第15話 玉手箱


 ママの大切なもの。それは今朝感じた違和感ともつながって、ひらめきは確信に近い答えになる。

「玉手箱が――」

 と言いかけて、とちゅうで気づいて私はひと息置いた。『玉手箱』って私とママにしか通じない隠語みたいなものだ。

「ママが大事にもっていた箱が、動いていたかもしれない」

「ふん。箱、か……」

 おっさんはそれだけ言うと、作業を止めて考えこむようなようすになった。


「やはり問題はかなでの部屋だな…………あそこはもういちど調べなけりゃならんだろう」

 ママの寝室にあった『玉手箱』の違和感のことを説明すると、おっさんはにがにがしげに言った。言葉にするのも不本意だと言うかのように、じつに嫌そうに。

 どんな理由があっておっさんがそんな態度をとるのかはわからないけど、いやならべつに無理強いするつもりはない。ママも赤の他人の男が自分の寝室をひっくり返すのはいやだって言ってたしね。

「『玉手箱』なら、私が持ってきてあげようか?」

 気を利かせて言ったつもりだったが、おっさんは受け入れなかった。

「状態を見ておきたい。現場で説明してくれ」

 そう言いながら、やっぱりおっさんは苦しそうに顔をしかめた。私が先に立ってママの寝室に入ると、本棚のまえまで進んで玉手箱をたしかめた。やっぱり中途半端に前に出ているような気がする。

 うしろをついてきていたおっさんを振りかえると、さっきは土足でずかずか入って調べていたはずだというのに、今回はなにか躊躇するみたいに部屋の入口で立ち止まっている。

「どしたの? こっち来なよ、説明するから」

 私に促されてしぶしぶ、という感じでおっさんはやってきた。といっても広い部屋じゃないからほんの三歩で私のとなりに並ぶ。

「今朝起きて、私が戻したときの位置がたぶんこのいちばん奥。で、ジョギングから帰ってきたときに見たらいまのこの位置だった。それからあとは触っていない」

 指さしながら手短に説明すると、おっさんはあっさり手にとって、

「この箱か」

 とため息みたいに言った。なぜだかそのとき私は、おっさんはこの箱をむかしから見知っているんだと直感的に思った。私の知らないママとおっさんのあいだの歴史がぶわっと玉手箱から煙になってあふれ出たような気がした。もしかしたら濃密かもしれないふたりの歴史のなかに、私の入りこむ場所はない。嫉妬というのはたぶん正確じゃないけどなんだかさみしい気がするのはなぜなんだろうか。


 落ち着く場所をやっと見つけたというように、ママの玉手箱はおっさんの手のなかにしっくり収まっている。おっさんは数字盤のついた鍵のところをながめて、

「開けていいか?」

 とさらりと言う。

「開けられるの?」

 と私は素っ頓狂な声で訊きかえす、そんで声を出したとたんその声にびっくりして口を押さえる。まったく想定していなかった提案だった。

 ママの大切なものだから勝手に許可を与えられるもんじゃないよなってことよりそもそも開けられるなんてこと自体が想定になかったのだ。

 おっさんは例のごとく返事しない。玉手箱を両手でたしかめながらひとりでなにか考えている。私はもういちいち気をわるくしないでおっさんの反応を待つ。それにいまは玉手箱が開くかもしれないと思うと期待の方が勝ってしまっている。

 だがおっさんは、しばらくいじくったあと玉手箱を小脇に抱えてリビングに戻り、

「これはおれがあずかっておく。つぎはやつらが奪おうとするかもしれん――おまえが持っているより安全だ」

 と勝手に決めてしまった。

 おまえの考えを聞く必要はないって言われたみたいで私としては正直おもしろくない。もちろん面には出さないけれど。でもおっさんは、そんな私のきもちを慮るつもりもないんだろう。

 それはともかく、そろそろ最初の問題に立ち戻るときだ。

吾妻あづまサン」

 とソファにすわったおっさんの顔を正面から見据える。

「ほんとにここに泊まるつもり? 私これでも十七の可憐な女の子なんですけど。失礼ですけど見知らぬおっさんとふたりきりでひとつ屋根の下なんて、安心して寝てらんないしいろいろ身の危険を感じちゃうって、わかりますよね? あらためて言わせてもらいます、泊まるのは、不・許・可。不許可ったら不許可です」

 私の言葉が終わるまでおっさんは私から視線をそらさずだまって聞いた。その間もずっと玉手箱はおっさんの手のなかにあって、ときどきたぶん無意識なんだろう、手のひらのうえで転がった。

 やがておっさんはゆっくり口をひらいた。

「第一に、おまえを守るためにはそばにいなければならない。第二に、十七の子供ガキだからこそ、おまえには保護者が必要だ。第三に、おまえみてえなガキ襲うもんか。第四に、ここに泊まることについちゃ奏の許可を得ている」

「うそ! ママが?」

 おもわず声が高くなってしまったけれど、あながち否定しきれないのがママの残念なとこなんだよなあ。

「自分で『可憐な女の子』とは、たいした言いようだ。やっぱりおまえは奏の子だよ」

 真顔でおっさんが言う。

 からかっているのか誉めているつもりか、おっさんの真意はわからないけどいまママに似ているなんて言われるのは不本意の極みだ。


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