第35話 父親


 それから十日間は平穏だった。

 おっさんとの共同生活はせまっくるしいとはいえ避難所生活みたいなもんだと思えばまあ我慢できるし意外とあっさり慣れてしまった。

 ただ朝目覚めると走りたい衝動がどうしても湧きあがるのだがこれはどうにかして押さえこむ。

 おっさんはたいてい毎日どこかへ出かけていく。

 その間私は勉強したり、ネットでフリーメイソンの話題を漁ったりしている。

『日本版フリーメイソン』に関しては毎日なにかしらの新情報がネット上に上げられていて、おっさんによればその大半はもうママが仕込んだ情報ではない。ベールに包まれたフリーメイソンの秘密を追う欲求、よく言えば知的好奇心だけど実際のところはたぶんたいてい野次馬根性や覗き見趣味を満足させるための虚実入り混じった情報がネット上に氾濫しまくって、もうそこから真実らしい情報をえらび出すのが困難なほどだ。

 そこもママの作戦なのだとおっさんは言う。騒ぎがおおきくなれば世間が注目してくれる、大きな流れができてしまえば抗いようなく会の秘密は白日の下に曝されていく。

 もう私に秘密にしておくのはむりと悟ったのか、おっさんはすこしずつ私の疑問に答えてくれるようになった。


 ママが死んじゃってから急にがたがたまわりが怪しくなるんだもん、ママもいい気なもんだよね。生きてるあいだにぜんぶ片づけてくれればよかったのにさ。

「さいしょは石積会いしづみかいの方では問題にしていなかったようだ。だがうわさがおおきくなるにつれ、放置していられなくなったんだろう。うわさの出所がどこにあるかを調べ、かなでにたどり着いたのがおそらく奏の死んだ直後だ」

 わざとそうなるように加減して、うわさを小出ししてたんじゃない? 自分は害をこうむらないよう安全なとこにのほほんと座ってさ、我が亡きあとに洪水よ来たれ、あとは任せたよろしくね、ってなもんよ。そういうとこあるよね、ママって。

「…………否定はしない」

 私たちはにがい想いで顔を見合わせた。ママに振りまわされるのには慣れっこだ、って者同士の顔で。

 でも石積会も石積会だよ、ママが死んだんだからそこで終わり、ってなんないの? 私を襲ってなんになるの? ママがなにしたって私に罪はないし、なんにも知らないし。見せしめに私を殺そうってわけ?

「奏が生きていたなら、奏を殺していただろう。石積会とはそういう組織だ。だが娘にまで手を下すことはない。おれの知る限りはな。問題は、いまも新たな情報がもれつづけていることだ。やつらはそれを看過できない。会の存在、活動、会頭、関係者……そんなものが世間の知るところになれば、存続の危機だ。組織の秘密は守られなきゃならねえ。情報のリークを止めること、そのためなら関係する者すべてを殺す。そういうやつらだ」

 じゃあ、ママのプログラムを止めて、情報リークをストップさせれば? 吾妻サンならできるんじゃないの?

「……だめだ。奏が石積会の壊滅を望んでいるなら、おれはさいごまで付き合う。おれがすべきはなによりも、奏の望みを実現させることだからだ」



 けっきょくおっさんの行動原理を貫いているのはママの遺志なのだ。石積会をやっつけるのも、私を守るのも。そのおかげで私はこうして無事でいるのだし素直に感謝しておけばいいと割り切ったつもりだったけど、それでもなんだか割り切れない想いが心の奥底でわだかまっていてずっとじくじくうずいてる。

 おっさんにとって私の存在がママを通してしか価値をもたないかのように思えてしまう。ちゃんと私に向き合ってほしい、ママの形見としてではなく私そのものを見てよって言いたくなる。

「あとすこしだ。おまえはなにも心配するな」

 とおっさんは言う。私をかやのそとに置いておくことが私の安全への気づかいなのかもしれないけど私がほしいのは安全ではなくって、一人前の人間として――この危機に共同で対峙するパートナーとして認めてもらうことなのだ。

「心配するよ。吾妻あづまサンが外で危ない目にあってんじゃないかとか逆にとんでもない罪を犯してるんじゃないかとか警察につかまってたらどうしようとか、ひとりで留守番してたらいろいろ想像して心配するに決まってるよ」

「ここに籠っていれば心配ねえ。おれがどうなろうとおまえはここで――」

「私じゃなくって吾妻サンが心配なの!」

 わからず屋のおっさんめ。自分が守ってもらうためにおっさんを危険にさらして、それでおっさんがどうなっても自分が安全ならそれでいいなんて私が考えるとでも思っているなら、とんだわからず屋だ。

 怒りのこもった私の目を、おっさんはしみじみと見つめた。なにかむかしを懐かしんでいるような、ずっと記憶の底にしずみこんでいたものをふと見つけたとでもいうような、そんなせつない目だと私はいっしゅん思った。

「おまえの父親の名は出雲いずもという」

 やがておっさんは、私から目をそらして言った。

「話をそらさないで」

 と私は責めた。お父さんの話はそりゃ聞きたいのはもちろんだけれどそれをこの場でもちだすとはずるすぎる。

「父親の話を奏はしたか?」

 しかたなく私は首をよこに振る。

「だろうな。いつか話してやる――おまえはすこし出雲に似ている」


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