第20話 北風吹いて
アントニーは植え込みの側にしゃがみ、一心に土を見つめていた。
風もある冬の日の午前だ。
綿の入った温かな上掛けを着てはいても、かれこれ十五分はこうしているのだから、身体は冷え切っている。
クシュン、とかわいいくしゃみをしたところで、後ろに立ったコリーが耐え切れずに足踏みした。
「坊ちゃま、さすがに冷えてきましたよ。一旦中に入って考えましょうよ〜」
「うん……」
返事はするが、アントニーは立ち上がる気配がない。
まだここにいたいのだ。
こうなったら決して簡単には動かないであろうアントニーを、どうやって動かそうかとコリーは頭を悩ませた。
好きにさせてやりたいが、このままでは風邪を引いてしまうだろう。
もちろん、自分も風邪を引きそうだ。
「あれ、アントニー坊ちゃん、ここで何してるんですか?」
声を掛けられて、アントニーは顔を上げた。
アントニーの方へ歩いて来るのは、厨房の製菓担当料理人の一人マルタンと、庭師のニコだ。
今アントニーが陣取っているのは、館の裏手、庭師小屋へと続く通用路側の植え込み前だ。
この通用路は、業者が行き来するだけでなく、庭師小屋の側にある小さな畑へ、料理人達がハーブを採りに行く為によく通る。
今日はマルタンが採りに行くタイミングに当たったらしい。
アントニーは嬉しそうに手を振った。
マルタンは、アントニーの好きな使用人の一人だ。
彼は丸っこくて短い指で、いつだって魔法みたいに可愛らしいお菓子を作るのだ。
「あのね、ダンゴムシを見てたんだ」
「ダンゴムシ?」
「そう、この土のところ。ちょっとだけ見えてるの」
マルタンは丸っこい身体を前屈みにして、アントニーが指差した所を覗き込む。
落ち葉が数枚土に埋もれかけた所に、丸まったダンゴムシ達が見えた。
「今回もよく見つけましたねぇ」
マルタンが笑って言った。
前にも寒空の下でアントニーが
だからアントニーは、マルタンが一層好きになったのだ。
アントニーはにこりと笑った。
「冬眠してるんでしょうかね」
「うん、多分。だからね、温かい僕の部屋に連れて行ってあげたらいいと思うのだけど、どうやって運んだらびっくりさせないですむか、考えてて……」
マルタンの横からニコが覗き込んだので、アントニーは口を噤む。
アントニーは人見知りなのだ。
元庭師のネルの孫であるニコは、領主館で働く庭師の中では一番の若手で、アントニーも知ってはいるが、話したことはなかった。
「う〜ん、冬眠して春を待ってる生き物ですから、温かい所へ連れて行くと、今がどんな季節か分からなくなっちゃうかもしれませんよ?」
「……そうなの?」
ネルのように優しい調子で言われて、アントニーの警戒が薄まる。
ニコはアントニーを見て微笑んだ。
焦げ茶色の瞳は優しい色だ。
笑った顔が、ネルが笑った時の雰囲気によく似ていて、アントニーは更に安心した。
「坊っちゃんも、一晩寝ただけなのに急に春が来たらびっくりするでしょう?」
「起きて急に春だなんて、わからないよ?」
「寝る時は寒かったのに、朝起きて温かいとびっくりするじゃないですか」
アントニーは首を傾げた。
「寝る時も、朝も、温かいよ?」
アントニーとエミーリエの子供部屋は、この時期暖炉で暖められている。
寝る前まで温められている暖炉には、朝方メイドが再び火を入れて、アントニー達が起き出す頃には、部屋は温まっているのだ。
「ああ〜……そうですよねぇ」
寝る前も起きる時も寒い使用人とは違うのだった。
ニコはそれを思い出しながら、隣のマルタンに視線をやる。
どう説明したら、“急に春になる”という現象を説明出来るだろうか。
視線で助けを求められて、マルタンは何か分かりやすい例えはないかと考えながら、太い人差し指を立てた。
「え〜と、ほら坊っちゃん、目が覚めて、急にいちごが周りになっていたら、びっくりするじゃないですか」
出された例え話に、ニコは困惑顔になるが、アントニーは深い空色の瞳を輝かせた。
「いちごがなっているの!? 素敵だ!」
「そうでしょう? 素敵でしょう? 起きてすぐいちごがあるなんて、夢のような春ですよねぇ」
「うん! 僕ね、マルタンが作ったいちごジャムが大好きなんだ。起きていちごがあったら、たくさん摘んでマルタンの所に持って行くね!」
瞳をキラキラとさせながら、アントニーが嬉しそうにそんなことを言うので、マルタンは気分が良くなって笑みを深める。
小鼻が膨らんで、鼻の穴が大きくなった。
「任せて下さい! その時は絶品のいちごジャムを作って、アントニー坊っちゃんのお茶の時間に添えますよ!」
「お茶の時間に?」
「そうです。焼きたてのスコーンに、出来上がったばかりのいちごジャムとたっぷりのクリーム。最高でしょ!? そうそう、砂糖代わりにジャムを紅茶に入れても美味しいんですよ?」
「紅茶に!?」
「はい、ホットジャムティー。オレンジマーマレードでも美味しいですねぇ。ジンジャーも効かせると今の時期にはぴったりで、とっても温まるんです」
アントニーは大きく目を見開いて、立ち上がった。
「飲みたい! コリー、寒くなったから戻ろうよ。僕、ジンジャーが効いたホットジャムティーが飲みたい!」
「そうですねぇ。ハイハイ、戻りましょう」
アントニーが屋内に戻る気になったので、もはや内容はどうでも良くなったコリーがそそくさとアントニーを中へと促した。
満足気に手を振るマルタンの隣に立ったニコは、一人困惑顔のまま呟いた。
「ダンゴムシはどうなったんだっけ?」
ひゅるる〜と音を立てて、北風が通用路を抜けていった。
《 北風吹いて/終 》
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