第32話 メッセージ


 三秒ばかり天井を睨んだあと、おっさんは観念したみたいにおおきなため息をついた。

「おれとかなでは腐れ縁だ。この関係をどう呼んだらいいかはおれにもわからん。たしかに恋人だったことはある。くっついたり離れたり、永遠を誓ったこともあれば絶縁を誓い合ったこともある。唯一たしかなのは、おれたちは互いに特別な相手だということだ――すくなくともおれはそう思っている」

 どうして私が赤面しなきゃならないんだ。おっさんがまっすぐ私の目を見てあんまりストレートに言うもんだからどぎまぎしてしまった。


 いろいろあって、奏は石積会いしづみかいから脱けた。おまえが生まれる前のことだ。その後おれも会を脱け、追われる身になった。

 脱けるときにもひと悶着あったから死を前にして奏が石積会への復讐をやらかそうって決心したのもわからなくはねえ。だがいまさらなんだよな。怒りの炎を十八年も燃やしつづけられるようなやつじゃねえだろ? だからいまいち腑に落ちねえってのも正直ある。


「復讐?」

 私が訊くと、おっさんは私の目を見て、目が合うとすぐ焼酎のグラスに視線を移した。もしかしておっさん、動揺をかくしてるでしょ。アルコールが入ってちょっとガードがゆるんでいるようだ。

「奏自身は余命わずかだから命を惜しまない、ってのはまあいい。だが残された娘に危険が及ぶかもしれねえってことは想像ついたはずだ。だからおれに保護を求めたわけだが」

「それで吾妻あづまサンが助けにきてくれたってわけね」

 おっさんがうなずく。

「おれが間に合ったのは幸運だった」

「もしあのまま拉致されてたら?」

「拷問と自白剤で洗いざらい調べたうえで、運がわるけりゃ殺されてたろうな」

 さらっとおっさんが言う。いまさら私はぞっと背筋が寒くなる。のどがひりひり渇くのはアヒージョのにんにくが効いているのか、それともおっさんの話のせいだかわからない。

「まったく奏のやつ、おれが間に合わなかったらどうするつもりだったんだ」

 そんな仮定は考えただけでぞっとするね。私は冷蔵庫まで這ってってオレンジジュースを取り出す。氷たっぷり、キンキンに冷えたのがいい。

「吾妻サンも飲む?」

 いちおう訊くけど返事なんか待たない、勝手にふたつグラスを用意しながらつづけて尋ねる。

「でもママから頼まれてたんでしょ? だから間に合ったんでしょ?」

 おっさんは首をよこに振った。

「おれたちは十八年のあいだ音信不通だった。互いの居場所も知らん」

「じゃあどうして――」

「新聞に死亡広告が出ていた。あいつが自分で手配したんだろう。我ながらよく見つけたもんだ」

 そんなの初耳だ。いやいや、自分の死亡を自分で新聞に載せるってそんなのないでしょ、それに自分の死ぬ日まで計算してだよ? どんだけ神経が太いんだよ。いや、でも……ママならやりかねない。

「広告には夷守えびすもり奏、七月一日死亡、それに斎場の情報が載っていた」

 合ってる。正しい死亡日だ。やってくれるぜママ。

「それで葬式に来たの? そしたらそのとき教えてくれたらよかったのに。あんな危険なめにも遭わなくて済んだんじゃない」

 だってあのまま拉致されちゃったら殺されてたかもしれないなんて聞いたらなじりたくもなるってもんだ。おっさんは首を振る。

「書かれていた斎場は存在しなかった。電話番号もでたらめだ。おまえの家にたどり着く情報はなにもなかった。なにしろ石積会の連中にも教えることになるからな。かわりに、斎場の名前を元にいろいろ探してみたら、こんな妙なサイトにたどり着いた」

 そう言って、タブレットの画面を示す。そこにはまっくろな変な画面に文章が一行だけ。


『東の小窓も漏れをよろしく カナデ』


 なんだこれ。私は首をひねる。カナデとあるからには、ママが関係するんだろうことはわかる。でも東のなんちゃらはまったく意味不明だ。

 しばらくにらめっこしたすえ「降参」って顔でおっさんを見ると、おっさんは私のノートをひらいて白紙のページにおおきく文字を書いた。一部はカタカナだ。


『東の コマドモモレヲ よろしく』


「『ヒガシ』はアヅマだ。つまりおれ宛のメッセージってわけだ」

 なるほど?

 で? と私は目で先をうながす。

「『コマドモモレヲ』は、交互に左右に分けるとわかる。『コドモヲ』『マモレ』だ」

「コドモって……私?」

 びっくりする私に、おっさんはうなずく。それからさっきのノートの下に、一行追記した。


『アヅマ、子供を守れ よろしく カナデ』


 叫びそうになるのを私はかろうじて自制した。ひとりだったら叫んでただろうってほどのおどろき、そして讃嘆が不覚ながらも湧きあがる。

 新聞の端っこの広告からこの情報を探り当てたうえ、ほとんど手がかりなんてないのに数日で私の居場所にたどり着くなんてもう神業なんじゃなかろうか。東大次席卒業は伊達ダテじゃないみたい。

 そんで我がママよ、あれだけ自信もってだいじょうぶって言っときながら、薄氷のうえをぴょんぴょん跳んでわたるような危ない橋だったんじゃない。もうちょい確実な方法なかったの?


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