第2話 学校
葬式のあくる日は役所の手続きに一日を費やし、その次の日にはもう学校に出ることにした。忌引きはあと二日使えたけれど、家にいたってやることなんにもないし、学校に行く方が気もまぎれるだろうし。
じっさいクラスの子たちと話していると日常のなかに戻ってきたみたいでママが亡くなったことも遠い遠い現実ばなれした世界のできごとのように思える。まやかしだってかまわない。現実を直視しないで済ませられるならいまの私は一も二もなく思いっきり目をそむけてやるのだ。
「今週ずっと休むのかと思ってたんだけど。わたしだったら休むなー」
もったいねーって風に言う
「無理しなくていーんだよ?」
無理しているわけじゃない。いつまでも落ちこんでちゃいけないとはほかならぬママの教えだし、そのママの子である私もそのへん開き直れるタチなのだ。
「あんがとね」
やっぱり学校に来てよかったと思う。ひとりで家にこもっていたら心の持ちようもこうまでからりと明るくなれなかっただろう。
「だいじょうぶ、自分でもふしぎだけどさ、言うほど落ちこんでないんだよな。たぶん半年も前から覚悟決めてたからなのかなって」
「ほんと?」
真由はまだ心配そうに私の顔をのぞく。
なにしろこいつらには葬式で泣きじゃくる姿を見られちゃってるから、いまさらクールぶっても通用しない。でも大丈夫っていうのははんぶん以上ほんとだ。
「そんならいいんだけどさ」
いったん飲みこんだようにうなずくと、
「そうでなくてもいろいろ手続きしたりとか、家んなか片づけたりとかさ。けっこ大変なんじゃないの?」
と真由は別の心配をしてくれる。
「そーだよねえ、だって掃除も洗濯も料理もピンポンの相手すんのまでぜんぶエビちゃんひとりでやるんでしょ?」
エビちゃんというのは私の苗字の
「それこそ心配無用。ずっとママとふたりで生きてきたからさ。ものごころついたときから家事は分担してきた、ってゆーかだいたい私がやってたし。家事全般、死角はねーよ」
私がえらそに胸を張ってみせると、真由は心から感嘆してくれる。
「さすがエビちゃん、こんなとこまでスキなしかよ」
まあねと笑いつつ、心の底ではちょっと苦い思いを嚙みつぶしていたりもするのだ。まったく私の家事スキルが磨かれたのも半ば以上はママがずぼらだったせいであるのだが、それが役に立ってるいまとなってはそれさえママの深謀遠慮だったりしてなんてちょっと疑ってみなくもない。
「でも女ひとり暮らしだといろいろ危ないんじゃないの? 気ぃつけなよほんと、世のなかヘンなのが多いんだからさ」
「ん」
「あたし今朝また痴漢にあったの、もお最悪」
心配されてもいないのに千佳が言う。
「ね?」
と真由がなんだか得意げに言う。あんまり千佳のこと心配しているようすはない。
「そういや」
私にも今朝ちょっとばかりヘンなことが起こったのだ。
「なに?」
「いや、なんも」
私は言いかけた言葉を引っこめた。憶測でこの子たちによけいな心配かけることはない。それに私もまだよく消化しきれていないのだ。
ママの独特でマイペースな教育方針のおかげで私はジョギングを毎朝の日課にしていて、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、さすがに台風とか高熱とかは別にしてもちょっとやそっとじゃへこたれることなくほぼ年中無休で走りたおしているのだが、さすがに葬式の日は休んだのを、もう次の日には再開している。習慣の力ってすごい。
とうぜん今朝も、私は走ったわけだ。
毎朝コースを変えるのは変質者よけの対策で、ママのアドバイスによるものだ。私が小学生のあいだは毎朝ママもいっしょに走っていたのが、中学校に上がると伴走をサボるようになり、そのときこの安全対策を寝ぼけまなこで私に授けた。
「
ベッドから起き上がりもしないでママは言ったものだ。ジョギングって健康と美容にいいのよと自分から言いだし私をその道に引きずりこんだにもかかわらず、だ。ママというひとは、こういう女なのである。まあとっくにママよりはやく走るようになっていた私もこれで気兼ねなく自分のペースで走れるや――と、そのときはすなおに受け入れたのだが。
ともかく今朝も、十ばかりあるジョギングコースのバリエーションのなかから気分でえらんだ道を走ったのだった。まったくランダムに。
だからたとえストーカーかなにかがいたとしたって、待ち伏せのできるわけがない、という点をここでは指摘しておこう。
その男に気づいたのは、我ながらたいした勘だと思う。たいてい人通りの絶えない道を選んで走るから人とすれちがうのは珍しくもなく、いちいち相手の顔をたしかめはしない。その男にしたって景色に自然と溶けこむようにしていたはずだ。
ところで私は、走りながら一応は人や車の動きに注意している。特にちいさい子だとか、老人だとか、妙な動きをする人や車や自転車だとか。なにかの拍子にぶつかってケガさせちゃったりトラブルを吹っかけられたりするのを避けるためだ。
だから男の存在はいちおう目に入っていた。
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