の家に来れば、彼は人知れず私を殴る……勇者が女を殴っているなんて、誰に言っても信じない。助けを求める事すら私には出来なかった」



 バシュレは、遂に膝から崩れ落ちる。



「だったら、帰って来ない方が良い――そう思いました。だから、花を“混ぜ込んだ”」



 騎士たちは思い出した。

 家を囲む黒い花について、バシュレが何を言ったのか。



「あの黒い花……あれには死に纏わる噂がある。あの花を贈られた者には死の呪いが付き纏う。そういう噂が」



 バシュレは起き上がりながら言う。


 火のない所に煙は立たない。

 噂と言うのがまことしやかに囁かれる。

そんな時は、大抵何かの原因がある。


 当然、その原因は“呪い”などではない。



「そんな噂が立った原因が何か……――ようやっと今、分かった」

「あら、何かしら……聞かせて下さる――?」



 バシュレは勇者を遠くから見た事があった。

 その装備も、遠目ながらに確認した。

彼は、皮の鞄を肌身離さず持っていた。

馬に掛ける事もせず、自分の腰に付けていた。


 あの鞄の中には、多分、“携帯食”が入っていたのだろう。

 婚約者が持たせた、弁当の一種。



「あの花には――毒があるのだな?」



 ミリシャは毒となり得る、黒い花を栽培していた。

 その目的はただ一つ。



「勇者様に、毒を盛ったのか……だから、あの方は敵の前で、身動ぎ一つ出来なくなった」



 遅効性の毒。

 その花の毒を、携帯食に混ぜ込んで、ミリシャは勇者に持たせた。

彼は決戦前にそれを食べたのだろう。


 その毒が撤退時に効き、その身体を麻痺させた。

 勇者は敵の前で怯まず、一歩も引かなかった……。

そういう事ではなく、一歩も動けなかったのだ。


 毒により、麻痺状態で――動けなかった。



「ミリシャ……貴様……何てことを……」



 呻くバシュレ。

 その手が腰の剣の柄に掛かる。



「それでどうするの……?」

「どうする……とは」

「私を連行するの」



 こういう犯罪の場合、まずは牢屋に連行する。

 罪人として衛兵に引き渡し、後に沙汰を下す。

そして、そんな事をすれば、全てが明るみに出てしまう。


 この女のした所業、勇者の苦悩、そして暴力を振るったという真実。


 世間にとっての彼は希望だ。

 魔王軍との戦いで疲弊した民草の最後の支え。

彼らの心の支えを――汚す訳にはいかない。



「ミリシャ・アピリネウル! 覚悟――ッ!」



 そう叫んで、刃を振り上げる男。

 それは、ジアンだった。

バシュレに成すすべは無かった。


 ミリシャは瞳を見開いて、床に転がる。

 糸の切れた人形の様に、転がった。

彼女は死んだ。

生き生きとした笑顔を浮かべたまま。



「ジ、ジアン卿……」



 荒い息で、辛うじて名を呼ぶ。

 ジアン公は呼ばれても返事をしない。

代わりに、テーブルを蹴倒した。



「盗賊の仕業に仕立てる。手を貸せ」

「ジアン……――ッ!」



 バシュレの叫び声に、ジアンは動きを止める。

 淡々とした手つきで、証拠を作り上げようとする動きを。



「分かっているだろう、バシュレ。俺達はこうするしかない」

「こうするって……どうするつもりか!」

「……決まっている」



 ジアンはバシュレの元に行き、その肩を掴んだ。

 血塗られた手がバシュレの鎧に跡を残す。



「俺達で――“英雄”を守るのだ」



 バシュレはそれ以上喋るのを止めた。

 言葉を止め、黙々とその勤めを果たした。

彼らには英雄が必要だ。


 だから――その“死”は仕方のない事だった。



 

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