第12話 束の間の安息を求めて
司の家から片道約1時間程度車を走らせると、栄えた町が広がっている。
その中でも一層頑強な、鉄骨鉄筋コンクリート造に支えられた建造物の一面に貼られたガラスが、陽の光を反射する。
その建物の6階の、慎ましい部屋の中では、この日も5人の刑事達が熱い議論を交わしている。
「警察がマークしていたストーカー野郎も死にました。」
「あれは、出来すぎた事故だったがな。」
「はい。あそこはシャッター街になってから治安が悪化したため、監視カメラが増設されました。
事故の瞬間も、しっかりくっきり映されていました。」
「それがまた、なんとも怪しい。
ストーカー被害者の携帯も調べてみましょう。」
「そうだな。
それで、例の性犯罪者が死んだ現場、その近くの監視カメラ映像はどうだ?」
「今のところ、上神らしき人物は写っていません。」
「やはり、24時間体制で行動を監視するしかありません。」
「…検討しよう。」
刑事達は相変わらず、追いつけないリレーを必死に走っている。
〜〜
それから1週間後、司は車を走らせて、街中とは逆方向に向かっていた。
【今日はおふだよな?】
猫童が、ひょっこり顔を出して問い掛ける。
「いや、違う。」
猫童は一瞬目を見開いたかと思うと、激昂した。
【おい!約束したじゃねえかよ!】
司はハンドルを握って前を向いたまま、ニ
タッと笑う。
「今日だけじゃないからな。
明日もだ。」
【おいマジか!どこ行くんだ?】
その返答に、車の中をはしゃぐ犬のように飛び回る猫。
司は、一泊二日の旅行を計画していた。
ここ最近、力が入りっぱなしの日々を送っていた司は、いつかのテレビ番組で見た、田舎の民宿を思い出し、即断で予約を済ませていた。
車で3時間以上かかる長旅であったが、司は車窓から流れる新鮮な景色を眺める事ができる長旅が好きだった。
「今日は釣りをしよう。釣り堀があるらしいんだ。」
期待で胸が高揚するのを感じながら、道の先にあるコンビニで休憩することにした。
車から降りると、まずは清涼感のある軽い空気が肺に送り込まれた。
その後に、草の青臭い匂いが仄かに鼻の奥を刺激する。
深呼吸した司はコンビニに入ると、コーヒーを購入して喫煙所に向かった。
先客の隣に立つとタバコを取り出して火をつける。
隣のメガネをかけた細身の男が、司に時々視線を移して、気にしているのが見えた。
観るからに気が弱そうな男だったので、若干の威圧感がある司が気になったのだろう。
「今日はお仕事ですか?」
見かねた司は、男に話しかける。
「いや、休みです。」
驚いた男は早口になって答える。
「そうなんですか。ちなみに、何をされてるんですか?」
「あのー、IT関係です。プログラミングとか、そう言うのです。」
「頭が良いんですね。
私には到底出来ませんよ。」
その男は、一方通行の会話を終えると、灰皿にタバコを落として、司に頭を下げて自分の車に早足で戻って行った。
司もタバコを吸い終えると、飲みかけのコーヒーを持って車に戻った。
〜〜
そこは、人口500人程度の小さな集落ではあるが、夜景が美しく、山林に囲まれているため季節毎の料理や景色が楽しめるとして、密かに人気を集めていた。
田んぼに挟まれた未舗装の道路を進むと、その民宿がある。
砂利が敷かれた駐車場に車を停めると、玄関を開ける。
「いらっしゃいませ〜」
高齢の夫婦に出迎えられた司はチェックインすると、部屋に案内された。
大きな柱と梁に支えられたその部屋は、日本的な古めかしさを感じさせるものの、よく手入れされており、どこか懐かしさを覚える良い部屋だった。
【んー、もっと豪華絢爛な、ホテルとかかと思ってたよ。】
猫童が不服そうに言った。
「良いんだよ、こう言うので。」
司は荷物を置くと、早速釣りに出るとした。
主人から釣り道具一式を借りると、共に釣り堀まで赴き、主人が魚を放った。
司は折りたたみ式の椅子に腰掛けると釣り竿を垂らし、耽った。
森の中と言うこともあり、雑音が間隙なく耳に飛び込んでくる。
しかし、耳を澄ませると、風が木々の間を吹き抜ける音や虫の音、草花が揺れて身を擦る音、そして川のせせらぎなど、それぞれが独立した音であり、それでいて互いに影響を及ぼし合っていることが想像できた。
司は、自然の広大さに気を取られてしまい、仕掛けた餌が魚に奪われた後も、しばらく耳を傾けていた。
【盗られたぞ。やる気あるのか。】
「良いじゃないか。ここには時間だけがある。」
【俺は退屈だぞ。】
猫童は司の頭の上に乗っかかると、自然を眺め出した。
【まあ、あの町よりはずっとマシだな。】
自然界との調和を満喫した後、本格的に釣りを開始した。
〜〜
「お客さん、遅かったですねぇ。
心配してたんですよ。」
主人が戻った司に声をかけてきた。
「いやぁ、あんまりにも自然豊かで、見惚れていただけですよ。」
「そうでしたか。
ここには都会の喧騒に疲れた方々がよく来ますから。
是非、羽を伸ばして行ってください。」
笑顔の主人に釣具を返して、釣った魚も渡す。
どうやら、夕食に出してくれるようだ。
「まだ夜まで時間があるな…
少し外を歩いてきます。」
「ごゆっくりどうぞ。
あ、でも奥に入りすぎると危ないですよ。
最近は道に慣れた老人達も迷う事が多くなって、行方知らずになった者も何人かいますから。」
「それは、穏やかじゃないな。
大丈夫。近場の、道があるところしか行きませんから。」
「お気をつけて。」
主人に見送られた司は、当てもなく歩みを進める。
【さっきのは撤回だ。
こう言うのも良いな。】
人間臭くない空間が久しぶりだったからか、猫童が同調し始める。
「ワイワイ楽しむのも良いが、たまには静かに、穏やかに時を過ごすのも大切だ。」
司はポケットに手を突っ込んだまま、剥き出しの木の根を飛び越えて行く。
「夜になったらもう一度来よう。
この辺は景色がよく見えそうだ。」
【いや、あっちの方がいい。
少し高くなってる所。】
猫童が指差した方を見ると、山を少し登った所に、木で造られた展望台のようなものがある。
おそらく観光客用の、眺望スポットだろう。
「結構遠いな。」
【良いじゃねえか。
どうせなら、高い方がいい。】
司は、下見をしに行くことにした。
細い登り坂や石の階段には、手摺りが設けられており、いくつかの休憩所もあったため、案外登りやすかった。
司は展望台に乗る。
「これは、確かに。」
そこからは集落とそれを囲む山々を一望でき、空もよく見える。
まだ明るくても、かなり美しい眺めである。
【ほら、言っただろ?】
猫童が自慢げに言う。
「そうだな。
星が出てきたら、ここに来よう。」
下見を終えた司は、下山することにした。
来た道をただ戻るのは味気ないとは思いつつも、主人からの忠告を思い出して、階段を下り始めた。
「こんな所にキノコが生えてたのか。」
【こっちには蛇苺だ。
摘んでくれ。】
しかし、登ってきた時は視界に入らなかった些細な発見があり、新鮮さを維持する事ができた。
司が蛇苺を何個か拝借していたその時、風向きが変わった。
耳元で唸る風音と、風に揺らされる司の髪と服。
そして、風に乗って来た、ある異変。
「臭うな。」
【森ん中だ、動物でも死んでんだろ。】
主人の言葉を思い出す。
『行方知らずになっている者も…』
今日と明日は休暇であり、面倒事は避けたかった。
しかし、もし仮にそうだとしたら、放っておく事は、人として許されない。
「少し、見てこよう。」
【マジかお前!おふだぜ?】
「俺も、何でもないことを祈ってるよ。
俺は、忍んで暮らしたいから、面倒は嫌なんだよ。」
臭いを頼りに、草をかき分けて進む。
一歩ずつ、確実に臭いが濃くなるのを感じる。
そして、見つけた。
それを見つけた時、司は無意識で、極めて人間的な嫌悪感を示してしまった。
「こりゃあ、ひどいな。」
両鼻を指でつまみながら、司が言う。
【あーあ、台無しだよ。】
猫童は、腰に紐を巻いてぶら下がった時のように、全身を垂らして、いかにも残念そうな反応だった。
「まだ決まったわけじゃない。
とりあえず、お巡りさんだな。」
司は、携帯電話を取り出す。
1人と1匹の正面には、酷く腐敗が進み、食害されたと思われる、元は人間だったドス黒い肉塊が、大の字で天を仰いでいた。
呪殺屋のお仕事 日本在住 @NPZJ
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