第18話 主従の間には ⑴
新年を迎え、祝日の五日を過ぎたその日、厨房で騒ぎがあった。
領主の五人の子供達の下二人、四歳のアントニーと三歳のエミーリエが厨房に忍び入り、誤って大型の寸胴鍋を倒してしまったのだ。
中に入っていたスープは全て床にぶちまけられた。
幸い、煮込んで冷ますために置いてあったので、火傷をする程熱くはなかったのだが、滑って転んだエミーリエは、手と顔に小さな擦り傷を作り大泣きしたのだった。
「まったく! エミーリエに怪我をさせるとは、侍女も厨房の者達も、一体何をやっているのか!」
長男の彼は、天使のような妹のエミーリエを溺愛している。
側で怒るエドワードの姿に、涙目になったエミーリエが俯いた。
「エドワードお兄様、怒らないで。エミーリエがいけないの、だめだって言われていたのに…」
「ああ、泣くなエミーリエ。お前に責任はないんだ。ちゃんと止めなかった周りの者が悪い。何より、お前を連れて行ったアントニーが悪いんだ!」
今回、エミーリエを誘ったのはアントニーだった。
昼食後、厨房の人々が短い休憩を取る間に、こっそり中を探検しようとしたのだ。
祝いの五日を過ぎて、年末から続く慌ただしさも落ち着きを見せた。
しかも領主夫妻は、国主主催の新年祝賀の晩餐会に参席する為、昨日から領主館を留守にしている。
アントニーが冒険に踏み切るには、ちょうど良いタイミングだったと言えようか。
果たして、上手く二人は側に付く侍女達を
「アントニーのやつ、仕置を終えたら説教してやる」
エドワードが呟いた。
前領主の祖父により、アントニーは明日一日図書室に籠もるよう言い渡された。
アントニーは図書室でじっと過ごす事を、何よりも苦手としているからだった。
翌日、アントニーの専属侍女コリーは、図書室でじっとしている少年を見つめていた。
彼の横顔に表情はない。
生活全般をサポートし、
しかし昨日、コリーの目の届かないところで事件は起きた。
アントニーが故意に侍女達の目を盗んで行ったこととはいえ、あわや大惨事というところだった。
目を離した責任は負わなければならない。
前領主の老紳士の指示により、侍女長から言い渡された罰は、今日一日の食事抜きと、アントニーが図書室にいる間、座ってはならないというものだった。
コリーはそっと溜め息をついた。
夜まで立ちっぱなしなんて、やってられない。
足が棒になってしまうではないか。
それで、アントニーが図書室を出たいとぐずったら遊びに誘って座ってやろうと思って、カードをポケットに忍ばせていた。
侍女長が確認に来るが、彼女も暇ではないのだから、頻繁に来たりはしないはずだ。
それなのに、アントニーは図書室に入る時に「コリー、ごめんなさい」と言ってから、思い詰めたように机の上を睨んだまま、長い時間黙って座っていたのだった。
どれ程の時間、そうして過ごしただろう。
ふと、アントニーが顔を上げて、コリーに話しかけた。
「コリー、あの鍋のスープは、誰が食べるものだったか知ってる?」
「……さあ。どうしてそんなことを?」
「あんなにたくさんのスープを駄目にしたのに、昨日の夕食も、今日の朝食も、
昨日の夕食には、いつも通りに焼きたてのパンと新鮮なサラダ、肉や魚の主菜が。
そしてスープには、美しくカットされた野菜が入った、ハーブの香るトマトスープが並んだ。
今朝のスープは、アントニーの大好きな甘めのチャウダーだった。
そのどちらも、厨房で床にぶちまけたスープとは違った。
床に広がったスープの具は、形もまばらな野菜や肉片だった。
アントニーが口にしたことのない、煮崩れた芋や野菜クズがたっぷり入ったスープ。
アントニーはお喋りが大好きなコリーから、使用人達の生活について色々と聞いたことがある。
その中には、彼等の食事についての内容もあった。
忙しい彼等の普段の食事は、貴族のように品数はなく、具沢山のスープ一杯とパンで空腹を満たすのだと。
「ねえ、もしかしてあれは、厨房の皆が食べるものだったんじゃないの?」
コリーは、しばらく黙ってアントニーを見つめた。
彼の濃い空色の瞳は真剣だ。
「そうだとしても、もう終わったことですよ」
「ううん、終わってないよ、コリー。終わってない……」
アントニーはふるふると首を振って、一度ギュッと唇を引き絞った。
「ちゃんと教えて、コリー。厨房の皆は、昨日何を食べたの?」
《 つづく 》
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