第11話 帰宅
ともかく命の恩人だ。いや、命までとられたかどうかはわからないけどとにかくあいつらに連れていかれてたら無事じゃ済まなかったと思う……たぶん。
歩きだした背中にお礼を言うと、男は振りかえりもせずただ右手をあげて、答えの代わりにした。すぐそこに交番があるから、と私が言っても反応しない。
「警察に届けた方がいいんじゃ」
と私はもういちど言ってみる。
「警察にはなにもできん。上層部はやつらとつながっているからな」
あっさり却下し交番のよこを素通りして男はずんずん歩く。
「やつらって?」
「それにいまは時間を無駄にできない。やつらより先に家につかねえと」
「家って……私の家?」
私の問いはまたしても無視され、男はますます早足になる。こいつやだ、やつらってだれよ。
でも私はさっきまでの緊張が解けて、ちょっと安心しているみたいだ。からだが自分のものじゃないかのようで、早足の男についてってても足が雲を踏んでるみたいにふわふわする。
男は迷いなく私の家の方へ向け歩いていく。なんで知ってるの? なんていまさら聞かない。出会って五分ではやくも私は達観してしまったようだ。どうせこのひと、なんにも答えてくれないだろう。
すっかり陽は落ちて、遠くの空にネオンがにじんでいる。歩いているうちだんだん足の感覚もしっかりしてくるのが自分でわかる。みぞおちに入った拳はあまりにきれいに入ったもんだから、その瞬間は悶絶したけどいまはそんなに痛まない。それよりひねられた腕がいまごろになってじくじく痛んでいる。関節をヘンにねじってしまったみたいだ。
男はときどき私を振りかえる。心配しているっていうより私の足が遅いのを非難しているような気がして、私としてはまったく不本意でくやしい。本来の私は歩くのがもっと速くて、むしろ男をぶっちぎってやりたいぐらいなのに。
私の住むマンションのまえに来ると男は迷わずエントランスをくぐって、エレベータに乗りこむと正しく十一階のボタンを押す。部屋の位置までお見通しってわけね。もう驚くにもあたらない。
こいつが味方だって保証はいまのところなにもない。でも悪人だったとしても、どうせいちど助けてもらった命だ、と私は開き直っている。
「おれは
部屋のまんまえに来ると男は言った。私を見ずに。吾妻って名のられたってそれだけじゃ知りたいことはなんにもわからなくって、それよりまず今なんでこんな状況になってるのか教えてよ――と言いたいとこだけどいったん飲みこむ。
男は扉に耳を押しつけ、目は虚空を見ている。
「
私としては、信じるところまではいかない。なるようになるさと肚をくくっているだけだ。
そんなことより、なにか調べているみたいな男の妙なしぐさが私は気になってしまう。私ん
「なにしてるんですか?」
吾妻と名乗った男は、こんどは無視せず代わりに「しずかに」って仕草をして制する。そのまま三秒。ばかみたいに突っ立って待っていると吾妻サンは目を上げ、うなずいて、
「たぶんだいじょうぶだろ。そいつを一発、鍵穴に突っこんでやれ」
と私のもつ鍵を指す。このひとの言い方、なんかいちいち下ネタっぽく響くのは私の気のせい?
そこはもう気にしないことにして私は神妙に鍵をさしこみ、息をひそめてがちゃりとまわす。なにか起こるのかとちょっと心配だったのが鍵はいつもどおりふつうに開いて、扉を引くとすうっとひらく。そこにあるのはやっぱりいつもどおりの玄関と廊下だ。
ほっとひと息、胸をなでおろしてなかに入ろうとする私を、またしても吾妻サンが止める。安心するのはまだ早いというのだろうか。
かたまってしまった私の横をすりぬけ、吾妻サンは先に入っていく。無言だ。先に進むのもなんだかこわいがここに置いてかれるのはもっと心ぼそいからあわてて私もつづく。確信をもってまっすぐ進む吾妻サンは土足のままだ。私はうしろ手にドアをしめ、鍵をかける。それだけじゃ足りないでドアロックもかける。
もちろんちゃんと靴を脱いで、足音をたてずに吾妻サンのあとを追う。音をたてると世界がくずれるかってぐらい家の中は
バスルーム、トイレ、ママの部屋、リビング、キッチンとひとつひとつ確かめていった吾妻サンはさいごに私の部屋のなかに入ってく。躊躇するようすはひとかけらもない。あわてて私は腕を引っぱって止める。
けげんな顔して振りかえる吾妻サンに私はぶんぶん首を振って、「入らないで」と声に出さずに念じる。これでもいちおう乙女の寝室なのだ。
吾妻サンはちょっと首をかしげて、
「あぁ? パンツでも干してるってのか? 心配すんな、罠が仕掛けられてないか見るだけだ。おまえのパンツなんか興味ねえ」
とぶっきらぼうに言い捨てる。
「罠? て、声出してよかったの?」
とたんに私の声は高くなる。パンツパンツ言うなってのもあるけどそんなの言わせんなってのがそれ以上にあって、しかたなく文句は飲みこむ。その代わり罠とかなんとか、きっちり説明してもらおうか、吾妻サン。
「何者かが侵入した跡がある。罠かなにか仕掛けられてるかもしれねえからたしかめてやるってんだよ」
めんどくさそうに吾妻サンが言う。私はあらためて室内をぐるりと見まわす。腹時計がぐうと鳴る。どんなときでも食欲ってやつは、頭脳の制御の埒外にあるようだ。
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