第25話 推理
しばらく黙りこんだあと、だがおっさんはきわめてナチュラルになんだそりゃって顔をした。
「イギリスだかどっかの団体だろ。むかしっからあることないこと噂してよろこんでる奴らがいたが、いまごろまた流行っているのか? くだらねえ」
おっさんはふいっと顔をそむけて立つと、玄関の方へ作業に戻っていった。キッチンに残された私はおっさんの反応を吟味する。言葉はまったく素っ気ない塩反応だが、あの沈黙の間、とりつく島もない話の切り上げよう、さりげなく去ってったけど、あれはなにか重要なことをかくすためのポーズなんじゃないだろうか。なんなんだ、フリーメイソン。
ほとんど無意識にパッドにフリー……と打ちこもうとして、はっと気づいた。「ふ」を打ちこんだところでもう変換候補に「フリーメイソン」が出てきたのだ。
これはママの愛用していたパッド。私は全身しびれたみたいにキッチンに立ちつくして頭だけぐるぐる回転させる。
このパッドはママが入院中に新しく買い替えたもので、死んじゃう直前の一時帰宅時に持って帰ってきたまま、ママの寝室に残されてあった。だから私はほとんど触っていない。変換候補のクセはママが使っているうちついたものだ。
ママとフリーメイソン? ふたつのあいだに関連があるとはまったく想像つかないけれど、なにかある。なにかある。いったいなにがあるってんだろう。
試しにいろいろ文字を打ってみる。「あ」と打って一番うえに出てきたのは「安納芋」…………なにをしたかったんだママ。「い」では「イギリス」、「う」と打つと「
あとはすっ飛ばして適当に手の動くまま字を打っているうち、たまたま画面に出てきたモノを見て私は叫んでしまった。猫がしっぽ踏んづけられたときみたいな、出そうとして出した叫びではなく自然とあふれて出ちゃったって叫び。
あわてて口を押さえたときにはおっさんが目のまえにいた。ほんとにいっしゅんのことで、その身のこなしはジョギングのときの汗だらだらのおっさんとはまるで別物だ。
「なにがあった」
声も顔もやたら真剣で、たださえ私は背筋がぞぞぞっとなっているのにおっさんのおかげでいやましに恐怖がつのってしまう。ぞぞぞっとなった理由はパッドにあらわれた文字だ。
私は声を出せないまま、パッドの画面を指さす。おっさんが覗きこむ。そして目を上げ、私を見る。私は力なく首をよこに振る。
パッドには、「に」と打ったところで変換候補に、「日本版フリーメイソン」と表示されていた。
しばらくふたりとも声を出せなかった。いや、おそらくおっさんは私が話しだすのを辛抱強く待っていた。
「
ようやく心を落ち着けて、私はおっさんを真正面から見すえる。おっさんはこれからどんな話になろうと聞いてやるとでもいうような、まじめくさった顔で私を見かえしている。
「ママが関係しているのね、このフリーメイソンの与太話」
私が言うと、おっさんは目をすこしだけ細めた。口はぴくりとも動いてないけど、表情が心もちゆるんだような気がする。
でも数秒待ってもなにも言いだしそうにないからまた私から話を広げなきゃならない。
「そのために私が狙われてる? 教えてよ、吾妻サン知ってるんでしょ」
私が言うと、とうとうおっさんが口を開いた。
「ほう」
ちょっとだけ口もとに笑みらしいものが浮かんでいる。
「おまえの推理を聞こうか」
それから私の目を覗きこむからふたりして見つめあうような形になる。甘美なもんじゃなくてむしろ私は睨むぐらいのきつい目で、それはほんの二三秒ほどのことだった。沈黙を破ったのは私だ。
「この噂話の発信元はママ」
おっさんはぴくりとも動かない。
「あんまり荒唐無稽だったからまともに読んでいなかったけど、ここにはなにかしら真実がかくされている。それはだれかにとって、暴かれちゃ都合のわるい真実なんだね」
はじめはなんてことない情報で、だれも見向きもしなかった。それが毎週すこしずつ追加情報が付け加わって、そのうち実在の個人や団体の名前まで出てくるようになった。名を出された者たちはいまだに沈黙を守っているが、噂に関心をもつ者はだんだん増えていって、話に尾ヒレがついて、もはやだれもなにが真実かわからなくなっている。
問題はママの死んじゃったあとだ。ママが死んで一週間、もし新しい情報が出なくなっているのなら疑惑の確度は爆上がりなのだが、果たして実態はというと――情報はいまも日々更新されている。むしろママの死後、たてつづけに新情報が出て、ますます秘密の核心に近づいているらしいのだ。(悠斗によると)
この事実は一見ママの関与を否定する材料のようだが、ママの死を境に状況がおおきく変化したという点では、むしろ疑惑を確信に変える有力な根拠だと私には思える。
そしておっさんのこの反応だ。
「教えてよ、日本版フリーメイソンってなに? ママはなにをしようとしていたの? なんで私が狙われなきゃいけないの?」
おっさんはなにも言わない。私が見つめるのを感情の読めない目で見つめかえして、それが岩みたいな冷たさで、私は威圧されてしまう。でもここで引いたらつぎのチャンスはないかもしれないから目をそらすわけにいかない。
おっさんは長くおおきい息を吐いて、ソファにどかっと座った。観念したように、私に背を向けたまま低い声で言う。
「…………つくづく
「いいよ。もうとっくに戻れないとこまで来てる気がするし」
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