第5話
わたしも晴夏も、無事、東京の美大へ合格した。同じ大学の、油彩科と作曲科。
受験当日まで大騒ぎしたわたしと違って、晴夏は淡々と実技試験も筆記試験も突破し合格した。わたしのときあんなに喜んだ晴夏は、自分が合格したときは、なんだか落ち着いていた。美穂が泣きすぎたから冷静になった、と微笑んでいた。
東京は、地元から遠い。
一緒に住みたい。そうと言おうと逡巡したが、なかなか言えなかった。普通のルームシェアとはわけが違う。共々感覚によって、彼女の耳に入るプライベートな音のありようが、わたしも感知できるものになってしまうから。
にもかかわらず、彼女の方から話を持ちかけてくれた。「同じ家で、一緒につくろう」。言いたかった言葉を代わりに言ってくれた彼女を、カフェという場所もわきまえず抱きしめるほどに、喜んでしまった。
同居するアパートは、大学まで30分、直通の駅にある2LDK。
一緒に暮らしはじめると、晴夏が完璧な女の子ではないことが分かった。朝は必ず二度寝をするし、食器もすぐ洗わない。せっかくの白磁のような肌を、ろくにケアしないで寝たりする。でも、そんなところも含めて愛おしかった。
一緒に住んでいると、彼女の聞く音をたくさん見ることができた。それは、彼女の美しい顔を見続けることと同じくらい、豊かなことだった。
◇
シーツの衣擦れの音は、うっすらと虹色を描く。
月の光がカーテンの隙間からそっと差し込んでいる。セミダブルのベッドで身動きするたびに、シーツが擦れる音があたらしい色を生む。柔らかなラベンダー・イエローからオーキッド・パープルへ。陶然とした表情の彼女も、同じ美しさを感じているのが分かる。
晴夏の肩に触れる。彼女の小さな息の音は、ペール・ミントの輝きを放った。その色は夜の冷たさを和らげる温かさで、わたしたちの意識を包み込む。晴夏がわたしの髪を撫でると、パープルがちらついた。晴夏の爪は、ピアノを弾くために目を見つめ合い、同じ感覚を味わう。短く切り揃えられていて、くすぐったい。
晴夏がつばを飲み込む小さな音が、紅い波紋となって広がる。
わたしは、その色から晴夏が何を求めているのか分かった。
「美穂から聞こえる色は、特別」
つぶやきから生まれたサファイア・ブルーが、わたしたちのなかで広がった。
共々感覚は、わたしたちを身体より近くにつなげている。言葉は、いらなかった。
わたしたちはきっと同じ色の夢を見ながら、眠りについた。
夜にしじま、夢の狭間。深海のような黒に、小さな銀色がまたたいた。
わたしたちは、いつも一緒にいる。部屋の中でも、出かけるときでも。
晴夏の存在が、なによりのインスピレーションになる。彼女の顔を見ながら、彼女の音を描ける幸せ。晴夏がいなかったら、絵を描き続けられなかった。大学にも入れなかった。ずっと一人だった。
晴夏もまた、わたしの絵でインスピレーションが湧くのだと言う。
「美穂がわたしの曲を素敵に描いてくれるから、次の曲を作りたいと思うんだよ」
わたしも、彼女のためにもっと描きたいと思う。二人でいれば、世界は鮮やかだ。
◇
「そうそう、この曲こんな夕焼け!」
晴夏が、楽譜を握りしめながら、わたしの肩越しにタブレットをのぞき込む。
わたしは、デジタルとアナログどちらの手法も使うが、晴夏は手で音符を書くことや生のピアノを使うことを好んだ。DTMソフトに打ち込むぎりぎりまで、紙の譜面に鉛筆で書いては消し、試行錯誤していた。「書くと整理できるんだよね」。格闘している彼女の後ろ姿で、長い髪が揺れていた。
「ビルの向こうに日が沈んで、最後に太陽が膨らんで」
わたしは、タブレットの上で、タンゴ・レッドを塗り重ねた。彼女の音は、郷愁の色。わたしの役割は、その繊細なクオリアを絵で再現すること。
完成すると、わたしは背景と人物をレイヤーに分けた原画を、アニメーションスタジオへと送付した。協力してくれるのは、アニメスタジオ「プリポスト」。地上波のアニメも手がけている。彼らは、わたしの原画をもとに動画を制作することになっている。
二人にしか作れない、誰にも制作過程の分からないミュージックビデオ。
わたしたちは、現役女子大生アーティストとして商業的な仕事をはじめていた。レコード会社と契約した晴夏は、デビュー曲のミュージックビデオに、わたしの絵を起用することを希望した。一足先にわたしの名前が売れていたおかげで、希望は通った。
完成したミュージックビデオが公開されると、珍しいインストゥルメンタルにも関わらず、瞬く間に再生回数は10万を超えた。
「神MV」「めちゃ好き」「曲とビジュアルが完璧に調和」「美人すぎるコンビ」コメント欄は、おおむねポジティブといえる声であふれた。
「うれしいね、晴夏」
わたしはYouTubeのコメント欄をスクロールする。二人でつくったものがたくさんの人に届いていることに、胸がいっぱいになる。
「美穂の絵を、じゃましなくてよかった」
晴夏は微笑んだ。
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