第18話海の幸
「見て! 海よ」
馬車の窓を少し開けると、潮の香りとともに、遠くから波の音がかすかに聞こえてきた。視線を遠くに向けると、青く広がる海が目の前に広がっている。朝の光が反射して、海面にきらめきを加えている。
その景色を見ていると、馬車の揺れも心地よく、まるで時間がゆっくりと流れているかのように感じる。
海の向こうには、山の稜線がぼんやりと浮かんでいる。時折、白い雲がその上を流れ、風に揺られるように、海の上を漂っていく。
太陽がもう少し高く昇ると、海面は煌めき、青い色がますます鮮やかに深く広がっていくのだろうか。
その光景を、ただじっと眺めていると、世界が静かな安らぎを与えてくれるように思えるわ。
「ああ、待ちきれない!! エルミーヌ、荷物を置いたら、さっそく出かけましょう」
そんな言葉を交わしながら、馬車は、ヴィンセント様のタウンハウスに到着した。
玄関には、迎えの侍女長をはじめ侍女たちが控えていた。
「お待ちしておりました。お嬢様方」
彼女たちは深々と頭を下げ、丁寧な所作で扉を開く。
「エルザ、3日間お世話になるわ」
シャルロットが挨拶すると、侍女長は微笑んで言った。
「ヴィンセント様は、相変わらず仕事場の簡易宿泊室に住み着いておりまして…。学生のころに比べたらほとんど顔を見ることもなくなり、屋敷は、何の張り合いもない日々でございました。ですので、今回、お嬢様方が来てくださったことで、使用人一同、俄然やる気でございます!! ほほほ」
その言葉に、シャルロットは少し呆れたように笑う。
ここは、公爵家がヴィンセント様のために用意したタウンハウスだと聞いている。街の中心地に位置し、豪華すぎない落ち着いた外観。建物の周囲には小さな庭が広がり、四季折々の花が彩りを添えている。見栄を張るような豪華さではなく、住む者の品位が見える屋敷だ。
でも、この家にヴィセント様が帰ることはほとんどないのね。こんなに立派な家なのに、帰らないなんて…。お忙しそうで心配だわ。
心の中でそう呟きながら、屋敷の中に足を踏み入れた。
「やっぱり帰っていないのね…お兄様ったら、しょうがない人。本当に仕事かしら?」
「知らせなくていいとのことでしたので、連絡しておりませんが?」
侍女長が控えめに尋ねる。
「いいのよ、今はいいわ。そんなに忙しいなら迷惑でしょうし。まあ、連絡しなかったことを知ったら、あとから間違いなく悔しがるでしょうけど」
唇に浮かぶ笑みは、少しだけいたずらっぽい。ヴィンセント様、この国を案内したがっていましてものね。
「さあ、着替えて、出発よ!」
***
広がる海。
視界いっぱいに広がる青の世界に、しばし言葉を失う。
「すごいわ…これは川じゃないのよね。これが海…」
砂浜に近づくと、波が一気に速度を上げる。感情をぶつけるように白い泡となって崩れ落ちる。その瞬間に、ただただ目を奪われる。
しゃがんで観察をしていると、ふいに波が顔にかかる。
「きゃっ、顔にかかりましたわ! あら、この水…しょっぱい!」
「そうだわ、塩の味!…エルミール、ずるいわ。 私も味見したいのに!
「味見って…ふふふ」
シャルロットが、海水を指先でそっとすくい、唇に運ぶ。
「まあ、本当にしょっぱい! 不思議だわ」
海に近づきすぎたのか令嬢が海水をなめたからなのか護衛の一人が慌てる中、微笑みながら見守っていた侍女が声をかけてきた。
「お嬢様方、あまり日に当たるのもよろしくありませんわ。近くに、ご希望のおいしい海鮮の屋台がありますが、どういたしますか?」
「行くわ! 行くわよね、エルミール!」
「もちろんですわ、シャルロット」
*****
潮風に混じる香ばしい匂いが空腹を刺激する。
海鮮の屋台が並ぶ通りは、お祭りのような賑わいだ。
色とりどりの屋台が並び、赤いタコ、オレンジ色のウニ、白く輝くイカの刺身が美しく並べられている。どの屋台も自慢の食材を輝かせ、目を奪われるばかりだ。
鉄板の上で焼かれるエビやホタテはじゅうじゅうと音を立て、バターの香りがふんわり広がる。焼き立ての牡蠣は、殻の中でぷっくり膨らんでいる。熱々の旨味をたたえた牡蠣が、食べられる出番を待っているようだわ。
「あちらが、おすすめの店です」
護衛に案内され、店の前へとたどり着く。
「いらっしゃい!」
炭火の上ではイカの串がこんがりと黄金色に焼け、甘じょっぱい醤油の香りが鼻をかすめる。
「淑女が外で、かぶりついて食べるなんて…はしたないのかもしれないけど…」
そう呟きながら、目の前の焼きたての串をちらりと見やる。その香ばしい匂いが、さらに心を揺さぶる。
横にいたシャルロットに視線を向けると、彼女の瞳が私を見つめ返す。
言葉を交わさずとも、シャルロットは深く頷いてみせた。その仕草はまるで「迷う必要なんてない」と背中を押しているかのようだわ。よし!!
「この串を2つくださいな」
ためらいを振り切るように言い放つ。店主が手渡してくれた焼き立ての串を1つシャルロットに渡す。香ばしい湯気が顔にふわりと届いた。
思い切って串を口に運んだ。
ジュワッ、と、おいしさが口の中に広がる。炭火の香り、ほんのり甘じょっぱいタレ、そして海鮮そのものが持つ自然の旨味がすべて混ざり合う。その瞬間、自分の口元が自然とほころぶのを感じた。
「美味しい…!」
潮風に乗る屋台の喧騒、砂浜の向こうに広がる果てしない海。そして、舌で味わうこの至福のひととき。
「ここは、本当に海の贅沢が詰まった小さな楽園ね」
その言葉を口にしながら、もう一口、口に運んだ。隣でシャルロットもまた、同じように微笑んでいる。
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