第17話 級友たち
おっさんはからだじゅうの水分を搾ったみたいにぼたぼた汗をしたたり落として、床にそのうち水たまりができるんじゃないかってほどだ。ジョギングのあとはシャワーというのが私のいつものルーティーンだが、今日ばかりはおっさんにさきに浴びてもらうことにした。これ以上床の被害がひろがってはたまらない。
「はやく済ませてよ。私このあと学校あるんだから」
「学校にも行くってのか?」
「だめ?」
のどもと過ぎれば熱さ忘れるってやつで、けっして記憶力がわるいわけじゃないけど私はさっき怖がっていたことを調子よく忘れてしまった。
「いい根性だ」
おっさんは怒ったみたいな顔して、腕を組む。その肘に汗があつまってぽとりと落ちる。
「はやく入って」
と汗だくのおっさんをむりやりバスルームに押しこむ。シャツににじんだ背中の汗が私の手に残る。あとでリビングもバスルームも床は徹底的に拭き掃除だ。
シャワーを浴びて、さっぱりしたらしいおっさんは、私が学校に行くことをあっさり認めた。顔もおだやかになっている。
「やつらはどうやら、おれたちの出方を様子見している。今朝のようすからすりゃ、
「いいからはやく服を着て」
ぴしゃりと私が言うと、おっさんは不思議そうに自分の姿を見おろした。
「……着てるじゃねえか」
そう言うおっさんを私は射殺すぐらいの目で睨む。おっさんが「着てる」というのは短パンだけで、筋肉質な裸の上半身からは湯気があがっている。
私の世界にあってはこれは「着てる」とは認められないのであって、とうぜん私の家のなかでは私が法なのである。まだ抗弁しそうなおっさんを完全無視して私はバスルームに入り、中から鍵をがちゃりとかけた。
駅までおっさんはついてきたけど、私が電車に乗りこむのを見送るとおとなしく家に戻った。留守中また侵入者がやってくることを警戒しているのかもしれない。
通学路ではなにもヘンなことは起きず、無事に教室に入った。のほほんとあかるく平和な教室のざわめきに心底ほっとする。
そういやそのおっさん自身は昨夜のことは学校ではなにも話すなと言っていた。言えばまわりを巻きこむことになる、と。
「本場のフリーメイソンとは別物らしいよ」
と悠斗は言う。だったらフリーメイソンと呼ぶのはどうなんだろう、と思うがいちいちつっこんでたら話がまえに進まないから口を挟まないことにする。
「なんか太平洋戦争中に組織されたとか。あ、いや違ったかな、太平洋戦争の生き残りがつくった秘密結社だったっけ?」
「私に聞いてどうする」
と千佳が突き放すところを拾ってあげるのがさいきんの真由の役目だ。
「どっちにしろ、百年まえのことってわけね」
「八十年」
つっこまない、と決めた方針はあっさり撤回していちおう訂正しておく。この子たちまがりなりにも受験生なんだからそのへんまちがったまま放置してちゃあタメにならないと思うのだ。
「なんでフリーメイソンなんてのに興味もってるの?」
と真由が訊いてあげる。
「そりゃさいきんアツいからさ、フリーメイソンのうわさが。ずっと秘密だったのが、だれかが情報リークしてるんじゃねえかって、でもほんとならリークしたやつ即殺されてんじゃねって。おもしれーの。ネットをあさってるとそこらじゅうで目にするぜ」
こんな与太、悠斗は本気で信じているようだ。平和だなあ。校庭ではこの暑いのになにやってんだかしきりに男子の暴れてさわぐ声がわらい声混じりに響いている。
「でもニュースなんかには出てこねえだろ?」
「そりゃそーだろ」
と千佳がばっさり斬る。NHKやら新聞がまじめにそんなの取り上げたら世も末だと私も思う。
「だからぁ、圧力がかかってんだよぜってー。それほどやべぇ秘密なんだって」
やべぇ秘密なら私もひとつ知ってるけどね。あ、でも中身は教えてもらってないから知らないというべきか。おっさんの言うくそやべぇ秘密ってのもただの与太話ならいいんだけれど。
「これまでもそうやって握りつぶされてきたんだ、いままで世に知られなかったのもこれで説明できるだろ? あ、その目、おめーらまだ信じてねえな。おれがばかだって目ぇしてるぞぜってー、なんだよまたばかにしやがって、いまに見てろよおれが正しかったって認めることになるんだからな」
ばかにするというか、かわいそうな子だとはたしかに思っているなあ。
「やれやれ」
と千佳が言う。肩まですくめて。
「悠斗にかかると世界はなんでも陰謀論でできあがってるってことになっちまう。あんたの将来が心配だよ」
そういう千佳はひとの心配ばかりしてる。いい子だけどそこが心配なんだよね、私としては。
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