第22話 関係


 ベッドの件は譲歩する気配がないからもうこれ以上押さないことにするけど問題はやっぱりママとおっさんとの関係だ。それはすなわち、場合によっては私とおっさんとの関係でもある。

かなで、奏ってずっとママのこと呼び捨てしてるの親密な仲っぽいけどどういう関係? ベッド使うのだってもう持ち主はいないんだから遠慮しなくていいのにどうしてそんなに気にするの? 遠慮するところがかえって特別な関係っぽいんだよなあ」

 私の言葉のどこに反応するのかときどきおっさんのこめかみがぴくっと引きつる。だがそのたびますます口をぐっと結びなおして、その口を開くつもりはまったくなさそうだ。私はおっさんのようすを注意深く観察しながらつづけることにする。

「やっぱ恋人だったとか? ママは性格に関しちゃ残念なところも多々あるけど顔はまあ美人だからさ、若いころはけっこうモテたと思うんだよね。私はそのへんぜんぜん似てないからモテるってのがどんななのか実感もてないんだけど。だいたい武道ばっかりやってる女の子がモテモテってことにはなんないよね、おしとやかな子の方がそりゃモテるんだろなと思うし。私だって好きで習ってたわけじゃなくって、できるものならおしとやかになりたかったのに」

 私としては相当がんばってぺちゃくちゃ口を動かしているのだが、おっさんは黙りっぱなしで口はの字に曲がってる。ときどきこめかみや鼻梁がぴくぴく動く。私は自分を鼓舞して無理にもつづける。

「やっぱりママはモテてたの? 吾妻あづまサンはどう思ってた? ママは吾妻サンのことどう思ってたのかなあ……やっぱり恋人?」

 ちょっとしつこいかなあと自分でも思いながらなるべく明るくばかっぽくしゃべってたところに、やおらおっさんが立ち上がったものだからその体積にされて私のおしゃべりも止まる。

 私を見おろすおっさんは黙っている。静寂のなかにクーラーが大儀そうにフィンを動かす音だけが鳴る。

 私がなにも言えないでいると、とうとうおっさんがぼそりと言った。

「奏は……モテてたんだろうが詳しくは知らん。やつがおれをどう思っていたかはおれにわかるわけないしおれがやつをどう思っていたかはおまえに関係ない」

 この、あいかわらず氷のように冷たく堅いガード。だが私も今日こそ引きさがるもんかと決めている。公園で襲われて学校には行けなくなって、おっさんは鉄砲まで出してくるし死ぬかもなんて言われてる事態のど真ん中に私はいるのだ。

「関係あるよ、おおありだよ、だったらなんで私を助けてくれたのよ。ママから頼まれたっつったって、ふつう助けにくる? 命の危険があるってのに? なんか深いわけがあるんでしょ、じゃなきゃ私を助けちゃくれないだろうし、私だってなんも関係ないひとに助けてもらうのなんざごめんだねっ」

 さいしょは効果を考えちょっと演じ気味に言っていたのがだんだん感情が入って、さいごは演じているのか本気なのかわからなくなってしまった。

 私がこんなに感情をぶつけたっていうのにおっさんは平然と受けた。まったく感情の読めない声で言う。

「おまえの考えは知らない。おまえを守るのは奏との約束だ」

 いよいよ私の立場なんてどうでもいいみたいでむかつく。いや、むかつくんじゃなくてほんとは悲しいのだ。悲しくてさみしいのを自分にごまかすため怒りを装っているのだ。


 そのあとも私はおっさんを詮索しつづけた。ママとの関係、ママとの過去をきっちり教えてもらわなくちゃ。

 ぶんぶんうるさい虻を追っぱらうみたいにおっさんは気のない返事ばかりしている。片手間にまたなにか作る作業をしているようだ。ふと見るとさっきのパイプは十本ばかりの筒になってて、なんだかわからないけど完成が近そうだ。

「どうしてもというなら、」

 とうとうおっさんはため息をついて言った。

「恋人だったということにしてもいい」

 もううんざりだ、ってな声で、こっちに背中を向けたまま。それからパイプを手にとり、作業を再開する。これ以上おまえの相手はしないって背中が語っているようだ。

 恋人だったってのは十中八九確定だ、と私は考えている。だから私が本当に知りたいのは、このひとが実は私のお父さんなのではなかろうか、ということだ。血のつながった娘ならば身を挺して助けてくれるのも自然だろうし、ママが私を託すのもうなずける。

 こんな私でもお父さんはどんなひとなんだろう、いつか会えるんだろうかなんて夢見たことはある。粗暴なおっさんが迎えにくるのを夢みていたわけではけっしてないが、それにしても『お父さん』という言葉の響きには幼いころの憧れの残り香が拭いようなくまつわりついている。


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