第33話 遺言
狭いバスルームでシャワーだけ浴びて出てくると、おっさんがパソコンを睨んでキーボードを叩いている。
「なにしてんの?」
気安い好奇心で画面を覗くとそこには一面ずらっとコードみたいなのがならんでいる。おっさんが隠しもしないのは私には解読不能ってわかっているからだろう。
「言ってみれば……プログラムのメンテナンスだな」
おっさんはキーボードの手を休めて代わりに床にじかに置かれたグラスへ手を伸ばす。焼酎はもう何杯めになるのかわからない。
「
「それもママの頼みごと?」
「ここまで頼まれるとは思ってなかったんだがな。だが仕方ねえ」
アルコールの効能だろうか、おっさんの舌がずいぶんなめらかになっている。ここはいろいろ聞き出すチャンスなんじゃなかろうか。
「ママはなにを頼んだの? 最終的にどうなればママは満足するの? いつどうなったら私は学校に戻れるんだか教えてよ」
「まくしたてるな、一挙に話せるもんじゃねえ」
おっさんは画面を睨んだまま、まとわりつくうるさい蝿にはうんざりだって顔をする。それでもアルコール効果は健在らしい。私はグラスに追加の焼酎を注いであげる、はずみでからんと氷が鳴る。
「奏が望むのは、石積会の壊滅だ。この世から石積会を消滅させること。くそめんどうな頼みごとを押しつけやがってあのヤロー、だがやつの打った手は着々と会を追い詰めている。まったくたいしたタマだぜ、やつが男ならさぞ立派なキンタマがぶら下がってただろうよ――見ろ」
おっさんはまたキーボードの手を止めて、別の画面を開く。そこにはキン……ではなく『フリーメイソン』の文字と並んで『石積会』の名が出ていた。
「出たのが昨日の十六時だ。深夜に襲ってきた理由もこれだろう。やつら、ケツに火がついてやがる」
ふとおっさんのかばんを見ると、開いた口からママの玉手箱が覗いている。おもわず私は手にとった。
「持ってきてたんだ」
ママのたいせつな玉手箱。脱出するとき手あたり次第に自分のものだけかばんに突っこんだから、すっかり忘れてた。なくしてしまわなくって良かった。
おっさんが手を伸ばしてくるから私はごく自然な気持ちで玉手箱をおっさんにわたした。受け取ったおっさんは玉手箱の数字盤を右手でなぞった。
「あたりまえだ。たいせつな箱だからな」
それからダイヤルを適当に回しはじめる、それを私はすわって見守る。おっさんは目を上げない。
「さいしょはただおまえを守るだけのはずだった。たいした仕事じゃねえ、身を隠すのなら慣れてるしな。それが奏の手紙を読んだおかげで、そうは行かなくなった」
そういや手紙を読んだ日、おっさんは「事情が変わった」と言っていた。
「奏のやつ、本気で石積会を潰すつもりでいやがったんだ。それだけの遺恨はたしかにある、復讐するのはとうぜんだと言ってもいいぐらいだ。やつがそれを望み、おれに頼んだ以上、おれはあいつの遺志を継がなければならねえ。その責任が、おれにはある」
そう言ったとき、おっさんの手のなかで玉手箱の鍵がぱちっと音を立て、ふたがゆっくり開いた。
なかにはやっぱり手紙らしい紙が折りたたまれて入っている。
「なにが書いてあったの?」
私は身を乗り出して訊ねる。おっさんは黙って玉手箱のなかに手をつっこみ、引っぱり出した紙の束から一枚だけ選んで、私にわたす。
手紙を受けとると私はむさぼるように読みだした。
『というわけで私の代わりに復讐を完遂してほしいの。私はもう死んじゃうから、最後まで見届けられないのよね。
石積会のひとたちは必死になって妨害するだろうし、もしかしたら吾妻くんを危ない目にあわせちゃうかもしれないけれど。それを求めるだけの資格が私にはあるはずよ。吾妻くんにも受けなきゃならない義務があるんじゃないかな。
もういちど言うわ。石積会はこの世からなくならなきゃいけない。その仕事ができるのは吾妻くんだけ。
じゃあね。いつかあの世で会いましょ。そんなものがあるんだとしたら。』
なにが「というわけで」なんだとさいしょ思ったけど、どんなわけだかは前のページに書かれているんだろう。私はおっさんの顔とおっさんの手のなかの手紙の束を見くらべる。
「たしかにこれはママの手紙だね」
命のかかった重たい話をまるで茶飲み話みたいにしゃあしゃあと言い放つ感覚、有無をいわさず承諾を迫る図々しさ、あまりにママらしくって笑ってしまう。勝手に私のこと
「資格とか義務とか、ママもおおげさだねえ。いったいなにがあったの?」
かるく訊いたつもりだったんだけどおっさんは黙りこんでしまった。アルコールの効能もここまでは及ばないのか、のこりの文面を私に読ませる気はないみたい。おっさんの言ってた「借り」の中味はこないだ聞いたけど、それだけじゃない、まだなにか深い事情がかくされているような気がする。
おっさんはグラスに残ったさいごの焼酎を飲みほして、
「義務、か。そうだな。おまえにはいつか話してやる…………かもしれん」
と言った。
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