第11話① 主従逆転
湿った熱気を、エアコンの冷風が押し返す深夜3時。
ここ最近は、寝苦しいにも程がある。
司を浅い眠りから目覚めさせたのは、携帯の着信音だった。
頭付近に置いてあるはずの携帯を手探りで探し出して、無意識的に電話に出る。
「ん、もしもし」
「あ!もしもし!上神さんですよね!」
かん高い女の声に耳を突き刺されながらも、その声の後ろから聞こえてくる音が気になった。
中年女性らしい電話相手の背後から、壁に固い物をぶつけるような音や、男同士が言い争う声が漏れており、時間とは不釣り合いな騒音だった。
「息子が暴れてて、最近ひどいんです!
貴方なら何とかしてくれるかもって聞いたので…」
気まずさを感じているのか、哀願しているのか、減衰していく女の声量に対して、司は押し寄せる欠伸を噛み殺しながら答える。
「今は警察に電話するんだ。
気が変わらなければ、明日連絡してくれ。
今は営業時間外だ。」
だがしかし、睡眠という貴重で重大な不可侵領域を侵されたことで、司は冷たくも通話を切断した。
「何時だと思ってんだよ…」
小さく毒付くと、脳の奥から氾濫してくる眠気に逆らうことなく、ベッドに身を委ねた。
〜〜
司は目を覚ますと、散歩に行き、封書に目を通すルーティンを崩さない。
そんな昼頃、また着信音が放たれた。
司は察して電話に出る。
「今は営業時間中だ。」
「上神さん!何で電話を切ったんですか?!
あの後とっても大変で、貴方が頼りになると思って電話したのに!」
音割れする勢いで捲し立てる女に、煮えくり返りそうになる腑を抑える。
「何様のつもりだ。
仕事の依頼なら話は聞くが、態度を改めろ。
それに、『頼りになる』なんて誰から聞いた?」
司の静かな怒りを感じ取った女は、それまでの勢いを完全に失った。
「あ、あの、すみませんでした。
昨日も、時間をわきまえず、申し訳ありません。
話を聞いて欲しいんです。
実は…」
女は反省したようだったので、許すことにした。
「待て、仕事の話は直接聞くのが原則だ。
3時間後に、駅前の喫茶店だ。」
「あ、はい、分かりました。」
女が呆気に取られているのをよそに、司は電話を切断した。
「面倒になる予感だ。」
そう漏らすとタバコを咥える。
【仕事かぁ?】
司の眼前に波紋が現れたと思うと、上半身のみを表した猫童が、欠伸をしながら問いかける。
「一応依頼だ。
まだ詳細は分からんがな。」
根元まで吸ったタバコを灰皿に捨てると、司は車に乗り込んだ。
〜〜
約束の時間に現れたのは、ブランド品を見せつけるように着飾った、ほうれい線の目立つ中年女だった。
すでに席に着いていた司が手を挙げて合図を送ると、その女は小走りで近づいてきて対面に座った。
司が手を挙げたことで、店員もやって来た。
「アイスコーヒー1つ、あんたは?」
「あ、私はいいです。」
「じゃあ以上で。」
意表をつかれた女を置いてけぼりに注文を済ませると、司が口を開いた。
「で、依頼って?
俺のことを誰から聞いた?」
突きつけられた2つの質問の、どちらから答えるか一瞬迷った女が、返答する。
「あ、あの、電話がかかってきて、上神さんの番号を教えられたんです。
相手は名乗らずに切ってしまいました。」
女は、司の予想以上の凄みに押されて、酷く緊張しているのか、顎が硬くなっているのが分かった。
対する司は落胆した。
やはり、素性不明。
相手もそれを突き通しているようだ。
ため息を一回吐いて気を取り直すと、依頼の話を切り出す。
「じゃあ、依頼の話だ。
言ってみろ。」
司に主導権を握られた女は、電話での威勢は何処へやら、一転して落ち着いた口調で話し始めた。
「あ、はい、実は、息子のことで悩んでまして。」
上目遣いで様子を伺いながら、女が言う。
「息子?
差し詰め、深夜の電話で言い争っていたのは、息子と旦那だろう。
何を悩んでるんだ?」
「そうなんです。昨夜も息子が急に怒り出して、夫と言い争いになって。
あの時は、最終的に旦那が土下座までして、何とか収まりました。」
司はテーブルに運ばれてきたコーヒーを一口飲む。
「父親に土下座させるとは、感心できないな。
ただ、普通の家族はそんな風にはならないと思うんだが、心当たりはあるだろう?」
机を見つめる女は、指を絡めながら、それに答える。
「息子は、もう30なのですが、無職で、私たちが面倒を見てるんです。
でも、いい加減働いてくれないと、私たちも苦しいので、数年前にそうお願いしたんです。
その頃から、私たちを敵視して、暴言を吐いたりするようになりました。
最近は殴られることもあって、いつか、殺されるんじゃないかって…」
微かに震える女の手を見て、司は穏やかな口調で繋げる。
「現状は理解した。
でも、俺が知りたいのはその前の話。
つまり、息子が子供の時とか、そこから話してくれ。」
司の鋭い視線と一瞬目が合うと、女はいかにも話しづらそうに、息子の生い立ちを語った。
両親は、息子である勇人に過保護と言えるほどの干渉をしていた。
父親の仕事の関係で、小学校時代から転校を繰り返し、友人を作ることも出来ず、学業にも興味が持てない、コピー用紙のような薄っぺらい学生生活を送っていた。
そんな勇人を不憫に思った両親は、息子の願いを何でも叶えた。
最新のゲーム機を買い与えて、興味を持った習い事にも文句を言わずに通わせた。
息子の為にと褒め続け、尊重し続けた日々が、息子を歪ませるとも知らずに。
そんな生活が長年続いたせいか、まだ幼い勇人は、自分の願いは叶って当然だと勘違いを起こし、何をやっても長続きしない、飽き性で短気な性格に育ってしまった。
始めた習い事は続いて半年、両親が教育方針を変えようとして、彼の願いを拒むと激怒する様になった。
その頃から、両親は息子に嫌気がさして距離を取る様になり、逆に息子は苦労を嫌って両親に縋る様になった。
中学校に上がった頃から、勇人はみるみるグレていき、喫煙や飲酒を始め、両親に対する憎悪を露わにしていった。
両親はと言うと、そんな息子を恥じて、尚更距離を取って、親子の会話は無くなった。
ある日、父親の財布から金を抜き取った勇人を叱責すると、思わぬ反撃に遭った。
勇人は暴れ出し、父親を殴り痛めつけた。
「金あるくせによ!文句言ってんじゃねぇよ!」
「俺がこうなったのはお前らのせいなんだから面倒見ろや!」
悲鳴を上げる母親と無抵抗に蹴られ続ける父親、勇人はこの時、一家の頂点となってしまった。
それ以来、勇人の要望はエスカレートしていき、自宅は不良の溜まり場となった。
両親は暴力に怯えて、それに従う日々を送った。
勇人は高校に進学することなく、不良仲間が勤めている建設会社に入社して家を出た。
これに安堵した両親だったが、安息は続かなかった。
勇人は、やはり会社でも問題を起こし、社員との喧嘩や横領を行い、根っからの飽き性も相まってクビになり、一年足らずで家に舞い戻った。
それからは自室に篭り、母親にご飯を運ばせて、父親に金をせびる日々が続いた。
部屋では、インターネットで出来た「友人」との会話やゲームに勤しむ日々。
それが10年余り続いた。
両親は、世間体を気にして息子のことを公にせず、願いを叶え続けた。
父親はやさぐれて酒に溺れる様になり、母親の金遣いは荒くなっていった。
息子にぶつけることができない怒りを発散することで精一杯だった。
しかし、両親の生活が荒れたことにより、息子に割くことができる金銭は減っていった。
ある日、父親が腹から込み上げる恐れと怒りを噛み殺して、息子と話す機会を設けた。
働いてくれ
その一言で、息子は激怒した。
昔の様に、暴力が始まった。
最近では、殺してやる、お前らを殺して自分も死ぬ、などと叫ぶ様になったと言う。
昨夜も、インターネット友人とのいざこざを、両親を殴ることで発散していた。
だからお願いです。私たちを助けてください。
と女は結んだ。
説明を聞き終えた司は、女を睨みつけていた。
女は視線を合わせない様に気をつけながら、司の様子を伺う。
司がようやく口を開く。
「そうだな…
今の話が本当なら、依頼の仮受付に値するよ。
不憫に思うよ。」
三分の一ほど残されていたコーヒーを飲み干す。
「その話が、本当なら、な。」
これには、流石に女も司と視線を合わせた。
心当たりがあった。
司は腕を組むと、依然として女と視線を外さない。
「1番大切なことだ、言ってないだろ。
嘘つきの仕事は受けない。」
司が言い放つと、もじもじと体をくねらせて、しきりに周囲に視線を移すなど、明らかに挙動に落ち着きがなくなった。
司は、女が話すまで、そのままの姿勢で待つことにした。
ようやく決心がついに女は、咳払いをして気まずさを誤魔化しながら、重い口を開いた。
それは、勇人が小学生5年生の頃だった。
飽き性、短気、わがまま、そんな息子の性格を矯正しようと、『教育方針』の変更を試みた。
息子が欲っした物を買い与える事をやめ、文句を言えば、怒鳴りつける様になった。
習い事をやめれば、反省文と称して、理由や今後の態度を改める旨をしたためさせた。
涙を浮かべながら筆を進める勇人の背後には、父親が立ち塞がり、数時間拘束する事もザラでは無かった。
また、学生は学業に打ち込むべきであるとして、学校の宿題とは別に、大量の課題を科すようになり、終わるまでは食事やトイレも禁止していた。
勇人は、両親の態度が一変したことに困惑し、畏怖するようになり、それに従うしか無かった。
しかし、小学6年生の頃、転校生ということでいじめの標的となった勇人は、日々の鬱憤もあり、行為者と喧嘩を起こし、勝利した。
その体験により、暴力という解決方法を会得した勇人は、学校や自宅でも、暴力的になっていった。
そのまま中学に上がった勇人は、今までの仕返しかのように、暴力性をより強めた。
これが、女が司に隠していた事実だった。
「嘘をついてごめんなさい…
私も、責任がないとは思っていません…
ただ、殺されるんじゃないかって、それは本当です。
お願いします。助けてください。」
充血した瞳で訴えかける女から視線を逸らして天井を仰ぎ見ると、司は思考を巡らせる。
無職者は、思い切った犯行に出やすい。
しかし、女の話に同情しきれない節もあった。
女は、沈黙する司にダメ押しの一言を放つ
「司さんがやってくれないなら、夫が息子を殺そうと思っています。
私たちも、そう長くありません、息子が社会に迷惑をかける前に、私たちが…」
その言葉で、司はようやく口を開く。
「あー、そう言うのはダメだ。
ちなみに、病院には相談したのか?
多分息子さん、なんか持ってるぞ?」
「それは、してません。
私はそれも考えたのですが、夫が、息子はただの甘えだからって。」
「まあ、そんなことだろうと思ったよ。」
予想通りの返答に、司は呆れる。
「いいか?心の病は甘えなんかじゃない。
特に、あんたらみたいに、幼少期のトラウマとか、生活環境は人間を大きく変えるんだ。」
「そんなこと、私はわかってます!
ただ、決めるのは夫なので、私は-」
女と喧嘩をするつもりはない。
司は遮る。
「あまり大きな声を出すな。
まあ、あと2週間耐えてくれ。」
「助けてくれるんですか?」
女の問いに、司はいつもの返事をする。
「まだ仮受付ってとこだ。
仕事を受けるかは俺が決める。
俺から連絡するから、それまで待て。」
席を立ちながら言うと、代金を支払って女と別れた。
車に乗り込みタバコに火をつけると、猫童が顔を出す。
【なんか、最近こんなのばっかだな】
こんなの、とは親子関係のことを言っているのだろうか。
「ああ、正直、気が滅入るよ。」
【で、今回は受けるのか?】
「待て待て、まずは調べる。
少し、働いてもらうぞ。」
【あいよ。
そうだ、最近働き詰めだろ?これが終わったら、おふの日にしようぜ。】
そう言えば、最近は殺してばかりだ。
「そうだな。
そうしよう。」
タバコを灰皿に落とすと、火種が水で消える。
「もう一仕事だ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます