第7話
朝も一緒にいた晴夏が、どうして急に? 何が起きたのか理解できないまま、病院へ急いだ。
病室に着くと、すでに晴夏は処置を受けた後で、静かな表情でベッドに横たわっていた。規則正しく胸が上下している。瞼は固く閉じられていた。
「睡眠薬を過剰摂取したようです。レコード会社の方が早めに発見してくださって。一度、ほんの短い時間だけ意識を取り戻したのですが、それきり――」
看護師から、そう告げられた。
そのとき、晴夏は混濁した意識で、歌声ともうなり声ともとれる声をスマホに入力していたという。電源が切れた真っ暗なスマホがベッド脇のテーブルに横たわっている。それは否応なしに死を連想させた。奥歯が、知らずにかたかたと鳴る。
晴夏が睡眠薬を? なぜそんなものを? 明るくて、いつも笑っていた彼女がどうして? 嗚咽も混乱も、止めることができない。
少し疲れている様子はあったけれど、わたしたちは未来のことを話していた。次のMVについて、ユニットのネーミングについて、開設する公式SNSについて……。信じられない気持ちと、目の前の現実が交錯して、胸が締め付けられる。
わたしは彼女の手を握り、ただ祈った。
何が晴夏を追い詰めたのか。
意を決して、晴夏の部屋を探ることにした。彼女の匂いが詰まっていて、それはわたしを苦しくさせた。
部屋を探っていると、机の一番下の引き出しが施錠され開かないことに気づいた。
鍵は、机にも、クローゼットにも、本棚にも、どこにもない。無意味に同じところを探して嘆息する。部屋をぐるぐるとする。
わたしは、夜半に晴夏から届いていた、かすかな共々感覚を思い出した。
小さく光る銀色が、海底のような黒に落ちる感覚。あの色は――。
わたしは、ピアノの蓋を開け、隠された鍵を見つけた。
引き出しのなかには、書きかけの楽譜。わたしからの手紙。二人の写真。そして、ノート。
ためらいながらページをめくると、それは晴夏の日記だった。
わたしは、晴夏にいつか質問をしたことを思い出していた。嫌なことがあったとき、彼女がすること。
震えながらページをめくる。語られなかった言葉が、彼女の筆跡で叫んでいた。
◇
「9月9日
いい曲ができた。
美穂にも新しい装丁の仕事が来た。
うれしい。
今日は美穂が家事やってくれたから、
明日は私がやる。
9月11日
変だ。音が色に見えないときがあった。
美穂もそばにいた。
気のせいだと思ったけど、二回あった。
色が、ぼやける。
9月18日
イベントをこなせてよかった。
音が色にならないことが増えてきた。
今日は五回。
曲がつくりにくい。
あの感じが、消えていく。
自分が自分じゃなくなる。」
わたしはページを握りしめていた。
何も知らずにいた間、彼女はこんなにも孤独に囚われ、戦っていたのか。
彼女らしくない乱雑な文字に、変わっていく。
「9月20日
隠すのしんどい。
音楽を色に変えるから、
一緒にいられるのに。
感覚を分かち合えなくなったら、
どうなるんだろう。
こわい。
9月24日
クソクソクソクソクソクソクソクソクソ
やだやだやだやだやだやだ
色が見えない
いっしょに作れない
いる理由がなくなる
私はゴミだ
あなたに言えなかった
9月25日
なんで、あなたはきづかないのだろう?
ぜんぜん音が見えなくなったのに
もしかして」
息をのんだ。
確かに、わたしはずっと不自由なく、色を聴いて描いていた。
「9月26日
美穂だけ色を聴けてる?
→私からのテレパシーじゃない
→美穂の中だけ共感覚
→いつも一緒にいるから気づかない
→一緒にいないときはなんで?
9月27日
わかった
あなたは思い込んでる
9月29日
ずるい
あなたは私がいなくても色を聴ける
盗られた
私だって作曲に色が必要なのに
笑ってる顔がつらい
よろこぶふりしたくない
私は空っぽなのに」
うまく呼吸ができない。
晴夏は、共々感覚を失ってしまっていた。隠し通していた。
わたしは、自分だけの力で、色を聴いていたのだ。
彼女が聴いた色を見ていると、信じ込んでいた。
わたしだけが得たのは音を色にする、ある意味一般的な「共感覚」。
わたしは、自分の脳を思う。
幾度も刺激されるうちに、感覚野に特殊な電気信号の通り道が生まれる様子を思う。
電気信号の通り道をうしなった彼女の脳を思う。
シナプスとシナプスのつながりが永久に損なわれる様子を思う。
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