第3話

朝の人混みの中で、晴夏を見つけるのは簡単だ。

色が聴こえたら近くにいる。晴夏は一人のとき、いつもイヤホンで音楽を聴いていた。モルディブ・ブルーのときが多くて、今日もそう。きっと、晴夏のお気に入りの曲の色。

肩を叩くと、クールビューティな顔が一変して、笑みが弾けた。

「おはよう!」

イヤホンをとるとき、長い髪から彼女の耳がこぼれた。この小さな耳と、わたしがつながってる。そう思い、まじまじと見てしまう。晴夏は不思議そうに首をかしげる。

ちょっと離れて後ろを歩く。平凡な容姿のわたしが、晴夏と並んだら彼女が変だと思われてしまうんじゃないか。そんなことを考えて。

晴夏は歩くテンポをゆるめた。染まった頬がバレそうで焦る。

教室の前で、じゃあ放課後、と言った。待ち遠しいね、と返してくれた。


          ◇


「いい海が、聴こえた」

わたしはささやく。絵の具をマグノリア・ブルーに溶け合わせ、筆を走らせる。

晴夏の指が鍵盤を舞う。持ち込んだキャンバスに、海ができていった。

「澄んでるね」

「ほら、波来たよ」

旋律がリフレインする。わたしは、押し寄せる波を描き重ねた。音が強まると、濃い青が打ち寄せ、音が穏やかになると、薄い青が引いていく。スイート・ピンクが、水面できらきらと反射している。

「泳ぎたい」

「気持ちよさそう」

話している内容を聞かれたら、おかしな二人に見えてしまうから、耳元でささやき合うのが癖になっていた。

わたしたちは、放課後の音楽室に集まる日々を続けていた。

言葉よりずっと、たくさんの感覚を交換した。


共々感覚を使って絵を描く。それは、予想以上にうまくいった。

わたしは、「正しい色」を簡単に見つけることができた。テーマをもっとも際立たせる色、たいていは大胆なその色を。

のみならず、楽曲に込められたモチーフ――例えば海、森、建物、乗り物、人――までも具体的に浮かび、作画を助けてくれた。

調べたところ、一般的な共感覚は、「色聴」と言われる色が浮かぶ程度が多いようで、形も浮かぶ人は少数派だった。わたしたちの共々感覚には、強力なイメージ喚起力があるようだ。


海の絵を眺めながら、晴夏はゆっくりと言った。

「わたしも、つくりたい」

晴夏は、ピアニストを目指している、と会ったばかりのとき言っていた。

「本当は、演奏だけじゃなく――ずっと曲が作りたかったの」

わたしが創作する姿を見ているうちに、曲をつくりたい気持ちが溢れたのだという。

「作曲、音楽教室の授業でやったことがあって。でも、難しかった」

「作れなかったの?」

「作れた。――好きな曲に似てる曲、だけ」

「枠からはみ出せない感じ?」

「そう。それでやんなっちゃって」

「分かる。わたしも、そうだった」

そう言って、わたしはスケッチブックを渡し、以前の凡庸な絵を見せた。神妙な顔でページをめくる顔に言う。

「昔から絵うまいけどなあ」

返す言葉を見つけられず、代わりに言う。

「晴夏なら、作曲できるよ」

「美穂と一緒なら、できそうな気がする」

晴夏は、顔をあげてにっこりとした。

彼女の指先がメロディを探り出す。晴夏の横顔は真剣だ。目を閉じて音を見ている。

長い時間、色が野放図に舞っていた。

やがて音の粒が揃い、色のパズルが組み上がっていく。

「あっそれいい」

つい声を出す。彼女の口角が柔らかく持ち上がる。


「できたかも」

晴夏は、深く呼吸してから、指を鍵盤に置き直す。

左手が、四分音符で低音を刻む、クイーン・チャコールの連なり。2オクターブほど上を、パワフルなメロディが彩る。ハーモニー・グリーンが、濃密に生い茂る木々のよう。リフレインされるたび樹木が立ち上がり、緑が溢れていく。ときどき、ホース・ホワイトの装飾音が、枝のあいだから陽光のように差し込まれる。わたしたちは、森にいる。

「どうだった?」

音楽のことは詳しくはないれど……。

「すごいよ! かっこよくて、凛々しくて、力強くて、――晴夏みたいな曲」

「ありがとう! そっかあ……うれしい」

「尊敬する……!」

「頭の中で色を塗りながら曲をつくってみたの。美穂が絵を描いているところを思い出しながら」

わたしは、いつもの音から色をつむぐ作業が逆回しになった映像を思い浮かべた。


「共感覚を持ってた作曲家は結構いて」

晴夏の頬はほんのりと紅潮していた。

「そうなんだ。画家もいるもんね」

「そんな人たちみたいに作れたらって思って、調べてみた」

「うん」

「作曲家のスクリャーピンは、音に色が見える共感覚を持ってた。ピアノの鍵盤と照明の色を連動させた改造ピアノを作ろうとしてたんだって」

「現代アートっぽい」

「メシアン、リスト、シベリウス、リムスキーも共感覚持ってたみたい」

ちょっと分からない名前が出てきた。わたしの表情を見ながら晴夏は言う。

「レディー・ガガも」

「好き!」

「ガガは、作曲するとき、音が色の壁に見えるって言ってた。そういう感覚、つかめそう。――ね、一緒に描いてよ!」

あたたかいオリジナルの旋律が、紡がれ始める。音が誘うままに、わたしは、人混みの生徒のなかで振り返る晴夏を描く。淡いパープルを基調に。ひとりだけこちらを見る少女へ、伸ばす手。晴夏が絵を横目で見る。スモーキー・パープルが、メロディへ再構成された。八分音符の和音が刻まれる。少女に向かって駆けるリズムだ。絵の中で彼女へ追いつく瞬間、晴夏が力強く最終和音を奏でた。

彼女はペダルからゆっくり足を離しながら、陶然としたわたしへ言った。


「次は、どんな色の曲が聴きたい?」

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