黄昏の語り、十六話

               「16」


 借家に戻ると浄化魔法の連続発動である


 これでもかと埃対策を終えると食堂で荷物を広げる。


 スリ餓鬼、食料品、調理器具、薪、魔物除け魔道具、毛布、尻ふき紙。その他多数。


 ベッドのある部屋に行くと食堂隣でベッドに被せられた埃カバーを外し浄化魔法を使用。スリ餓鬼を放り込んで毛布を被せる。死んでたら役所に提出、自分は食事作りに食堂へ向かう。ここは暖炉がありテーブルがあり椅子があり広く道具を広げ調理しても空間が余り便利である。


 自分の好物、牛のワイン煮込みを乱暴な手つきで作りブーケガルニを極めると味見。

 

 悪く無い。


 一人肯き後始末を実行。暖炉に薪を放り込み暖かくして、テーブルを拭き鍋敷きに鍋を置き、黒パンの大山籠を設置、安酒の入った瓶を広げ付け合わせに作ったサラダに塩コショウと酢をかけ皿に取り寄せる。買ったばかりのホークとナイフも用意。さて喰うか……視線を感じるので錆びたブリキ人形のようにトマが振り向くとスリ餓鬼が元気に起き出しお腹を押さえ涎を垂らして食事を見つめる。握ったホークとナイフを皿に投げ捨て、トマが不貞腐れて言った。


「喰えよ……」

「いいの?僕は」

「俺の財布を狙ったな……だが、俺もお前の腹をダガーで刺した。許してくれるなら、飯を奢る。怪我が治るまで面倒も見る」

「本当?ありがとうっ!僕の名前は……」

「言うなっ!俺はお前を助ける気が無い、傷が治るまでに身の振り方考えろ。俺に頼ったら殺す」

「……うん……」


 言い終えたトマは席を譲る。スリの餓鬼はノロノロと近付き食事に入る。久しぶりに真面な食事であったらしく泣いて食べまくっていく。獣人は一般に身体能力が優れ頑健、特に山羊獣人ムフロン種の場合、チビで適応能力高く、粗食によく耐え、勤勉である。少なくてもこの混血児は痩せこけているが食事を吐かない程度に頑丈だった。明日の朝飯分も作ったのに喰い尽くされていく、諦めて黒パンと野菜の切れ端をまずそうにトマは齧った。その内にスリ餓鬼はトマの用意した酒瓶にまで手を伸ばす。かっこみ過ぎて喉がつまり押し流す水が欲しかったようである。酒を一気飲みして目を回し顔を赤くして気絶した。呼吸正常、トマは、それだけ確認すると浄化魔法で餓鬼の体内アルコールを飛ばし、グンニャリとした餓鬼をベッドに放り込んだ。鑑定魔法で調べると、ダガーの刺し傷が開いている。回復魔法一回だけ使用。これ以上は餓鬼の体内栄養が足りず逆効果である。


 トマは食堂に戻り荷物を片付けるとまるで野営地に居るように座って眠りについた。


 ―――、夜半、冬の夜、お酒を飲んだ体と不安定な精神へ闇が誘い子供を起こす。おトイレに起きたスリ餓鬼は灯りの足りない借家をうろつき結局食堂でカンテラを借りトイレを発見、用を足す。そのまま食堂に戻りカンテラを同じ位置に戻す。その時座って眠る鎧男を見てしまう。眠る時でも兜を脱がず顔すら見せない、だが、食事をくれた。一つしかないベッドを譲ってくれた。財布を盗んでも許してくれて殺されなかった、―――


 その事が嬉しくて微笑み、山羊獣人の子供はトマを見つめる。


 背中の大剣が気に成る。新品で恐らく赤色魔法鉱石を鍛えた業物。買えば幾らであろうか?五百万タットは行くであろう。そんな物をこの若さで買えるわけがない、きっと両親に愛されていて強請ったら買ってもらえる裕福なお家があるのだろう。彼の首には冒険者プレート、等級は山羊獣人の子供と同じGランク。冒険者に成る志を持ち、こんな高価な大剣をポンと買ってもらえるんだから、きっと立派な教師が何人も付いて剣技を優しく教えてもらえて、苦労はしたことなくて、魔物に負けた事も無くて、飢えや寒さ虫に食われる惨めさも知らなくて、冬の街路に放り出されてお母さんに捨てられる悲しみも知らないんだ……


「……なんだか腹が立って来た。僕は……」


 山羊獣人の子供がトマに向けた憧れは簡単に黒々とした憎しみに変化していた。栄養欠乏、体力払底、アルコール摂取、ダガーによる肉体損傷、長い路上生活による疲労と精神不安、混血児への言われない差別の山。多くの物が重なり、山羊獣人の子供は思考が狭まりトマへの勝手な憎しみばかり膨らませていた。山羊獣人の子供は闇に誘われ起き出し夜の冷たいベッドに戻れず、灯りのある薄暗くも暖かな食堂に座るトマから離れられなくなっていた。それを咎めるように、トマが懐に握り込んだ図多袋が眠るトマの指からずり落ちて床に落ち大きな音を立てた。


 子供はその音で驚き正気に戻るが、図多袋から零れ落ちた品を見てしまう。

 

 白紙の本、筆記用具、カンテラ油、そこまでは気にもならなかったが次の品が見逃せなかった。


 美しい高価な女物の飾り櫛。


 娼婦化粧の香りが鼻につき刻印はまごう事無きムサンナブ娼婦の階層を示す刻印。山羊獣人の子供はそれを凝視する。母親に捨てられる前、子供はお針子修行をしていたが、ある日差別に耐えられなくなった母親が隣国へ逃げると残された子供は後ろ盾を失い一気に困窮、臆病な山羊獣人だが、命懸けで魔物と闘う冒険者か、男に媚て股を開く娼婦の仕事しか残らず、縫物師に成る道は閉ざされていた。どちらも嫌だが、混血児として男に抱かれる事が怖かった子供は、冒険者に成り、慣れない仕事に苦しみ混血故に差別され仕事の上がりをカツアゲされることが増え食べられなくなり結局……トマの財布狙う今日が来ていた。


 子供は自分の人っぽい顔を触り、次に自分の頭に生えた獣っぽい捻じれ角を触る。


 そして、まだ名も知らぬトマを思う。高価な大剣を買ってくれる両親が居て、料理も出来るほど生活力があって、男なのに魔法を使ったように清潔で、一人旅できる勇気があって、おまけに娼婦の恋人がいる。


 そしてお金持ち、盗みに触れたあの財布。

 財布は重かった。中身は見ていないが重かったのだ。


 子供が持っていない全てを持つトマが憎くて憎くて床に転がる櫛を拾う。腰からちんけな使い減りした工作ナイフを抜く、人気娼婦が持つにふさわしい流麗な櫛と、戦闘にすら使えそうもない、自分の全財産である壊れかけ工作ナイフ、見比べた時子供のタガが外れた。


 ―――、この櫛を壊せば、僕の十分の一くらいはこの人は苦しむのではないだろうか?


 そう考えて止まらなくった。

 現実は違う。


 スザンナの遺品を壊しても一瞬だけトマは切れて子供獣人を切り殺し明日の朝にはション便でもして死体諸共忘れられる。スザンナの遺品も、スザンナの記憶も、困窮した山羊獣人の子供も等しくトマにとって眼中にない、その悲しい未来が確定するだけである。

 

 だが子供は左腕で掴んだ櫛を固定、右手でナイフを握り振り上げる。

 不安定な精神が命じるままに全力を込めて振り下ろす。


 このまま行けば櫛は愚か子供の手もずたずたに成るであろうが全く力加減できず破壊へ走った。


 食堂でちんけな凶行が起きる。櫛が狙われ破壊される瞬間山羊獣人の子供は手に衝撃が走るのを感じた。破砕音、破片が跳び鍋にぶつかり止まる。トマは鋭く起きて大剣を振り切った姿勢で固定、子供を凝視して動かない。スリ餓鬼はトマと大剣を見て、左手の壊れていない櫛を見て、ぎゅっと目をつぶる。大剣が振り切られた。この間合いでは自分は死ぬ。装甲も無い子供の肉は骨諸共に両断される。でも、あの男は、自分の大切なものが壊されそうな時素早く起きて障害を排除する。それが出来る男だったのだ。


 山羊獣人の混血児はどこか嬉しそうに見当違いにトマへ憧れを乗せて目をぎゅっと強く瞑る。


 だが十秒待っても痛くない。斬られたと思ったけど痛くない。


 服がぶつんと切れる音がした、どさっと物が落ちる音が聞こえた。きっとお腹を切られて臓物が零れ落ちたんだ。深手過ぎて痛みに気付けないんだ。そう思い込んだが変だったので思わず目を開ける。


 トマが嫌そうに大剣をゆっくり仕舞っているとこだった。


 切れ落ちたと思ったのはオンボロ服でトマは精妙に右手のナイフと服だけを切っていた。本当はナイフだけを切るつもりが寝起きの突発事態で思わず手指が滑り服まで切って、スリ餓鬼のお腹も薄く半ミリ斜め一文字に切り裂いていた。大剣を鞘ごと床に投げ捨てるとトマは舌打ちして回復魔法を餓鬼にした。腹の薄い長い傷が消えて行く。スリ餓鬼からスザンナの遺品を奪い返す。そしてトマは吠えた。


「最悪だ……くそがっ女かよ!」


 トマが切り裂いた服の下、顔と胸とお腹の毛は無いか薄いが他は無数の山羊毛を纏い、痩せこけた体があらわとなり腰のくびれとわずかな胸のふくらみが丸見えだった。スリ餓鬼は女だった。その事実にトマは思う、俺を生み、嫌々ながら生かした母親も女、俺が助けられず見捨てて死んだ後輩魔法兵候補も女、盗賊時代最期、死ぬしかない戦場で仲間諸共俺を逃がして死んだ魔法兵連中も女っ!ロックの糞馬鹿魔法使いの強盗から俺を守って死んだスザンナも女!俺が理不尽に殺しかけてしまったこの餓鬼も女っ!


 女、女、女、女、女っ!世界の半分は女だ糞ったれ、そして自分は女に借りがある。

  

 トマにはスリ餓鬼を殺せなくなっていた。

 それどころではない、下着だけのそいつにマントを投げつけこう言った。

「おいっ!」

「ひゃいっ!」

「……てめえ名前は……」

「何で?」

「良いから答えろっ!」

「……あの……何で?」

「チッ!質問を変える。誰か助けてくれる奴はいるか?当てに出来そうなやつだ」

「いない」

「なら後ろ盾は?孤児院とか親とか……あんだろ?」

「父さんは紛争時の敵兵で、どこにいるか知らない……母さんに、は、捨てられた……孤児院は……石を投げられて、大怪我して、それ以来行ってない、で、、す」


 その話を聞いてトマは発狂した。手をぐるぐるぶんぶん回し六秒で飽きて辞めこう言った。

「俺が後ろ盾に成る……お前が働いて喰って行けるようになるまで……面倒を見る……」


 弱々しい宣言だが山羊獣人の混血児は確かに聞いて耳を疑って尋ねた。

「何で?」

「うるさいっ!俺はなあッ!女に借りが溜まっちまったんだよっ!大人しく助けられろっ!」

「ええ~!?」

「後ろ盾がない、ならっ諦めろ。今日は大人しく寝ろっ!ベッド行けっ!」

「ひゃいっ!」


 都市ムフローネスの闇夜が変に歪んだ瞬間である。


 狂気から抜けた冬の夜、トマは痛いほど熱い兜を脱ぐ。

暖炉であったまり過ぎたせいである。子供はその顔を見つめる。

 傷塗れ不細工怖い、無骨な紳士を期待したら悪い魔獣みたいな顔が出て来た。

「さっさと行けっ」

「ひゃいっ!」


 トマに怯えて子供はベッドに逃げ込みドキドキしていたが疲れと満腹のせいで朝までぐっすりと眠りこけていた。混血の山羊獣人孤児はこの日、冬の路上ではなく、暖かな家のベッドに居る。冬に負けない悪い狼の様なトマに捕獲され十歳の山羊子供は優しさではなく運で生き延びた。


 雲の上、月が歪んで笑い、二人の出会いを嘲(あざけ)る。

 ハンナ婆さんが示した運命が早くも歪み、トマの胸に隠した魔法のペンダントが僅かに輝く。

 独りではなくなっていた。しかし、トマは気付かず不機嫌に眠る。

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