第10話(その3)
「あの日は、胸をワクワクさせながら、車で重工神戸さんへ行きました」
山岡はもう四十を超えた筈だが、そう言う顔はまだ青年のようであった。
「部長室へ入ったら、開口一番『山岡さん、残念やった』ですって」
と、山岡はいかにも残念そう。
設計部長曰く、監督がモデルルームで『このテーブルは駄目だ』と言ったとか。指摘があったのはティーテーブルで、オーバル型の天板の縁に、細い丸棒の細工で転び止めがついていた。
「部屋に合わせて白のテーブルで、可愛らしいデザインだったのですが」
と言う山岡に、
「何が駄目だと言ったのですか?」
と、柿岡が尋ねた。
「それがね『これは危ない。うちの船は研修目的であって観光ではない』そう言われた瞬間、目の前が真っ白になりましたよ」
と、山岡の口調にはまだ悔しさが残っているようだった。
「研修船、ですか、桜丸は?」
と、柿岡は時津と顔を見合わせながら、そう言った。
「早く言って下さいよね、こっちは客船だと聞いたから、北欧家具だと思って……」
そう言って山岡は焼酎の入った透明なグラスを乾す。
その店で時津が頼んだのはビールと焼酎。いずれも現地の銘柄だが、焼酎の飲み方は日本と違う。
透明な360mlの瓶に『真雫』のラベルで、『zhēn nǎ』と言う焼酎は、透明な味だった。季節に関係なく常温で飲むのが常で、山岡も時津も飲み慣れているのであろう。ただ柿岡は長崎の焼酎が恋しかった。
「ただですね、モデルルームを撮影したTV局のクルーが、うちのが一番だって――」
そう設計部長が言ってくれたと、山岡は嬉しそうなオチで話を締め括った。
それは重工神戸の設計部長が、気を利かせたのかも知れないが、と柿岡は感じだ。だが彼らが造った桜丸は五井商船の威信がかかった客船の筈、それが研修船とは、やはり柿岡も以外だった。
「しかし桜丸のコンセプトが研修船とは、意外ですね」
と、時津も同じことを思ったのであろう、そう言いながら柿岡の顔を見る。
「いや、私もそう思いました」
と、柿岡も応じた。
「まあ話に聞くと、日本の客船人口は内外航合わせて20万人位とか、それではね」
山岡の嘆きはもっともだった。
この年、日本人の海外旅行者数は一千五百万人を超える勢いだった。それに比べ、日本の客船人口はわずか20万人ほど。東西南北を海に囲まれながらも、この数字では、客船を建造しても採算が取れるはずがなかった。
「桜丸の計画が出た時、五井造船の設計さんを招いて、北欧の客船を案内しましてね……」
やはり造船所上がりの商社マンらしく、山岡の客船に対する思いは尋常ではなかった。
「日本の客船は『Officeと赤提灯の並ぶデッキを分けて、夫は週末以外はそこで過ごす』、というコンセプトが良いと、五井の設計部長には言ったんですけどね!」
と山岡が言うと、
「それなら客船に乗る意味がないじゃないですか!」
と、時津が大声で笑ったのだった。
(つづく)
燃えるダイヤモンド(前編) 船木千滉 @mikami241123
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