第19話突然の来訪者

私たちが邸に到着すると、目に飛び込んできたのは、豪奢な装飾が施された馬車だった。その車体に刻まれた紋章に目を留めた瞬間、心臓が一際強く打つ。



「…え? この国の王家の紋章!?」




驚きに声を上げた私の隣で、シャルロットも小さく息を呑んだ。こんな場面、予想もしていなかった。


戸惑う私たちをよそに、馬車の扉が音を立てて開いた。



その瞬間、空気が変わる。



馬車から降りてきたのは、目を引くほどの美貌と気品をまとった女性。彼女の凛とした立ち姿は、ただいるだけで周囲の空間を支配してしまうような迫力があった。



――この威厳、まさか本当に王族?




「あら? あなたたちは、どなたかしら?」



「私は隣国モンフォール公爵家長女、シャルロットと申します。そして、こちらはエルミーヌ・ルーベンスでございます」



名乗ると同時に、シャルロットはカーテシーを添えた。彼女の所作はどこまでも優雅で、場にふさわしい。私も同じように倣う。




「モンフォール…まぁ、ヴィンセントの妹ね」



その名前を聞くと、女性の目が一層柔らかくなった。そして、さらりと口を開いた言葉が私たちを驚愕させる。



「私はこの国の第一王女、ロザリア・フォン・ヴェルディナよ。ふふ、あなたの兄の婚約者になる予定ですの」




――婚約者!?




まさかの告白に、息が詰まりそうになる。




ヴィンセント様…。彼の名前が頭に浮かぶと、自然とその姿が思い出された。透き通るような青い瞳に、陽光を帯びた金髪。その神々しい美貌に魅了されない者などいないだろう。そのうえ、物腰は柔らかく、気遣いは完璧。社交界では女性たちの憧れの的で、彼の噂話は絶えない。



彼が女性に見せる笑顔や甘い言葉は、一瞬で心を溶かしてしまう。多くの令嬢たちが彼との「運命の恋」を夢見てしまうのは無理もない。


彼の隣に令嬢の姿が目撃されるたび、その女性が「今度こそ本命なのではないか」と期待と嫉妬が入り混じった声が広がるのだ。



しかし、浮名が多い割に、誰か特定の女性と婚約や将来の話が具体的に浮上したことは一度もない。



きっと、誰にでも優しい彼だからこそ、誰か一人を選ぶことができないんだわ。と、思っていたけど、王女との秘密の恋でもしていらっしゃったのでしょうか? こんな美しい人がお相手でしたら、他の方が目に入らないのも無理はありませんわね。



その事実を前に、なんだか胸がざわつき始める。





「まあ、ご冗談を」




不意にシャルロットの軽やかな笑い声が響いた。




「我が兄からも公爵である父からも、そんな話を聞いたことがありませんわ。一国の王女がうかつにそのようなお話をなさってはいけませんわ」



毅然とした口調でシャルロットが応じる。その言葉に、ロザリアは唇をかすかに歪めて微笑む。



「ふふ、正確には、婚約者の座を狙っている女よ」



その自信に満ちた口ぶりは、彼女の本音を隠す気などないことを物語っている。




「先ぶれを出して訪れてみたけど、今日も留守のようね。この時間でも仕事場にいるのでしょう」





王族ですから呼び出せば会えそうなものですのに、仕事場にも押しかけないなんて…どこかの王族とは大違い




「頻繁に会いに来られるほど、お兄様が好きなのですか?」



シャルロットが静かに問いかける。




「そうね。その爵位と容姿、そして才能は好ましいわ。でも、恋しいというのとは少し違うわね」



ロザリア王女は微笑みながら、遠くを見るような目をした。その瞳には複雑な感情が浮かんでいるようだった。





「話せば長くなるのだけれど」


「興味がございますわ。もしお時間があれば、中でお話を」


シャルロットの誘いに、ロザリア王女は肩をすくめ、同意した。





*****






「でね! 弟が生まれたら手のひら返しよ。嫌になるわ!!」



話始めると、王女のテンションは一気に上がった。この方、お酒を飲んでいらっしゃらないですわよね?



この国では、生まれた順に関係なく男子が王位継承権1位となるそうだ。ロザリア王女には、ほかに2人妹おり、さらに、王妃が昨年、妊娠をしたのだが、妊娠中の様子が今までと変わりないことから、周りは、また王女だと思っていたらしい。


だが、生まれたのは王子。ロザリア王女は、その道を突然奪われたのだという。




「物心ついた時には、この国を守り導くことが私の使命だと信じていたのよ。なのに、弟が生まれた瞬間、母はこう言ったわ――『これで、あなたは女の幸せだけを考えられるわ』ってね」




ロザリア王女の口調には皮肉が滲んでいる。




「何が女の幸せよ。物心ついた時には、この国を背負う覚悟を持っていた。国を愛し、民を思い、時には自分を犠牲にする覚悟もあった。それが急に奪われたのよ」




立場は違うけど、『物心ついた時には、この国を背負う覚悟を持っていた』のは、私たちとて同じ。シャルロットと2人で目を合わせ、王女の気持ちを察する。



彼女の言葉に胸が締め付けられる。同じような覚悟を抱いてきたシャルロットと私は、彼女の苦しみを理解せずにはいられなかった。




「弟が生まれる前、他国の公爵家の令息は、王配にちょうどいいと思ったの。跡取りなことと浮名が多すぎるせいか私になびかないのが少し面倒だと思ったけど、最終手段として国王に協力してもらうからいいわと思っていたわ。…状況が変わったけど、やはり、私が嫁に行くにしても、ヴィンセントがちょうどいいと…。でも、だめね、王になれないとわかった瞬間、何やら燃え尽きたというか、今となっては、ヴィンセントを手に入れたいという熱意もどこか薄れてしまったわ」




淡々と語るロザリア王女だが、その瞳にはわずかに影が差していた。



「王になるつもりだったのよ、私! 政治や軍事の仕事にも携わってきたわ。言葉一つで、国の未来が大きく変わるため、慎重さが求められる。王の仕事には、名誉も栄光も伴うけど、同時に孤独がつきまとう。でも、王としての責務だと思っていた。頭なんか切り替わらない」



素晴らしいわ。これこそ王太子。どこかの王太子に聞かせてあげたい。

生まれた王子に資質がなかったらこの国はどうするのかしら?



ロザリア王女は、ふと何かを考え込むように、再び話し始めた。


「…側妃でもいいわ。私の力を必要としてくれるどこかの王に嫁入りできないかしら? 培った力を発揮せずに、家庭の管理と社交だけなんて…私の気性に合わないに決まっている。別に愛などなくていいの。どこかで、この力を発揮しなくては、生きていける気がしない」




その言葉を聞き、シャルロットの目が何かを思いついたように煌めく。




「それは、愚かな王太子の妃でも構わないのでしょうか?」




ロザリア王女が興味深そうに顔を上げた。その視線は鋭く輝いている。



「愚か? まあ、私の邪魔をしなければ。むしろ政治に疎いのであれば私に任せてくれないかしら! え? 心当たりがあるの? その話ちょっと詳しく」



「ええ、実は、私たちの元婚約者なのですが…」




――嘘! 王太子を勧めるの!?




シャルロットの予想外の言葉に、私は言葉を失った。



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