母親に対する忌避感

水面あお

第1話

 お母さんが悪いことをした。


 父から告げられたのはそんな言葉だったように思う。

 当時7歳か8歳か、そこいらの年齢だった。

 漠然とした黒い不安が胸にわだかまった。


 悪いことってなんだろう。

 尋ねても父は詳細について教えてくれなかった。

 ただ父親に何かしたのだということしかわからなかった。



 この真相を知るのはおよそ十年後なのだが、当時の私は幼かったため、教えられないくらいまずいことなのかもしれないと、勝手に想像した。



 それ以前の母親についての記憶はあまり思い出せない。

 大好きというわけでもないが、嫌いというほどでもなかったように思う。


 

 父親と母親は離婚した。

 そして私は父親に引き取られることとなった。

 父親は母親にされた悪いことが原因で病気になった。

 重いうつ病だ。

 仕事もまともにできなくなり、家に居続ける日々。


 

 引き取られたばかりの頃、まれに母親と会うことがあった。

 悪いことをした。その言葉が脳裏に刺さっていた。

 だから、母親が怖くて怖くて仕方なかった。


 会いたくない。

 鍵をかけられるところに逃げ込もう。

 トイレに逃げた。鍵を閉めた。でもまだ怖かった。


 お母さんという言葉が苦手になった。

 他人のお母さんと自分のお母さんは違う。 

 そんなことくらいわかっている。けれど、どうしても自分にとって母というのはあの人のことを連想させる。



 やがて学校の授業で、引っかかることがあった。

 母という字と、母の名前の最初の一文字に使われる漢字を書きたくない。書くたびに母親の存在が過る。嫌で仕方なかった。

 

 自分は女だ。

 だから、思春期を迎えると体つきが変わっていく。嫌だ。母親みたいになりたくない。


 中学生になると制服を着なくてはならない。スカートだ。毎日毎日我慢して履いた。



 だいぶ経ってから母親の真相を知った。

 不倫だった。


 確かに7歳くらいのときは理解できなかっただろう。

 母親に対する恐怖や忌避感は年齢とともに多少薄らいできた。

 けれど、女性らしい格好は今も苦手だ。



 世の中の母親がたは素晴らしいと思うし、尊敬している。


 しかし私は、母親と言われるとどうしても一番に自分の母親が浮かんでしまう。


 きっと私は母親にはならないだろう。

 自分がお母さんと呼ばれるのを受け入れられない。

 あの人と重なってしまうからだ。

 


 ※この物語はフィクションです

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母親に対する忌避感 水面あお @axtuoi

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