蜜虫林檎

2121

花梨と武史と千成

「えっ浮気したの? じゃあ3Pしよう!」

 別れを切り出した彼女から想定の斜め上の提案をされた俺は、混乱しながらそういえばこういう奴だったなと昔のことを思い出していた。怪我をすれば「新しい血が出来るね」などと言うような、人数からあぶれれば「私と言う彼女がいるんだから一人で溢れることなど有り得ないが?」と謎の慰めをするような、根っからの謎のプラス思考女。そういうところが好きだったし、そんな思考を持ち合わせない俺には自身の底の浅さを突き付けられるようで嫌いなところでもあった。そう気付いたのは大分後になってからだったのだが。

 それにしたって、なんだその提案は。

 確かに別れ話をしたところでこの千成ちなりという女が泣くことは無いだろうとは思っていたが、「3Pしよう」と言われるのはあまりに想定外だった。

 大学生になりバイト代でなんとか新車で買った軽自動車のハンドルに突っ伏しながら俺は頭を抱えている。

 なんでなんだよ。

 お前はそれでいいのか?

「お前は、それで、いいのか?」

 確認を兼ねて思ったことをそのまま口にすると、千成は別れ話の最中には到底しないであろう爽やかな笑顔を向けた。

「そりゃあ提案者だからね!」

「いやそうじゃなくて、人として」

 思わず本音をそのまま言ってしまった。人としてというか、人としての在り方としてというか、それでいいのか?

「心外だな。私を一体なんだと思ってるんだよ。浮気したことを怒って幻滅して君を手放すような奴とでも思っていたのかい?」

「申し訳ないが多少は思っていたよ」

「想定外だ」

「それはこっちの台詞なんだよな」 

 ああ、けどこいつは俺が浮気をしたところで嫌いになんてならないんだなということに、安心と落胆を感じてしまうのだ。落胆は底の浅い自身に対して。浅くて浅はかで、なんて嫌なやつなんだろうと思い知らされる。だからこいつといるのは嫌なのだ。あまりに良い奴過ぎるから。

「君を――新杭しんくい武史たけしのことを好いている女性がもう一人いるなんてこんな稀有な状況を私が楽しまないわけないじゃないか! 存分に利用させてもらうよ」

 そんなことを千成は言う。

「利用する?」

 利用する? 利用するって言ったか?

「お前、一体何を」

「だから3Pだって」

「本音を言え」

「3Pしたい」

「堂々巡りだ」

 しかも本当に本音っぽい。良い奴ではあるが、それ以前にかなり変だし頭良いけど馬鹿なんだよなと改めて千成という人物のことを思う。付き合い始めた高校生のときからそうだった。

 なんなんだよお前はよ!?

 想定外過ぎることをお前は難なくやってのける。

 俺は強く頭を抱えた。頭痛までしそうな程だった。

「そういうのしたいタイプだっけか……?」

「人生で一度はやっておきたいだろう?」

「……この際だから怖いもの見たさで他にしたいことも聞いておこう」

「スワッピングとドラゴンカーセックス鑑賞」

「聞かなきゃよかった!! 叶えないからなそれは!?」

 なんなんだよドラゴンカーセックス鑑賞って。俺は検索なんてしないぞ。

「私の好奇心を甘く見ないでくれよ」

 誇らしげに胸を張る千成を見ながら、本当にこの女はいつだって自信満々なんだよなと変な信頼を感じている。

「私では何か物足りなかった?」

「……それは…………」

 口ごもっていると、車の中だから周りに人がいるわけでもないのに、千成は俺の耳に口を寄せる。

「新杭も良かっただろう? 私とのセックスは」

 耳に微かな吐息が掛かり、思わずびくりと身体が震えた。

「愛称も良かったと思うんだけど。その子と私を比べたら何か違った?」

 浮気相手とのセックスについて一番に思い出されるのは甘い匂いだ。香水なのかシャンプーなのか浮気相手本人の匂いなのかは判然としないが、女の子特有のずっと嗅いでいたくなるような甘い匂いがする。

 俺の下で甲高い矯声を上げてびくびくと震えた後にくたりと果てる女の子。体力が無くて仰向けのまま「気持ちいい……もうムリ……」と小さく呟く。

「女の子らしくて、可愛い」

「そうか。それは確かに私では満たしきることは難しそうだものな」

 ここで、悲しい顔をするのかと少しばかり驚いた。確かに女の子らしさというものはあまり無いタイプではあるが、それがこの千成にとってコンプレックスたり得たのかと。

 意外に思っていると、何かに納得したように千成は大きく頷いた。

「ならば無いものを学ぶという点でもいいことだ。3Pをしよう」

 あろうことか、そう続けた。 

「お前はそういうとこだぞ……」

 頭を抱えながら、どうにでもなれと俺は昨晩にも会っていた浮気相手に連絡を取る。さすがに『彼女が3Pしたいから会ってくれ』なんて送れないから、千成が浮気相手に直接会って提案してもらうことになった。だから俺は『彼女が会いたいらしい』と最低限を書いた。『そんなの絶対嫌だよ! 刺されるかも知れないじゃん!』と泣き顔の絵文字を添えて送ってきた浮気相手に「想定内な返事が返ってきて安心するな」なんてことを思ったが、そんなことを口にすれば千成にも浮気相手にも釘もとい包丁を刺されそうなので胸に秘めたままにしておく。



 浮気相手――花梨かりんという女は、同い年の女の子らしい女の子だった。

 部屋は白とピンクに統一されていて、部屋着はもこもこのジェラピケ。はにかむと笑窪が出来て、甘えるときはべったりと腕を絡ませて一段高い声で俺を誘惑する。人によってはあざといから受け付けないという人もいるのだろうが、俺は可愛いから好きだ。

 待ち合わせはチェーンの居酒屋で、後からやって来た花梨は真顔で口を引き結んでいる。

「千成さん、ですよね。私に会いたいなんて、何ですか?」

 刺々しく言い、花梨は警戒心を顕にする。そんな様子を意にも返さず、千成は丁寧に自己紹介した。

「初めまして、千成です。花梨さんですよね? お名前は聞いてます。ケンカしに来た訳じゃないから、落ち着いて」

「落ち着いてられませんよ。ケンカ以外にどんな用があれば浮気相手に会うんですか?」

 あるんだよなぁ……。俺からはとてもじゃないが、言わないが。

「浮気相手の花梨さんに会いたかったからなんだけど、そもそも武史はなんで浮気なんてしたんだ? 確かに花梨さんは可愛いから仕方ないかもしれないけど。花梨さんを好きになったの?」

「そう、だよ」

 この何事にも動じない千成という女を少しでも動揺させたい、乱したいと思っていたところもあった。それ以前に、こいつの側から離れたいと言う気持ちもあったのは確かだ。

「けど私のことを嫌いになった訳でも無いんだろう?」

 本当に千成という女は自信満々で、そういうところが好きで嫌いなんだと言いたくなる。

「私は武史のこと好きだよ」

 真っ直ぐに言う千成に、俺はもう真っ直ぐに返せない。浮気したから返せなくなったのではなく、とうの昔から返せなくなっていた。嫌いじゃないし、好きだとは言える。けれど自信満々に俺のことを好いてくれる千成に俺はこんなに真っ直ぐに好きを返せる自信がない。

「――俺自身の問題だから」

「じゃあ別れる必要ある?」

「俺は浮気をした」

「私は武史が浮気してても構わないよ。好きなのは変わり無いから」

「そんなのダメだ」

「ダメじゃないよ。私はそれでもいい。私が好きなのは武史で、武史は私も花梨さんも好き。その事実を私はそのまま飲み込むよ」

 謎の自信と包容力で包み込んでくるこいつから逃げたい気持ちになったのはいつからだったろうか。

「千成さんはそれでいいの?」

 花梨が口を挟んで来たから、困っていた俺はこの合間に息を吐く。

「いいよ。あっけど花梨ちゃんの意向もちゃんと聞くから安心してね。それより花梨ちゃん、会ってみたら可愛くてびっくりしちゃった。ネイルも可愛いし、肌も綺麗。後で化粧水とか何使ってるか聞いてもいい? それと髪も綺麗だよね。毎日結構時間かけてるんじゃない?」

「えっ分かる!?」

「隅々まで行き届いててすごいな。私はそんなにマメじゃないから真似できないや。花梨ちゃんの可愛さはその向上心があるからこそ尚更可愛く見えるんだね」

「えっ……ありがとう。嬉しい」

 花梨が目を伏せて、照れを隠しきれずに口許を綻ばせた。

「俺の浮気相手を口説くな!」

「えー」

「『えー』じゃないんだよ。なんで千成はいつもこう」

「ねぇ、だからさ」

 千成は花梨を褒めるときと変わらない声音で言う。

「三人で楽しいことしてみない?」

「楽しい、こと?」

「そう、楽しいこと」

 畳み掛けるように千成が言う。花梨はしばらく考えた後に、ピンクのリップを塗った唇を動かした。

「……分かんないけど」

 花梨が心を決めて、真っ直ぐな目を千成に向けた。

「千成さんとなら、する」

「じゃあこのままご飯食べたら行こうか」

 その後は他愛ない飲み会みたいに、三人でご飯を食べた。花梨はそんなにコミュニケーション能力が高い方ではないと思っていたが、千成とどこか波長が合ったようで楽しそうに打ち解けて喋っていて、居酒屋を出る頃にはお互いにタメ口で喋るようになっていた。

 千成が会計をしている間に、俺と花梨は車を取りに行くことになった。

 隣に並んで歩く花梨が、俺の腕に自分の腕を絡ませながら言う。

「良い人じゃん。千成さん」

「良い人だけど、変な人だろ?」

「変な人だけど、良い人だよ。なんであんなに良い人が彼女なのに私に浮気したの? 千成さん良い人だから武史の中での私が千成さんに勝てたなら嬉しいけど、なんか自信無くなってきちゃったな」

「花梨が可愛すぎたから、浮気した」

「それだけ?」

「……千成のああいう良い人なところが、嫌いだったんだ」

 素直にそう言うと、花梨は納得したように「ああ」とため息混じりに相槌を打つ。

「武史と私はそういうところ似てるもんね」

 本当は多分、別れるための口実が欲しかったのだ。千成以外からも好かれることが出来るという実感も欲しかった。だから千成とは性格の違う、花梨という可愛くて女の子らしくて自信の無い――俺に似たような女を落とした。

「そうやって俺のことを理解してくれるところも、花梨の好きなところだよ」

 良かった、と花梨は嬉しそうに頬を肩に擦り付けた。




 高速道路の近くのラブホテルへ入室する。三人で入るホテルは、なんだか変な感じだ。シャワーを順番に浴びバスローブを着て、なんとなく三人でベッドに座り込んだ。

 ……三人でなんて考えたこと無かったから、どうすれば良いのかが分からない。

「武史ってさ、結構筋肉あるんだよね」

 そんなことを思っていたら、助け船のように千成が言って俺の左腕を触ってくる。すると花梨も右腕をペタペタと触ってきた。……3P、悪くないかもしれない。

「分かるー! 初めて脱いだときちょっとびっくりしたもん」

「テニス部でサウスポーだったから、左右で腕の太さ違うんだよね」

 言いながら、千成が俺のバスローブを脱がせた。二人も脱いで「ほんとだ。腕の太さ全然違うね」と話しながら、俺の腕を肩を、胸を、触っている。

「花梨ちゃん、武史にはどんなことしたの?」

「武史はキスが好きだから、こうやってまず何度もちゅーします」

 唇と唇が重なって、微かに微笑んだ後また重なって、触れる度に俺は段々と高揚して互いの息が荒くなってくる。気持ちよくて俺は小さく開いた口に舌を滑り込ませて花梨を求めた。甘い匂いがする。女の子特有の、甘い匂い。花梨も欲しがるみたいに舌に絡み付いてきて、俺は満更ではない気分になる。

「武史はキス好きだよね。私も」

 花梨が名残惜しそうに離れて、今度は目をつぶった千成の顔が近付いた。唇が触れたまま、数十秒。息が止まるような長い時間を過ごせば唇の温度が同じになって溶け合うみたいで、心地良い。堪えきれなくなった俺が千成の唇を舐めると、舌を唇で食んでくる。

 千成は千成でいい匂いがする。女の子特有の甘い匂いではない、花梨が甘ったるい蜜ならば、千成は爽やかな果実のような甘さだ。

 そうして事は進んでいくが、いつもならば会話の無い行為にも三人いれば会話も進む。

「武史は着衣でするの好きだよね?」

「ストッキング破るのも好きだよね」

「花梨ちゃんもやられた? あれちょっと止めて欲しいよね。安物とはいえ勿体無いなって思っちゃう」

「分かる。その瞬間ちょっと正気に戻っちゃうんだ」

「ストッキング買ってくれるけどさ、なんかね?」

「ダメ出しを俺の前でするの止めてくれよ」

 二人は楽しげに笑っていて、女子会に迷い込んだみたいだとちょっと思う。

「ねぇ花梨ちゃん、キスしよう?」

「する。千成ちゃんとキスしたい」

 二人は長時間触れるだけのキスをしたかと思えば、何度も何度も求めるようにキスをする。

「花梨ちゃんはどこが好き? いや、言わなくて良いよ。探すから」

 千成は花梨の身体を人差し指でなぞっていく。

「まずは、腰?」

「そこは、ダメ!」

「ちょっとくすぐったそうだね。次に足」

「あー舐めるのはちょっと」

「次に指。指の間とかどう?」

「なんか、変な感じする」

「胸は」

「ん……」

「じゃあ最後にここ。いっぱい濡れてるね」

「そこ、は――」

「全部感じちゃうんだね。可愛い」

 千成が花梨の額にキスをすると、両手で顔を隠し何度も頷いて花梨は返事をする。

「じゃあ挿れちゃおっか」

 言われるがまま俺は花梨に挿れていく。濡れているそこは俺のことをすんなりと受け入れてくれて、深くなるにつれて花梨の喘ぎ声が高くなる。

 千成と花梨は重なり合い、俺が突くのに合わせてずっとキスをしていた。

 どうしてだろう挿れているのは俺のはずなのに、なぜだか俺は蚊帳の外。

 好きな女に挿れ、好きだった女の背に手を添えながら俺は腰を振る。好きな女の甲高い声が部屋に響き、その声にあてられるように下半身が充血していくのを感じるのに頭はどこか別の場所にあるみたいに熱くなりきらない。

「ちなちゃん」

「ん? 花梨どうした?」

 気付けば二人の呼び方が変わっていた。二人はお互いにそんなことを気にしない。

「ちなちゃんのこと、呼びたくなった」

「私も呼ぶね、花梨。ねぇ、花梨」

「ちなちゃん、好き。好き。すごい好き。ねぇ、ちなちゃん」

「うん、私も花梨のこと可愛くて可愛くて好き」

 千成と花梨がお互いのことを呼びあって高まっている。それを見ながら、俺は。

「あ、イく」

 イった。

「ちなちゃんは気持ちよくなれた?」

「花梨といっぱいキスして気持ち良かったよ」

「もっと気持ちよくなって。痛かったら言ってね?」

 花梨が優しく千成の胸を揉み、キスをして、耳を舐め、首を軽く食む。すると千成の堪えるような吐息が漏れた。千成はこんな性格なのに、セックスをしているときの声はなぜか極限まで抑えるのだ。気持ちよくなりすぎると声が漏れて、それを聞くと俺は堪らなくなる。

「ちなちゃん、かわいいね」

「……言わないで」

「恥ずかしがってるの? かわいい」

「言わないでよ……」

「可愛いね」

「可愛い花梨に言われると、堪らないね」

 好きだった女と好きな女の濃密な匂いに、俺の下半身は素直に反応してイったばかりだというのに早くも硬く屹立していた。

「ねぇ、武史。武史来てよ」

 千成という女は優しいから、こんなときにも俺のことを忘れず輪に入れてくれる。

 花梨は今まで忘れていたとでもいうように、ハッとこちらを向き視線がすぐに下へと降りる。

「早く」

 俺のことなんて棒か何かにしか見えていないかのように更に言う。

「ちなちゃんが武史のこと待ってるのに、ねぇ早く」

 急かされるまま俺は千成に己を挿れる。

「ちなちゃん、ちなちゃん」

「花梨、好き。大好き」

「もっと近くにいきたい」

「私も」

 考えてみればそうだよな。花梨という女と俺は似ているから、花梨が千成に惹かれるのも当然なんだよなとこんな最中なのに脳の正気な部分が言っている。

「ねぇ、もっと、来て」

 千成に言われて俺のモノは更に大きくなる。楽しそうな二人を見ながら、俺は果てる。




「今日も3Pしよう」

 千成からそう連絡が来たときに、画面の文字を見ながらしばし考えた俺がいる。三人のグループを千成が作っていたから、この連絡は花梨にも届いていた。

「うーん、まぁいいか三人でも」

 花梨がそう返信している。二人でしたかった、という意図の見える返信ではあるが、その二人とは一体千成なのか俺なのかどちらなのか。

 そして今日もホテルへ行って、好きだった女と好きな女が幸せそうにまぐわっている。俺のことを受け入れながら、実際のところ俺なんて本当はいらないのだとどこか空気で感じている。いつ「もういらない」と言われるのか不安になりながら、俺は交互に二人に挿れて腰を振る。

 別れはどちらから言われるのだろう。千成は言わなさそうだから、花梨だろうか。分からないけれど、まだ三人でいられるならばこのまま。

 ただの棒でも構わないから、いつまでも俺を二人の輪に入れて。

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