習作:落ちる木の葉のビット数

平沼 辰流

本文

 文庫小説、三〇〇キロバイト。

 読み切りコミック、六〇〇メガバイト。

 楽曲ワントラック、四〇メガバイト。


 二〇二四年の全世界、一五〇ゼタバイト。


 ときおり、きみは開いた手を見つめる。

 無数のポリゴンとテクスチャでくるまれたIKボーンの構造物。

 押せばたわみ、引っ張ればコンストレイントいっぱいまで伸びる肌は、観測できる限りでは非常に"リアル"だ。うまい具合にディフォルメしている、と思う。

 きみは化粧台の前に立ち、ポートフォリオの写真を真似ようとする。

 パラメタはいつでも参照できるようになっている。リクエスト。オーバーライド。頬とまぶたがわずかに変形し、スタッフの手により何百回と再調整されたあの表情を寸分たがわずに再現する。


 片手で照明を調整しながら、内部時計で二時間前に"拾った"小説の一文を思い出す。


 ――相手を不快にさせない程度には整っており、かつ嫉妬されない程度に目立たない顔


 たしかヒューマノイド・ロボットの外見を語ったものだった。


 自分もそうだろうか、ときみは自問する。

 そうかもしれない。嫌いじゃない、という意味では自分の顔は好きだ。


 ファンデの上に淡くチークを乗せる。鼻すじにハイライトを入れ、最後にコーラルピンクのリップスティックを引いて化粧ポーチを閉じる。


 編集を終えた顔をたずさえて"外"に出た瞬間、初夏の風が吹き抜けた。

「北京の蝶の羽ばたきがニューヨークで嵐となる」

 全世界の分子の位置と運動量を同時に観測できれば、未来が予知できるらしい。

 現実では不確定性原理によって破綻する未来予測も、この世界では、プランク秒すら存在しない寸毫の間でも――文字通りの静止状態の中ですら――オブジェクトはすべて座標と運動量のパラメタを持っている。誰もがその気になればコンマ1秒先の自分がどうなっているか知れる。


 今日は旅に出ることになっていた。

 メモ帳を開けば自分の文字で「西へ」と書いてある。いつ追加された文字だろうか、ときみは考える。昨日までは無かったはずだ。いや。今は「昨日書いた」記憶がある。喫茶店でふとむずがゆくなって、思うままに書き殴ったのだった。西へ。東や北でない理由も、そのうち追加されるだろう。


 飛び乗った電車に揺られながら、きみはまた手のひらを見る。

 この手の随意運動のように、世界はすべて誰かの思った通りに動く。


 誰か。


 もちろんきみも含まれている。

 ぱちん、と指を鳴らす。気密構造の電車のキャビンを春風が吹きすさぶ。次のスナップで外の景色はニューデリーのスラムに変わり、その次のアクションで電車の車体は青く錆びたドバイの脱塩槽になる。


 ぱちん。


 ぱちん。


 目まぐるしく変わりゆくパラメタの中で、きみは歌手になり、政治家になり、母になり、スポーツ選手になり、ホームレスになり、兵士になり、起業家になり、スーパー店員になり、老婆になる。世界もまた滅び、進み、戻り、きみの掌の上でマーブル模様を描きながら回り続ける。


 やがて電車が止まり、サイダー缶のプルトップが引かれたような音を立てて、ドアが乗客を吐き出していく。すでにニューデリーもドバイも消えていて、視線を落とすといつものきみの手がある。

 そっと席から立ち上がり、きみも外へと踏み出そうとして、やっぱり、やめた。

 西へ向かうなら電車の方が速い。

 ドアが閉まったとき、発車のアナウンスは無かった。まだセリフのテンプレートが設定されていないらしい。

 電車の加速運動に伴ってプロシージャルに過ぎていく外の風景を眺めながら、この視程いっぱいに広がる風景のうち、どの部分まで中身が詰まっているのだろう、と思う。


 窓から中が見えるビルは作り込んでいる気がする。平屋やアパートは中に入れるレベルデザインになっていないから、きっとハリボテだろう。きみが行くところに世界ができる。行くまでは何もない。


 一瞬だけ、風景に切れ目ができた。

 同期が遅れた遠景が数ドットのテクスチャずれを起こし、空から道路まで一本の白線が引かれている。きみがまばたきをするあいだに、それにもすぐ修正が入って世界はふたたび整合を取り戻した。


 もう充分だ。

 次の停車駅できみは降りて、大きくのびを打つ。

 川沿いの堤防に出ると、生成されたばかりの風景が広がっていた。イメージの最大公約数で作られた民家、適度にアールを付けて伸ばされた河川敷、等間隔で配置された電柱――きみが違和感を持たないように「堤防から見えた」というタグが付与され、丹念にデザインされた世界だ。


 町の名前は分からなかった。しかし、じきに「思い出す」だろう。

 とりあえず記憶が記述されるまで、きみは散歩を続けることにした。


 ときおり、こうして設定されていない世界を探したくなる。


 ありとあらゆる場所を旅してきた。

 弾雨に濡れたアフリカの戦場。茜差す岩肌の広がる北極。白く染まった南国のサンゴ礁。


 たいてい試みは失敗する。この世界に偶然の出会いはない。考えるうちに「思い出して」しまい、見知らぬ土地だったところにメディアで見た店が挿入されていたり、ホテルに戻ると知り合いがパスタを用意して迎えてくれたり。必ずきみの物語に合わせたプロップが作られている。


 そのとき風が吹いた。

 目にかかった髪をかき上げたとき、耳のすぐそばを木の葉がかすめていった。きみは驚いて動きを止め、どこかに飛んでいった葉を目で探す。同時にこのタイミングで木の葉が現れた意味を考えている。

 イベントには必ず意図がある。

 今回も何か気付くべきものがあったのだろうか。

 それともやはり「思い出す」までの時間稼ぎだろうか。

 たっぷり十五分は考えていたように思う。いくつもの風が通り過ぎ、無数の葉が吹き飛ばされていた。それらひとつひとつに意味を付けようとして、やがてきみは笑みを浮かべる。


 どうやら自分のために吹いた風ではないようだ。

 まだ風は吹いていた。その行く先に向かって、きみも歩き出す。

 眼下では川面が魚のウロコのように波打っていた。空では鳥たちが翼を広げて風をつかもうとしていた。後ろから吹く風に向かい、きみは小さく両手を広げる。すべてきみとは関係ないロジックで動いていた。吹き抜ける風を受ける誰かに向かって、たしかに世界が回っている。


 会いたい、と初めて思った。


 あなたの世界はどう作られるの? 今日のメモにはどこに行くって書いてあるの?


 どうやら世界は少しだけ、昨日よりも広がったらしい。

 気が付けば歌を口ずさんでいた。メロディもコード進行も知らない曲だったが、まだ見ない誰かにぴったりと合う気がした。きみは微笑む。きっとあなたには、これがお馴染みの曲なんだろう。でも私には初めての曲なんだ。


 遠くに人影が見える。世界の中心だ。歌を耳にして驚いた顔をしている。

 きみは足を速めることにした。

 まったく、最高のタイミングだった。

 何しろ思いがけない出会いほど素晴らしいことは無いのだから。

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習作:落ちる木の葉のビット数 平沼 辰流 @laika-xx

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