第12話

 浴室から、ミアをどうにかカーテン越しに追い出し、いそいそとシャワーを終えると、僕は浴室のドアの隙間から叫んだ。


「ロドス、服、おねがーい」

『しゃーねーなぁ』


 ロドスにお願いしたはずなのに、どうしてかエンバーが返事をする。

 なぜだろうと覗き見ることもできず、僕は浴室の中で待つしかない。

 浴槽の泡を流し、タオルを腰に巻いて、ガウンを羽織ったところで、閉めずにおいておいたドアが、ぎいと押された。


『もってきてやったぞー』

「ありがとう、エンバー」


 運ばれてきた服は小さな布の袋に入れられていた。

 それを噛んで、エンバーが引き摺りながら運んでくれたようだ。


「大変だったでしょ」

『どってことねーよ。貸し1なー』


 エンバーは緋色のしっぽを上機嫌にまっすぐ立てて出ていった。

 貸しカウントになってしまったことに、一本取られたと唸りつつ、袋から服を出すが、いつもと畳み方が違う。

 しかしながら、なんでロドスは部屋に通したんだ?

 普通はそんなことしないのに……


 おおかた拭った頭にタオルをかぶせて出ていくと、「濡れたアキム様も素敵ですわ」と目を潤ませているミアがいる。


「騎士たるもの、女性の前で失礼のないよう心がけてはおりますが、この格好で失礼します。……その、一応、僕も男です。男性の部屋に勝手に入るなど、いいことではありません。特に浴室なんて、もっての他です」

「わたくしをレディとして扱ってくださるなんて、なんて紳士な方」


 しなだれかかるミアを引き剥がすが、瞬間、僕の肌の匂いをすんと嗅いで、

「あの石鹸の香りにしてよかったですわ」と言いだした。


「え、あ、あの石鹸……って」

「昼間に購入したものですわ。リティンは羊が有名ですが、山羊のチーズも有名ってご存知でして?」

「い、いえ、初めて聞きました」

「山羊ミルクは石鹸にもなりますの。いろんな香りが売ってたのですが、やっぱり柑橘系が淡い褐色の肌にお似合いですわっ」


 いきなり手を引かれる。

 引かれた先には、頼んだ軽食が綺麗に2人がけのテーブルに並べられ、テーブルの横でロドスがナフの位置の確認に余念がない。


「ちょっとロドス、なんで彼女を入れたの? ダメだろ?」


 ロドスは小さく肩をすくめて、対面に並べられた食事を手でかざす。


「二人で食べるのだからいいだろってこと……?」


 優雅な動きで頷いたロドスに、ミアがふふふと笑う。


「あまりロドス様を責めないでくださいまし。わたくしが無理をいいましてよ。でも、いつもお一人のお食事が多いとお聞きしましたわ。たまには、わたくしではございますが、いっしょにお食事、いたしませんこと?」


 ロドスはミアの席をひき、椅子を押して座らせる。

 執事らしい動きを久しぶりに見たと、僕は自分で椅子をひいて腰を下ろした。

 部屋を何気なく見た瞬間、


「……さ、お食事にしましょう、アキム様」


 ミアから声がかかる。


「冷めてしまいますわ」


 僕は視界の先の違和感を確かめるために素早く立ち上がる。

 ミアを無視し、ベッドの上に飛び乗って見渡せば、雑多に並べておいた机の上が、妙に綺麗な配置に……


「机の上のもの、触りましたね」

「いいえ」

『うそつけ』


 エンバーの横槍に、ミアは口を尖らした。

 僕はベッドから降り、座るミアに一歩近づく。

 ミアは目を背けて、こちらを見ない。


「何を見たか、やったのか、言ってください」


 もう一歩ふみこむと、ミアが背中を向けてくる。


「わたくし、大したこと、していませんわ」

『伝言板になにか書いてたぞ』


 慌てて机に向かい、伝言板を取り上げると、


【ディルクの難癖が強く、問題もありますが、しっかりこちらでやりきます】


 すでに上官から、【了解】とだけ返信があり、すっかり何事もなかった報告が済まされている。


「あーっ! 嘘でしょ!? 応援を呼んだ方がいいと思ってたのに……! あぁ……」


 膝から力がぬけていく。

 もう立つ気力も起こらない。

 だめだ……

 僕の、老騎士への道のりが、ガタガタと音を立てて崩れたのが見える……

 老騎士になれなかったら、僕は……

 僕は………!


「アキム様なら、解決できますわっ!」


 ミアは自信満々に言い切り、僕へ手を伸ばした。


「さ、お食事ですわ。明日も早くに取り組まなければなりませんものね」


 手首を掴まれ、引きずられる。

 腕っぷしが強い子なのはわかるが、僕の半分ほどの背丈しかないのに、軽々と引きずっていく姿に、たくましさを通り越して、やはり、少し、恐ろしい。


 無理やり椅子に座わらされたかと思うと、ロドスがナフを巻いてくる。


「ちょっと、ロドスまで……。僕、ショックすぎて、食事なんて入んないよ」


 つい、いつもの口調でこぼしてしまい、はっと口に手を当てた。

 だがミアは僕をみて、優しく微笑むと、スープにすくったスプーンを僕の口元へ。


「あ、あの」

「さあ、スープだけでも」


 いい香りが鼻をくすぐる。

 軽食といいながらも、間違いなく温かなスープに、柔らかなパン、キッシュにボイルされたソーセージまである。


 僕はミアから差し出されたスプーンを口に含んだ。

 舌に広がったのはコーンスープだ。

 飲み終わった後、舌触りに粉っぽさが残る。これは去年取れたとうもろこしを粉末状にして保存をしておき、その粉末でスープを作ったのだ。


 だがこの粉っぽさが、アキムは好きだ。

 ヴォルガと街から街へ旅をしていた時、野営で食べた味だからだ。


「……ありがたい。イジェスに、命の糧の感謝を」


 胸に込み上げる思いと同時に、いつもの言葉が唇を揺らす。

 何気なさを装って、ナフで目と鼻をぬぐい、僕はスプーンを手に取った。


 スープをひと口含む。



『──食べないとな、余計なことを考えやすいんだよ。だから一流の騎士になるほど、腹を絶対ふくらませておくもんなの。……どんなときでもな。アキム、覚えておけよぉ?』



 忘れかけたヴォルガの声が聞こえてくる。

 楽しかったあの日の声が聞こえた気がして、少しだけ胸の支えた取れた、気がする。


 食べ進める僕とはちがい、向かいに座るミアが、テーブルに肘をついてこちらを見た。


「ミア、なにかありましたか?」

「聖騎士様は、信心深いのね」


 僕はスープを口に運びながら、「どうでしょうか」返して飲み込んだ。

 程よい温かさのスープは、体に染みる味がする。


「では、アキム様はイジェス様を信じてらっしゃらないの?」


 ミアはたっぷりのミルクを紅茶にそそぎ、それをひと口飲み込んだ。


「そうですね。……飽くまで僕は、ですが。イジェスがいても、いなくてもいいのです」

「どういう意味ですの?」


 斜めを向いていた体が正面を向く。


「掟という、日常の常識や正義を守るための自分を戒める何か、があるのなら、それは神は誰でもいいのだと、僕は思っています」

「面白い考え方をするのですね」

「自分を律するための目は、自分ではなく、他者の目だと。……これは、母の受け売りですが」

「お若いのに、しっかりした考え方を持ってらっしゃるのね。ご母堂の育て方が素晴らしいのだわ」


 もうひと口すすったミアに、僕は思わず笑ってしまった。


「ミアの方が僕よりずっと幼いのに、お若い、だなんて変ですよ」

「そうかしら」

「ミアの方が、僕よりずっとずっと内面が大人なのでしょうね」

「それは、もちろんですわ」


 その声に重さを感じる。

 だが、ミアの声から意味を推し量るのはとても難しかった。

 となりで魔石を噛み砕く音が、とてもうるさい。


『今日の魔石は、あんましだな。スッカスカだ』

「お手頃価格のものはあまりよくないのね」

『やっぱりか! 少し高いのにしてくれよぉ』

「量はありますわ」

『顎、疲れんだろが! くそっ』


 舌打ちしつつも、いい音を立てて魔石を噛み砕き、食べている。

 爪ほどの大きさに砕かれた魔石は、ランプの燃料や調理の際の火種として使われているものだ。だが、彼には食事になるらしい。


「エンバー、魔力の含有量なんて、食べてわかるの?」


 僕が転がった魔石を皿に戻すと、それを舌でぺろりと口に入れていく。


『ったりめーだろ。これはあっさり味だからな。魔力はすくねぇってワケ』

「味、あるんだ」

『たりめーだろ』

「どんな味なの?」

『俺っちがお前の飯、食えると思うか?』

「あー……、そっか」

『お前の飯も、俺っちの飯も、一生通じあえねぇよ』


 また勢いよく食べ始めたエンバーを眺めながら、いっしょのテーブルに並んでいるのに、味の共有ができないのは、少し寂しい気にもなる。


「ロドスもエンバーみたいに食べれたらいいのにね」


 僕が言うと、ロドスは左脇腹をそろりと開ける。

 魔石を交換しろというのだ。


「ロドスは魔石からの魔力がご飯、になるのか」


 こくりと頷かれ、今まで意識していなかった事実に、驚きつつ、これからは少し小さめの魔石にして、食事の際に魔石交換を行おうと考える。


「僕のはここの魔石じゃないから、魔力、しっかりあって、おいしいでしょ、ロドス」


 鏡面の顔が、優雅に揺れる。

 シャンデリアの光がやわらかく反射し、ロドスが微笑んだようだ。


『お前、舎弟なんだからよぉ、俺っちにも、いい魔石、くれよぉ』

「あらエンバー、わたくしが準備した魔石じゃ、ダメってことかしら」

『そういうこ』


 エンバーは、すまし顔で魔石批判をしていたのだが、いきなり口をむすび、耳をそばだてる。



 きゃぁああぁあっ……!



 女性の悲鳴とも叫びともとれる声が廊下に響き渡った。

 半分になっていたパンを口に詰め、添えてあったグラスの中身を飲み干した。

 白ワインのアルコールが、寝ぼけた頭を動かし始める。

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翠玉の事件簿〜欠けた遺体の真実〜 yolu(ヨル) @yolu

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