第21話 ベッド
調理のあと片づけまでおっさんは済ましていた。あんまりやることないのも落ち着かないからせめて食べ終えたあとの食器は私が洗う。これが家事の分担ってやつかと初めて知ったみたいに新鮮な気分だ。たぶんむかしはママとも分担していたはずなんだけどね。
食後のおっさんはまたリビングでなにやら作業をはじめていまはプラスチックのパイプに粉のようなものを押しこんでいる。まわりには金属板がいくつも散らばっている。壁にかかるクーラーがうんうんうなっているけど真夏の熱帯夜を前にしては力不足で、おっさんの首筋には汗のつぶがいくつも浮かんでいる。
「シャワーでも浴びてくれば?」
「めんどくせえ」
おっさんは即答して、作業の手を止めもしない。なにか手伝ってもいいけどたぶん私じゃ足手まといになりそうだ。それにしても一日じゅうこんな調子で作業をしていたんだろうか。手出ししないでよこから見守っているとおっさんはバーナーを取り出し青い炎で鉄のパイプを加工しはじめる。見ているだけで汗が噴き出しそうだ。
「もしかして昨日の朝からお風呂入ってないとか?」
私はおっさんの背中に鼻を近づける。加齢臭ってこんな感じ? ってよくわからないけどとにかく私やママとはまったく異質で、クラスの男の子たちともまたちがった匂いがぷんと匂った。
「
とおっさんは言ったが、幸か不幸か私は思春期まっただなかを道着や防具で身をつつんで自身と他人の多種多様な匂いにまみれて生きてきたのだ。汗臭さに関しちゃそこいらの女とは比べものにならないぐらいの耐性がある。だからそんなことではなくって、おっさん自身が、真夏の汗を洗い流さず寝るのってずいぶん不快なんじゃなかろうか。
「とにかく今日はシャワー浴びなよ」
「ふん。一日
額に汗のつぶを浮かべながらおっさんは言う。そんな心配だれがするかよ。
「そういや寝るのもソファで寝てるよね」
シャワーを浴びないのもそうだがソファで寝るというのも快適な生活ってやつからずいぶんかけ離れている。昨日も一昨日もおっさんがそんな状態でいることにいまさら気がついたのだ。
おっさんはなんでそんなこと訊かれるのかわからない、とでも言いたげな顔をこっちに向ける。
「いやか?」
「じゃなくって、そんなのでちゃんと眠れてるのって訊いてんの。お客さんで、もしかしたら命の恩人かもしれないって人だから心配してんだけど、これでも。いまもなんか私のために作業してくれてるみたいだし」
いやか、と問われると正直おっさんの寝たソファに腰かけるのはためらわれるけど――妊娠はともかく妙な病原菌ぐらいもってるかもしれないし、でもそこはぼやかしておく。それにいちばん心配してるのはおっさんの健康なのだ、かけ値なしに。そこはちゃんと理解してほしいと思う。
私の思いが伝わったのか伝わっていないのかおっさんは頭を掻いて、気の毒そうに言う。
「恩人か。このさき恩になるか
そう言っているあいだもまた新たな汗が額から頬へひとすじ垂れる。
「できるだけのことはしてやる。どうなるにせよ、おまえが恩に着る必要はねえ。そもそも
「借り?」
それは聞き捨てならない情報だ。
「借りって、ママに? むかしママとなにがあったの? ふたりってどんな関係だったのよ?」
だがおっさんは答えずに、また作業に没頭するふりをしだす。ふりってわかるのは工具をいじくるだけでパイプには触れないし、なにか話すたびその工具の動きさえ鈍るからだ。
私の心にわだかまるものが残る。恩に着る必要ないってどういうことよ。まるで私の気持ちはどうでもよくって、ただママとの約束だけが大事って言われているような気がしてさみしい。
すこし話がそれたが、問題はおっさんの寝るとこだ。
「ママのベッドなら空いてるし、そっち使ったら?」
「奏のベッドだ?」
おっさんは心底いやそうに顔をしかめる。それはそれでママに失礼だと思うんだけど。
「ごめんだな。あの世であいつにねちねち責められっちまう。あいにくおれはマゾじゃねえんだ」
あいにくもなにもおっさんの性癖なんか知りたくもねえよ。
「ママに遠慮? 娘がおっけーって言ってんだからいいんだよ」
勝手な想像だけど、ママもこのおっさんになら許すような気がするのだ。たぶんむかし特別親密な関係で、もしかして私の実の父なのだとしたら。
おっさんはとうに使いおわっていた工具をゆっくり床に置いて、ママの寝室のドアに目をやった。それから顎にたまった汗を手で拭って、工具の散らばるリビングを見まわす。
「リビングを占拠しているのは申し訳ないと思っている。ソファがいやなら、おれは床に寝る」
「だからそんなんじゃないってば。ソファじゃ吾妻サンが休めないんじゃないのって言ってんの」
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