第三話 日本史上最悪な一日
青森上空をヘリコプターが飛んでいく。機体側面には青森テレビとの文字。しかしカメラなどの機器はすべて取り払われ、広くなったスペースに国家の存亡を担う男女四人が乗り込んでいた。
「──それで、国宮は本当に来られないのか?」
黒田が口を開くと姫島がため息をつきながら答えた。
「何度も言ったじゃないですか、第一相覚発露者は今、福岡大学にいます。全速力で向かってきているらしいですが、春日基地から輸送機を飛ばしても五時間はかかります。その間に札幌の人口の80%が死傷する計算です。」
黒田は頭を抱えた。
津軽海峡が見えてきたところで、姫島が口を開いた。
「二人には自己紹介すらまだだったわね、私は姫島真子。この人は黒田清。二人ともG機関と呼ばれている、国家特別防護機関で働いているわ。」
姫島が軽く会釈したので、ソラも合わせてお辞儀をしたが、よく考えるとつい三十分前まで自分を殺そうとしていた人たちに、なぜ礼儀正しくしているんだろうとちょっと自分のことを馬鹿馬鹿しく思った。
「あなたたちの能力を分かりやすくまとめた書類があるわ。はいどうぞ。」
ソラが渡された書類にはこう書かれてあった。
■■■■■■■についての報告
報告者 ■■■■
2029年■■月■■日にアメリカ ■■■■で最初に確認された■■■■■■■は■■■■にて最大2.0×10^500Jのエネルギーを放出したと考えられる。このエネルギーの創出元は不明だが、■■■■■■■■■■にて特殊な■■を確認。よってG機関ではエネルギーの創出元を■■と仮定する──────
「なんなの!全部真っ黒でなんも分かんないじゃない。」
僕が思ったことをタオが代弁してくれた。
「あーごめん!それ官庁用だった!」
はにかみながら姫島が書類を取り換え、タオ・リーが笑った。姫島が新たに渡した書類は、もっと分かりやすく書かれていた。高校生の僕らにもぎりぎり意味が分かるほどに。
その内容を簡潔にまとめると、この世界にはタオ・リーの特殊性質を持つものが存在し、それらは特殊性質発露者、または地球(ほし)の子と呼ばれている。地球の子は重力を操る力を持ち、それぞれに固有の特性があるらしい。
「…とまあ、正直まだ全然分かんないことだらけで、それだけの情報しか集められていないの。唯一にして確実な情報は、地球の子が強大な力を持っていて、その気になれば人類を滅ぼせるということだけね。科学者失格だわ。」
読み終わったところで姫島が言った。G機関は地球の子に対する研究施設も兼ねていて、姫島はそこの研究員らしい。
津軽海峡を越え、函館市の街並みが見えてきたところでソラはある違和感に気が付いた。電車が鉄橋の上で停車していたのだ。信号機も点いていない。人影が一人も見えないところを見るとただの停電ではないらしい。
「気付いたか、ソラ。函館と札幌の住人には外出禁止令が出ている。ネットも切断されて本州の人間には知る由はないがな。」
ソラは自分のスマホを立ち上げたが、圏外の表示が出ていた。どうやら政府は地球の子が本当に大虐殺を引き起こすと思っているらしい。僕はタオを横目でちらりと見た。この少女が、本当に人類の天敵になり得るのか。僕にはどうしてもそうは思えなかった。
「今から君たちにしてもらうことを説明する。まぁ、やること自体は単純だ。タオやソラと同じような特殊性質発露者が北海道支笏湖のキャンプ場で出現した。目標は札幌市に向かって北上中、それを殺してもらうだけだ。」
やはりそうきたか、ソラにとっては予想の範囲内だった。しかし、タオ・リーは考えの外だったようだ。彼女は激しく動揺し、黒田に詰め寄った。
「私たちの力を利用して殺し合いをしろっていうの⁉冗談じゃないわ、こんな力、欲しくて貰ったわけじゃないのに!」
黒田はタオから目をそらし、苦々しく言った。
「私も、子供に戦わせるなど、国民を守る立場の者として許してはならないことだなんて分かっている、、、しかし、我々は敵わないんだよ。あいつ等には。勝てなかったんだ……」
黒田は拳でガン、と機体を叩いた。歯は強く食いしばられていて、悔しさがにじみ出ていた。
「でも…でも私は嫌よ!人を傷つけるなんて無理、絶対に嫌!」
「いや、やるしかないよ。僕たちが。」
タオはハッとしてソラを見た。ソラは俯いたまま続ける。
「黒田さんたちもみんなを守りたいだけなんだ。理解できる。納得はできないけど、理解っていうのはすごくできる。僕らしかできないなら、僕らがやるんだ。」
ソラは、ソラは内心興奮していた。退屈な日常、青森でリンゴ農家を継いで一生を終えるかと思っていた日常が、突然完膚なきまでに破壊され、死と暴力が渦巻く世界へ放り投げられた。しかも、自分だけがその圧倒的な暴力に対抗できる存在だと聞けば、興奮するのも当然。大人のようなことを口走りながら、高校生と言うよりはむしろ中二病的な思考であった。
「怖くないの?」
「それって自分が傷つけられることか?それとも自分が誰かを傷つけることかい?」
「両方よ。」
ソラはひきつった笑顔をタオに見せた。
「大丈夫さ、きっと。」
約二十分後、眼下に巨大な湖が見えてきた。三つの大きな山に囲まれたこの湖こそ支笏湖だということは、一直線に破壊された森を見れば明らかだった。
「K領域、入ります。」
その言葉の直後、タオは謎の感触を感じた。ビリビリという痺れが脊髄に伝わる。近くに、いる。と、半ば直感的に思考が周った。
黒田が立ち上がり、姫島の荷物から取り出した大きな首輪をタオにつけた。首輪はカーキ色に塗装され、何らかの合金で作られている。背後から一本のコードが伸びており、その先についているスイッチを、黒田はソラに持たせた。
「何なのよこれぇ!」
「保険だ。スイッチを操作すると睡眠薬が注入される。敵が二人になると敵わんからな。悪いが、納得してくれ。大人は臆病なんだ。それでソラ、君にちょっと頼みがある。」
こぶしより少し小さいスイッチを見つめているソラに向かって黒田は言った。
「君にはスイッチを持っていてほしい。地球の子同士の戦闘は電磁波すら大きく乱すみたいでな、遠隔では起動させられないんだ。上にある黒いカバーを開けながらスイッチ自体を強く握り込めば首輪を起動させられる。分かったか?」
ソラはスイッチを何度もカチャカチャと握り込みながら言った。
「僕には要らないんですか?その首輪。」
「大丈夫だ。お前のことは信頼できる。まさにうってつけな人材だよ。」
黒田がそう言ったことでソラはにわかに元気を取り戻した。ハン笑いを浮かべながら流し目で黒田を見る姫島の視線には気づかなかった。
「あと20秒でPg領域に入ります。二人は降下準備しといて!」
ヘリの中の緊張感が高まる。姫島さんの言うことは良く分からないが、近づいているということだろう。
「──5,4,3,2,1,侵入します!」
支笏湖から北上すること6キロ、ヘリはついに目視で目標を確認した。
タオは痺れがさらに強くなるのを感じる。そしてPg領域を超えた直後、その痺れが一気に強まった。
「来る!」
タオがそう言った意味を最も早く理解したのはG機関所属のヘリパイロットであった。木が根こそぎ倒された道から伸びてくる半透明、ほのかに青く澄んだ巨大の棘のようなものが機体に急速に迫るのを見たのだ。
避けきれない!とパイロットが思った瞬間、多数の六角形が棘とヘリの間に出現し、棘と接触、音叉が響くような音を響かせながらその棘を間一髪で止めた。
「接敵!降下開始!」
パイロットが後ろを向いてそう叫ぶ。ドアが開けられ、タオの手を取ってソラは空中に身を投じた。2031年12月26日恵庭岳山麓会戦。後に世界の運命を揺るがすことになる少女が初めて行う戦闘であった。
Qーあるいは母の愛についてー @Pasifico
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