主従の間には ⑵
その日、厨房の隣にある広間に、使用人達が休憩をする時間に合わせて、コリーがアントニーを連れて来た。
何事かと驚く彼等の前で、アントニーは「昨日は本当にごめんなさい」と頭を下げたのだった。
「コリー、こんなことさせて良かったの? また罰を与えられるわよ」
壁際に立ったコリーの側に、女料理人のオルガがやって来て言った。
幼いとはいえ、貴族の令息が使用人達に直接頭を下げることは、良しとされないだろう。
おそらく、知っていて止めなかったコリーは、また何らかの罰を与えられることになる。
使用人達に囲まれて、ようやく表情が戻ってきたアントニーを見ながら、コリーは大きく溜め息をついた。
しかしその瞳には、僅かに柔らかさが滲む。
「そうね。専属は外されるかも」
「それならどうして……」
「坊ちゃまが自分で考えたからよ」
床に広がったスープを見て、これは
使用人が食べるものであったのなら、それを駄目にされて、彼等は昨日一体何を食べたのか……。
それを想像し、自分がしたことの意味を知り、反省し、自分の言葉で謝罪するべきだと考えたのだ。
「幼くても、彼は自分で考えて、自分で決めたの。それをどうして止められるの?」
どこか誇らし気に言ったコリーに、オルガもまた溜め息混じりに笑って、使用人に囲まれてはにかむ笑顔を見せたアントニーを見つめたのだった。
しかし、やっぱり専属侍女としては止めるべきだったかもしれないとコリーが後悔したのは、その夜のことだ。
ビシリと乾いた音がして、室内にいる者全てが身を震わせる。
いや、短い竹棒を
エドワードは、図書室から出たアントニーが、自ら使用人に謝罪したことを知り怒りを
アントニーの迂闊さを強く
本来なら、侍女長か女主人である奥方が行うべき罰だが、エドワードは怒りを発散するかのように自ら棒を手にして打った。
アントニーはその光景を見て怯え、先ほど泣きながら走り去った。
仕方がない。
彼はまだ幼いのだ……。
再びビシリと音がして、竹棒がコリーの
「思い違いをしているようだから教えてやる。使用人は
更に竹棒が振り下ろされ、コリーの口から僅かに苦悶の声が漏れた。
黙って耐えていたコリーの口から声が漏れたことに、エドワードは口角を上げる。
ようやく溜飲が下がり、エドワードはおまけとばかりにもう一度手を振り上げた。
「おやめなさい、エドワード」
広間の入り口に、腰までの金髪を揺らした美女が立っていた。
スラリと美しい立ち姿の彼女は、母譲りの美貌に、これまた母が怒りを滲ませた時と同じく、氷の気配を漂わせている。
長女のクラウディアだ。
そのスカートに縋り付くようにしているのは、顔を涙でグシャグシャにしたアントニーだ。
「姉さん」
「思い違いをしているようだから教えてあげましょう。この領主館で働く全ての使用人の
さあ、とクラウディアに促されて、アントニーはコリーに走り寄って抱きついた。
ごめんなさい、ごめんなさいと謝るアントニーを、コリーは抱きしめる。
それを忌々しそうに
「姉さん、私達はその領主の直系。後々主になるべく生きる者ですよ。従うのは道理でしょう」
「そうね。確かに私達姉弟を、
冷ややかな視線を真っ直ぐに向けられて、エドワードは強く眉根を寄せた。
「私達は、彼等にまだ自分の力で与えられるものはない。それでも彼等は、私達を支えてくれるわ。貴方の言う通り、私達が次代だから。これから先の領地を、私達にも支え守って欲しいと願っているからよ。その願いに応えられる能力もないのに、彼等を下に見るのはおやめなさい」
成人間近のクラウディアには、既に領地を支えていく貴族の気構えが備わっていた。
「……傲慢なのは、エドワード、貴方の方よ」
彼女の言葉と発する気概に、エドワードは完全に呑まれたのだった。
「もう泣かないのよ、アントニー。コリーの手当てが出来ないでしょう?」
エドワードが従僕や侍女を引き連れて広間を出て行った後、まだ涙の止まらないアントニーを、クラウディアは優しく撫でる。
痛みに脂汗の滲むコリーと目が合うと、クラウディアの表情は歳相応の笑みに変わる。
「相変わらず、立ち回りが下手ねぇコリー」
「お嬢様の方は、すっかり貴族然とした振る舞いが板につきましたね」
二人は軽く吹き出した。
コリーはクラウディアが寄宿学校に入る前まで、側近くに仕えた侍女だった。
歳は離れているが、まるで姉妹のように仲が良かった。
母の指示でベテランの侍女が専属に付いていた為、クラウディアの専属侍女にはなれなかったが、今でも気心の知れた仲だ。
「アントニーの専属になったなんて驚きだわ。私が嫁ぐ時には連れて行くつもりだと、言っておいたでしょうに」
笑いながら軽く
「コリーは、コリーは僕の侍女です姉様! 連れて行かないで! ねえ、そうでしょう、コリー?」
コリーはふと力を抜く。
エドワードの怒りを知って、泣きながら駆けて行ったアントニーの後ろ姿は、きっと忘れられないだろう。
彼は、エドワードの怒りを恐れたのではなかった。
縋るような目で見上げたアントニーの手を、コリーはポンポンと優しく叩いた。
この幼くも真っ直ぐな瞳を、どうして突き放すことが出来ようか。
「そうですね、坊ちゃま。私はこれからもお側におりますよ」
ホッとしたアントニーの顔を拭いて、コリーはクラウディアを見上げ、ニッと笑う。
「そういうことです、お嬢様」
「この、裏切り者」
クラウディアは唇を尖らせたが、一拍おいて、二人は楽し気に笑ったのだった。
《 主従の間には/終 》
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