第20話 登校
けっきょくきょう一日だけは学校に行くということで折り合いがついた。
その先は、一週間で済むか一か月になるかそれとも何年にもなってしまうかわからない「解決すべき問題」の対処をしなければならないのだという。ならば次いつ会えるかわからない学校の友だちにあいさつしておきたいってのはあたりまえだと思うのだ。そういう人としてとうぜんの感情をママはかるくスルーする傾向があったのだけど、どうやらこのおっさんも同類らしい。
「血は争えねえな。口達者なのは
口の端をゆがませ、おっさんはそう言った。そっくりと言われるのは私としては不本意だ。むしろおっさんの方がママに似てるんじゃないかと思う。
私はただ人間関係というものの大切さをちゃんと理解いていないらしいおっさんに懇々と説教したまでのことで、べつに言い負かそうとか説き伏せようとか狙っていたわけではない。その点女優かそうじゃなきゃ牧師かってほどみごとに理と情を織り交ぜ真実味たっぷりに説いてはまんまと人を言いくるめてしまうママとはぜんぜん異質で、かのじょと並べられるとはまったく不本意以外のなにものでもない。
本格辛口カレーでまだしびれている舌を激甘のチャイで中和しながら、
「いいだろう」
とおっさんは言った。
「明日いっぱいは安全が保てるよう、なんとかしてやる。だがそれが限度だ。それと――」
と言ったところでチャイを飲みほし、それから私の目をまっすぐ見すえて、
「走るのはナシだ」
とつづけた。これは正直、学校へ行けないよりもよっぽど
「どうしてよ?」
おもわず責める口調になった私に、
「おれのからだが
とえらそうな態度でおっさんは答えた。私は二杯目のチャイをカップに注いであげた。
それが昨晩のことだった。スパイスの匂いは眠るとき寝室にまでついてきた。
今日をさいごに、しばらく学校に来られなくなるかもしれない。
そう思うときゅっと心臓をつかまれる心地がしたけど、いざ学校に来てみると、あまりにふつうな日常があふれているためかふつうに過ごせてしまう。
ひとまず夏休みまで学校に来ませんと担任の先生に話したら「そう」とあっさりひと言、肩の力が抜けるほどかんたんに認められた。
期末テストも終わっていたし夏休みまでもう十日をのこすだけだし、そのぐらいいいんじゃない? ってみたいな。夏休みを前に先生も浮かれているのかも。
千佳たちはテストの話はすぐに忘れて、予備校のかっこいい子だとかお笑いの未来図だとかいまそんなことどうだっていいんだよと全力で叫びたくなるような話に花を咲かせている。
けっきょく別れのあいさつは口に出さずに、かってに心のなかであいさつを済ませてしまった。必ずまた戻ってきてやるって
「夏休みどうする?」
一緒に遊び行こうね、勉強ばっかじゃなく息抜きも必要だもん、連絡するから、あとそれからそれからって無邪気にはしゃぐ千佳の言葉がちくっと胸を刺した。これからどうなるんだろう。夏休みのあいだにぜんぶ片づいて、ぜんぶ忘れてぜんぶなかったみたいになに食わぬ顔でまた学校に来れたらいいなあ。
うしろ髪を引かれる思いをかくしたまま
「…………なにしてるの?」
「おれたちは狙われている。身を守る術が必要だ」
そう言いながらおっさんがあわててかばんの奥に突っこんだのは、たぶん銃だ。数秒で何十発も
「まさか、ホンモノ?」
おっさんは苦虫を嚙みつぶしたような顔で、銃をかくしたかばんを睨む。
「…………さあな」
うゎ、ホンモノだよ。このおっさんの反応、ぜったいホンモノだ。
ちらっと見ただけのホンモノの銃は映画とかから想像してたよりちょっと小さい感じもするけどそれだけリアルで、私はごくっと唾を飲みこむ。あとからずっしり重い現実が押し戻しようなく迫ってくる。
「えーと……、肉でも食って精をつけようか」
もちろんそのつもりで買ってきたのだけれどわざわざそんなことを口にするのは、リビングに散らばる殺伐とした道具たちをできれば見て見ぬふりしたいっていう現実逃避が多分に混じってる。いつものルーティーンどおりに料理などすれば心も落ち着くかもしれないし。
私の気持ちを知ってか知らずか、おっさんはさらりと言った。
「晩メシならもうつくったぞ」
言われてキッチンに目をやると、豚の生姜焼きっぽいのがフライパンに乗っている。鍋には里芋を煮たのまでがある。
「あ、あ、あんた、料理つくれたの?」
そういや食べ物の匂いはしてたのだ。となりん
「そこまでおどろくことか?」
いやまったく、申し訳ないけど見くびってました。なにしろ無骨なおっさんだし、それにママがなんにもできないひとだったから。
炊飯器を開けてみるとちゃんとお米に水が張ってあって、あとはスイッチを押すだけになっている。生姜焼きと里芋は食欲をそそるいい匂いだ。あとで食べてみたらちゃんと美味しかった。
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