第2話自由への渇望

「ふふ、ありがとうございます」



シャルロットの淑女の仮面は崩れない。流石だわ。

それにしても、初めて会った子爵令嬢が私たちにこんなに上から目線なことに、王太子は何とも思わないのかしら? 不思議だわ。



「殿下、正妃の正式決定は半年後でしたもの、ぎりぎり解消できます。ああ、危なかったですわ。と、いうことで今すぐ手続きをしましょう。王太子の名の下で。さあ、今すぐ書記官をお呼びください」


「ん? 今すぐに?」



王太子の戸惑いは理解できる。国王、王妃、側妃が全員、隣国の王弟の結婚式に参加していて不在なのだから。



「…王太子殿下、私たちこう見えても大変ショックを受けているのです。とても、ええ、とても残念なのです…ですから気持ちが変わらないうちに手続きをして、心を整理するために早く実家に帰りたいのです」


「…そうか、そうだよな、すまなかった。おい、誰か今すぐ書記官を呼べ」





*****



主任書記官が、急に呼び出され、事情がわからず戸惑っているのがわかる。シャルロットは丁寧に説明をするが、主任書記官の顔色はどんどん悪くなっていく。



王命である婚約を解消など通常なら考えられないが、国王が不在の今、王太子が国王代理だ。普通ならやらない。ええ、普通ならやらないが、可能と言えば可能だ。そしてこの王太子はやってしまうだろう。



主任書記官の心中を思うと、少し同情してしまう。…お気の毒に。



「…そ、そんな。私の責任では、とてもそんなこと…」



「大丈夫よ。”国王代理である王太子の名のもとに”ですもの。責任は殿下です。ね、そうでございましょう?」


「ああ、遅かれ早かれ手続きをするのだ、なに構わない」



『ほ、本当に大丈夫なのか? なぜ今日に限って書記官長がいないのだ。ああ…』


ぶつぶつと不安そうに言いながら、書面にまとめていく主任書記官。青を通り越して、顔が白いわ。今にも倒れそうね。


それぞれが書類にサインし、控えを受け取る。




「それでは、わたくしたち両名、実家へ帰らせていただきます。今までありがとうございました。お二人のこれからが幸多きものになるよう祈っております」



シャルロットが気品と優雅さが漂う美しいカーテシーをする。全てが完璧に計算されたかのような、この一連の動作は、彼女の持つ教養と品位を感じさせ、見る者に強い印象を与える。


ああ、シャルロットこそが、この国の正妃にふさわしい方だったというのに。




私はというと…あら? あまりにもありえない出来事に、終始、他人事のように見ていて一言も話していない…。すっかりシャルロットに任せてしまったわ。後で謝らないと…。



でも、最後のご挨拶くらいはきちんとして差し上げなければいけませんわね。




「殿下、今まで、お世話になりました。お二人の末永いご多幸をお祈りいたします」




「ん? ああ、二人ともまた会おう」







*****







「もう2度と会うか、馬鹿王太子」



シャルロットが吐き捨てるように言う。婚約者候補となってから6年間過ごした王宮を後にし、馬車に揺られながら、さっきの出来事を振り返る。


「…王太子は、なぜ、あのような提案を受け入れたのでしょうか。一度婚約を白紙に戻した場合、同じ人物と再び婚約に関わる契約はできませんのに」



「王太子は『こうなのですよ、やるべきなのですよ』と言えば、何も疑わないわ。今までだってずっとそう。結局わかっていないのよ」



シャルロットは、それを上手に利用したのね。すごいわ。




「…ねえ、エルミーヌ。側妃になりたかった?」



「いいえ、まさか? シャルロットがいないのなら、一人であの王宮になんて…考えただけで、つまらないですわ。あなたは、私の心の拠り所ですもの…でも、今更、侯爵家に帰っても…ふふ、歓迎はされないでしょうね」



王宮に上がって一度も会いに来なかった父。夜会で見かけるだけ。そこでも、私の存在を気にかけている様子はなかったですわ。なのに、婚約者候補の予算を当てにしてお金の催促だけはしてくる。


幼い頃、母が亡くなってすぐ、王太子の婚約者として王宮へ上がることとなった。その後、父がずっと愛人だったらしい人と結婚したことを知った。妹も最近生まれたと聞いたが、どちらにも会ったことはない…。



婚約解消か…。事情を知ったら、お金を持っていそうなところにすぐ嫁に出されるでしょうね、きっと。




「そんな悲しい顔で笑わないで。あなたは、このまま私の邸に行くのよ? あんな冷たい人たちのところになんか帰さないわ!」


「え? 私も公爵家に行くのですか?」




「もちろんよ。ここ数年、わずかな余暇は一緒に公爵家で過ごしていたじゃない? あなたの部屋だってあるのに、今更何を言っているの」



確かに、帰っても居心地の悪い思いをする私を気遣って毎年、季節ごとに公爵家へと誘ってくれた。私の部屋まで用意してくれて。でも…



「今回は、どのくらいの期間になるかわからないのに、そんな迷惑をかけられませんわ」



「迷惑じゃないわ! 私たちは同志よ? ほら、侯爵家に何か言われたら『落ち込んで立ち直れない、気持ちが落ち着くまで一緒に』って言えばいいわ。公爵令嬢の私が言ったら、渋い顔をしても否とは言わないわ」



シャルロットが満面の笑顔だわ。



「ありがとうシャルロット。嬉しい…。じゃあ、お言葉に甘えてお世話になりますわ!」


「ふふ、遠慮は無用よ!」



ああ、それにしても…。



「シャルロットは、流石ですわ。あの場でおめでとうって言えるなんて。私、これは現実かしら? と他人事のように考えていたら、いつの間にかお暇することになっていて…。あなたに任せきりになったことを申し訳なく思っているわ」


「いいのよ! 現実かしらとわからなくなったのは、私も一緒。疲弊しながら生きてきたのに、残念な気持ちになったわ。それこそ、呪ってやりたいくらいには」



本当にそうだわ。



「でも、この自由になるチャンスを逃して、あのまま王宮になんて冗談じゃないわ。そう考えたら、あの場で、子爵令嬢の勝ち誇った顔を見ながら、祝福するくらい余裕よ。私たちは、結果勝ったの。勝つこととは、負けを恐れないことよ」



私はシャルロットこそが、王妃にふさわしいと思っていた。


いえ、表向きに2人とも候補なだけで内々にはもう決まっていた。威厳も品もあり、成績も優秀。発する言葉にも力がある。


祖父が先代の王弟だったこともあり、あの王太子よりも遥かに王族らしい。



「私はあなたが正妃、と思っていたからこそ、ここまで…。王太子殿下のこと全く理解ができない。理不尽すぎますわ」



「…あの馬鹿が理解不能なのは、今に始まったことじゃないわ。ふふ」



確かに…でも、愚行が過ぎますわ




「私はね、エルミーヌ。たくさんのことを学んでいく中で、狂おしいほど広い世界について知りたくなったの。だからこそ、王宮での私の世界に意味が見出せなかった」



私もそうだったわ…。





「…ふふふ、自由よ! やったわ! 自分の心の声に従って生きることができる。一緒に考えましょう? 最後に人生を振り返ったときに、『意味のない人生だった』と後悔しないように」


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