第11話② 然るべき人生

 悪臭が充満するその部屋に、男は居た。


 依頼人宅へ赴いた猫童が、その有り様を揚々と報告する。


 【臭くて汚い。風呂入ってないんじゃないかこいつ。

  このペットボトル、何が入ってんだぁ…?

  小便だ!】


 依頼人の息子である勇人は、今日も部屋に一人篭ってパソコンに食らいつく。


 日光はカーテンが遮断し、パソコンの光が薄く部屋を照らしている。


 「こいつ、馬鹿にしやがって…」


 勇人はパソコンに向かって呟くと、キーボードに穴が開くほどの勢いで文字を打ち込み、マウスを動かす。


 その足は常に上下に揺さぶられて、座ってい

るだけでも落ち着きが見られない。


 その時、ドアがノックされて母親の声が響く。


 「ご飯、ここ置いとくから…。」


 「黙って置いときゃいいって言ってんだろーが!」


 ドアの方に椅子を回転させて怒鳴りつけると、舌打ちをして、ドアの向こう側に置かれた食事を取りに立つ。


 「ちっ、スーパーの弁当じゃねぇかよ。」


 悪態をつきながらも机に運ぶと、口に放り込んでぐちゃぐちゃと噛み潰す。


 【すさんでるなぁ。】


 猫童が口元を袖で隠しながら、キシキシ笑った。


 黒ずんだ布団と乱雑に放られた日用品達、着回しの服には体臭が染み付き、髪は脂によって、部屋のわずかな光を反射させていた。


 「絵に描いた引きこもりだな。

  下へ行って、両親を見せてくれ。」


 猫童は一階へ滑り降りると、部屋を一つ一つ見て回る。


 両親は別々の部屋で、不堅実な時間を過ごしていた。


 母親は、ブランド品の写真をSNSに投稿して、少ないフォロワー達からの反応を待ち続ける。


 父親は、寝室にこもって、こちらもパソコンを叩いている。


 【ん、なんか物騒なこと調べてるぜ】


 父親のパソコンの画面を覗くと、「子供 引きこもり」「息子 引きこもり 解決方法」などの検索履歴の上位に、「殺人 懲役」「子供 引きこもり 殺人事件」などの文字列が並ぶ。


 【もう最終局面みたいだな。】


 確かに、父親はパソコンから一切目を離さず、淡々と自らが満足する結果を探し続けている。


 その瞳とオーラからは、『息子を手にかける』事への迷いは感じられるものの、その後の自分自身の身を案ずるような不安感が強く漂っていた。


 司は現状を把握した上、指示を出す。


 「殺してもらっちゃ困る。

  事が起きそうになったら、なんか上手いことやってくれ。」


 【お前、適当すぎるだろ。

  まあ、このままここにいるよ。】


 確かに雑な印象を与える指示ではあったが、司には思うところがあった。


 『親が子を殺す』とは、理由はどうあれ、人間社会においては禁忌的な事象である。


 この父親の動機は、『諦め』と感じる。


 産み落とされた時から、我が子の利益を第一に考えて行動して来たことだろう。


 友人ができない息子のために、ゲームやインターネットという新しい世界を揃えてやり、息子の性格による将来性を危惧しては、矯正のために過酷な教育を課した。


 全ては、息子のため。


 立派な大人に育つようにと。


 親には当然、子を育てる義務があり、それは、『立派』で『誠実』な人間に育て上げろという、社会からの命令である。


 そのための手段は様々であるが、結局のところ、子供自身が成功と失敗、喜びと痛みを体験することによって、人生における選択肢を増やしていくことで成し得るものだ。


 階段を2段飛ばしで駆け上がる事ができたから、次は3段飛ばしにしてみたが、届かずに転んで足を痛めてしまった。


 しょうも無く小さな事ではあるが、そう言う体験の積み重ねにより、人は賢くなっていくのだ。


 結論に戻るが、子ども自身の挑戦と、それによる苦楽の経験が、幼少教育には重要であると、司は考える。


 今回の依頼によれば、両親は子供に対して、苦楽を分離して与えてしまった。


 幼い頃は優しかった親が、ある日を境に鬼のように豹変した。


 よく言われる『飴と鞭』のバランスが全く取れていない。


 これによって、勇人は自分で考えることをやめて、親に従えば辛い思いをする事がないと考えてしまったのだろう。


 しかし、ある日の喧嘩を境に、最短の問題解決方法を知ってしまった。


 思考を凝らして、判断を下すという回りくどい方法では無く、右の拳を相手の顔面に叩き込めば、自分の思うがままになると。


 この体験が、勇人の『考える力』の発展を完全に遮断したようだ。


 司は、ため息に乗せて煙を吹き出す。


 今回の依頼には、同情しきる事ができなかった。


 どちらも被害者であって、どちらも加害者であると感じていたからだ。


 仕事を受けない選択肢もあったが、このままいけば、父と子のどちらかが死ぬ事になりそうだから、迂闊に断りを入れることも躊躇った。


 そして何より腹立たしいのは、あの母親の言葉である。


 『決めるのは夫なので』


 思い返すだけで腹の奥が疼く。


 夫と対等な存在である妻までもが、考えることをやめている。


 ただの責任転嫁に他ならないあの言葉を、拾って喉の奥に詰め込んでやりたかった。


 現状を打開する方法を真剣に考えているという点では、夫はまだ立派なのかもしれないと

思ってしまう。


 勿論、方向性は大間違いだが。


 詰まるところ、司は今回の依頼について、誰も殺す気はなかった。


 しかし、このまま離れる事ができないもどかしさに、頭を抱えた。


〜〜

 

 調査開始から数日経ったその日、司は依頼人である母親をあの喫茶店に呼び出した。 


 この数日は、ドア越しの怒号が飛び交うことはあったが、直接の実力行使は無かった。


 対面に座る女に、まず司は問いかける。


 「率直に聞くが、息子について、どう思ってる?」


 母親は言葉を探しながら答える。


 「もう、怖いです。

  本当に、私にはどうしようもなくて、最後の砦として、お願いしました。」


 その答えに、司は言う。


 「俺の言葉が悪かったかな。

  息子の教育方法について、どう思ってる?」


 少し驚いたような表情を浮かべた後、母親は答える。


 「えっと、私たちにも問題があると思っています–


 「そうだ」


 最初は良かれと思って、と続けようとした母親を遮って、司は日本刀のように鋭く言い放った。


 口を噤む母親に対して、司が続ける。


 「結論から言えば、今回の依頼は受けない。

  受けないと言うのは、あんたの息子を殺さないと言うことだ、

  あんたが今言ったように、これはお互いに問題がある。

  同情できない依頼を受けるのは、俺のルールに反するんだ。」


 「じゃあ、私たちはどうすれば!」


 司は、食い気味の母親の勢いを冷静に跳ね返す。


 「病院か、警察だ。

  あんたらの教育は、くだらないものだった。

  でもそれはもう、どうしようもないんだ。

  もう息子は30で、あんたらは60近いだろ?

  力では勝てないし、このまま行くと、誰かが死ぬんだよ。

  引きこもりは社交不安とか、精神的な面が多いらしいから、1番は病院で診てもらうことだ。

  それが無理なら、奴が暴れたタイミングで1発殴られて、警察に連れて行ってもらえ。」


 理想とはまるで違った司の返答に、母親は言葉を失ったが、それでも振り絞る。


 「でも、病院に行って、なんて言ったら、どんなことになるか…

  それに、夫が…」


 「それも辞めろ。あんたも親だ。

  責任は共にある。

  少しでも息子に負い目を感じているなら、やるべき事は一つだ。」


 …負い目はあった。


 息子の為にと思ってして来た事は、全て裏目に出てしまい、20年時を戻せたなら、もっと普通の人間に育てる事ができたのではないかと悩んだ事もあった。


 司は追い打ちをかける。


 「まあ別に、あいつは成人してるんだし、いきなり家を捨てて、一人ぼっちにしてやっても問題ないんだ。

  はっきり言って、ここまで来たら、手放す選択肢もある。

  ただ、もしもあんたが、親として、やるべき事をやったなら、その時は力を貸すつもりだ。」


 「力を貸すって…」


 理解が追いつかない母親に対して、最後の言葉を放つ。


 「期限は今日中だ。

  このまま怯え続けるのも良し、手放すのも良し、はたまたま家族が殺し合う様を目の当たりにするも良しだ。

  家族のことを考えて、選択してくれ。」


 母親は少し涙ぐんで、言葉を整理する。


 「…夫に、なんで切り出したらいいか…」


 久しく忘れていた、思考力を取り戻しつつある母親に対して、それまでの凄み口調から一変して、柔らかく答える。

 

 「人に話しかける時、なんて声をかけたらいいのか迷ったら、『あのさ』って一言だけ言えばいいんだ。

  そこから先は、否が応でも話さなきゃならないから、自然と言葉が出てくるはずだ。」


 司は立ち上がると、別れ際に言った。


 「今が、果たせなかった親の責務を果たす時だ。」


〜〜


 その日の夜、終始落ち着きなく自室で過ごした母親は、意を決して、夫が居る部屋のドアを開けた。


 いきなりの事で、妻を見つめて動かなかった夫は、静かにパソコンを閉じた。

 

 「どうしたんだ、いきなり。」


 「あの、ちょっと…」


 少しの沈黙の後、本題を切り出した。


 「あの子の事で、話したい事があるの。」


 これに、夫は迷いなく応じた。


 「話って、なんだ?」


 「それが、一度、病院で診てもらったほうがいいと思うの。

  あの子が小さい頃、私たちのせいで、普通の子供時代を送れなかったから、今の状況に

なってると思う…

  もし、薬とかで今のあの子が良くなるなら、その方がいいし、それが、私たちの、責任の取り方、だと、思うから…」


 これまで自分に意見してくる事などなかった、妻の辿々しい告白に、夫は驚愕したが、それは一理ある内容であった。


 「でも、そんなこと言ったら、あいつがなんて言うか。」


 怯えるように夫が言う。


 「それは、大丈夫。」


 妻が言う。


 これまた見たことが無い、妻の真剣な眼差しによって、夫はこれを信じた。


〜〜


 翌日、両親は息を呑みながら、子供部屋のドアを叩いた。


 「勇人?少し話したいことがあるんだけど…」


 完全に言い終わる前に、ドアが開かれた。


 目の前に突如として現れた、恐怖の対象である息子の姿に、2人は思わず身構える。


 何も言わない息子に、父親が声を振り絞る。


 「今から一緒に、病院に行こう。」


 息子は、小さく頷いただけで、その後は、大人しく両親の指示に従った。

 

 3人は、あらかじめ予約しておいた精神科病院に到着した。


 待合室でも、会話は一切なく、ただ時が過ぎるのに耐えた。


 やがて名前が呼ばれると、勇人は1人で歩いて奥へと消えて行った。


 白い引き戸を開けると、白衣を着た中年の医者が、パソコンを前にして座っていた。


 「どうぞ、お掛けください。」


 促された勇人は、医師の対面に用意されている椅子に腰掛けた。


 その時、うたた寝をした時のようにガクンと首が落ちたかと思うと、勇人は目の前の光景に仰天する。


 「え、こ、ここは、え?」


 戸惑う患者に、医師は首を傾げながら言う。


 「病院ですよ?

  貴方のご両親が、『私たちのせいで心に傷を負ってしまったかもしれない』と連絡してくださったんです。

  なんでも、子供の頃、辛い経験をされたようですね。

  少し、お話ししましょう。」


 両親との間でも、まともな会話をしてこなかった勇人は、胃が痛くなるのを感じた。


 そもそも、気付いたらここに座っていたことに、理解が追いつかない。


 勇人は長い引きこもり生活のせいか、完全な内弁慶で、外界に解き放たれた途端に、萎れた花のように惨めになった。


 その後は、医師に促されながら、自身の生い立ちや現状を、拙い言葉で説明した。


 長時間に及んだ問診は終わり、勇人には不安や興奮を抑える薬が処方され、引きこもり支援団体を紹介されることとなった。


 医師によって洗いざらい喋らされた勇人は、まだ状況が飲み込めないまま、待合室までトボトボと歩いて行った。


 そこには、見慣れた顔があった。


 知らない人しかいない空間だからか、なぜか安心感を覚えてしまったことに、自分でも驚く。


 息子の姿を見るや否や、その2人は深く頭を下げた。


 「今までお前のことを考えてやれていなかった。

  俺たちが悪いんだ。

  本当にすまなかった。」


 「本当にごめんなさい。

  これから、3人で仲良く暮らしたい。」


 突然の謝罪にますます理解が追いつかなくなってしまったが、無意識的に返事をする。


 「え、あ、うん。

  俺も、ごめん。」


 3人で顔を合わせたのは、いつぶりだっただろうか。


 待合室で横並びに座った3人は、照れくさい時間が、一刻も早く過ぎることを願っていた。


〜〜


 「やっぱり、ただ殺しまくってるだけじゃ無いみたいだね、。」




 


 

 



 

  

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