第二話 タオ・リーの憂鬱な午後

 一発の銃声が響き、ブナ林からシジュウカラが一斉に飛び立った。後部座席のカーウィンドーが下がり、若い女性が男に向かって呼びかけた。

 「黒田さん、殺しちゃったんですか?可哀そうなことしますね。」

 黒田と呼ばれたソラに発砲した男は身動き一つしない、額に汗がにじんでいた。

 「いや、殺せていない。姫島、運転席移ってエンジンかけとけ。」

 その言葉と黒田の態度で何かを察したのか、姫島と呼ばれた女性は慌てて運転席へと移動して男に叫んだ。

 「黒田さん、一旦退却しましょう!」


 至近距離で発砲されたソラが目を開けると、そんなやり取りと苦虫をかみつぶしたような顔をしている男の顔、そして眉間からおよそ五センチの位置で静止し、グルグルと高速回転運動を続けている鉛の弾頭が目にはいった。ソラにとっては三分ぶりの超常現象であった。


 ソラは何かを感じ、石段の上へと視線を向けた。そこには、少女がいた。少女の髪は天へとたなびき、顔には純粋な怒りと憎しみの感情が表れていた。黒田はすぐさま拳銃を手から放したが、彼女が黒田へと手をかざすと90キロは優にありそうな屈強な体はいとも簡単に宙に浮いて、鳥居の先の車に向かって物凄い勢いで吹っ飛ばされた。


 黒田は一度バウンドし、砂利を巻き上げながら車に衝突した。口から唾液と血が混ざったものが飛び出す。女性が車の中から叫んでいる。

 「逃げろ!」

 黒田は車の屋根を叩いて中にいる姫島という女性にそう叫んだ。一瞬ののち、ドアにへこみを作った車は、黒田をその場に残したまま急発進した。


 「なんなのよあんた達!」

 少女が黒田を指さして叫んだ。

 「落ち着いてくれタオ・リー。俺は国の命令であんたを保護しに来ただけなんだ。」

 黒田はずれたネクタイを直しながらそう言ったが、その言葉には隠し切れない焦りが感じられた。そういった黒田をタオ・リーと呼ばれた少女が睨みつける。

 「それとそいつを殺そうとしたことに、なんの関係があるのよ。」

 タオの冷ややかな指摘に黒田は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに言い返した。

 「タオ、お前のような特殊性質発露者は機密事項なんだ。一般人に知られたら、はいそうですかって帰すわけにはいかない。」


 「でも!……だからって殺す必要があるの?」

 「飯田市立病院381号室!ここで暴れたら患者の安全は保障できないぞ!」

 駄々をこねる子供を𠮟りつける親のように、言い返したタオに向かって黒田はぴしゃりと言った。彼女の顔が一瞬にして硬直し、右手の指先が細かく震えた。ソラには初めて彼女の顔に恐怖と言う感情が鮮明に見えたような気がした。


 その隙を見逃すほど黒田は甘くはなかった。背中にあるヒップホルスターから素早く銃を取り出し、タオ・リーに向かって発砲した。圧縮空気を利用したパシュッという音が鳴り、タオの首元に一本の針が突き刺さった。

 

 タオ・リーは意識を失い、石段へと倒れたが、さっき見たように石段に体は当たらない。階段を転げ落ちてくるように見えたが、彼女の服には石段に生えている苔一つ付いていなかった。


 鳥居の下までそうして転がってきたタオ・リーを確認したのち、黒田は一度どこかへと電話をかけ、ほっとしたようにため息をついた。

 「さてと…。」

 黒田は自分に対して拳銃を向けている少年に向き直った。


 「フーッ、フーッ…!」

 ソラは震える両手で拳銃を黒田へと向けていた。歯の隙間から吐き出した息が白くなって霧散する。 

 彼の目には涙が浮かんでいたが、それは決して恐怖からではなかった。むしろその逆、激情を伴う怒りこそが彼の身を支配していたのである。

 

 「あの娘になにをしたんだてめぇ!」

 ソラが叫ぶ、拳銃の震えがぴたりと止まり、彼の涙はその瞬間、「上」に向かって落ちた。黒田の腕についた端末が甲高いアラーム音を鳴らした。その画面には-9.8m/s^2を感知。と表示された。


 ……温かい。ソラは思った。頭の中で何かが切れたような音がした後、ゆっくりとしたぬくもりが頭から全身に行き渡った。なんだか、抱きしめられているみたいだ。


 「まさか、そんなはずはない。お前は候補者じゃないはずだ!」

 黒田がそう叫び、麻酔銃をソラに向けて発射した。その針はソラに近づくにつれ徐々に減速し、ついにソラの目の前で完全に静止した。

 「嘘だ、、、一年以内に二人の相覚発露者が出現する確率に0が何個ついてると思ってる…」

 黒田はそういうなり麻酔銃を構えるのをやめ、絶望したように手をがくりと垂らした。


 ソラが空中で静止している針を見ると、その針が二、三度細かく震えたかと思うと、破裂した。

 頭が痛てぇ…ぬくもりはいつの間にか熱を帯び、頭の右側がうなりを上げてずきずき痛む。

 「………………………………。」

 両手で頭を押さえたソラは、目をふさいでいるのに外の景色が分かった。極彩色のその世界では黒田はひどくちっぽけに、タオ・リーは青森全部を覆いつくすほど巨大だった。僕らはタオ・リーの眼球の上に立っていた。

 死。目前に迫っていたようだ。


 痛みと幻覚は長くは続かなかった。それは突然、スイッチを切ったように寸断され、ソラの目には、木ににもたれかかって立つのも精いっぱいな様子でこちらを見ている黒田と、未だ鳥居の下で体を折り曲げて寝ているタオの姿が写った。


 「お前、、、大丈夫なのか?」

 黒田が震える声で言う。ソラは頷いた。

 「…状況が変わった、俺はお前とタオ・リー二人を保護しなきゃならない。ついてきてくれるか?」

 ソラは何も分からないまま、また頷いた。どっちにしろあんな経験をした後で普通の日常に戻れる気はしない。


 その時、黒田の携帯が激しく鳴り始めた。黒田が慌てて出ると、ヒステリックな女性の声が聞こえてきた。

 「今どこにいるんですか!タオ・リーの無力化に成功したのならなんで電話がつながらなかったんですか!とにかく重要な事だけ伝えます。北海道支笏湖付近で非相覚発露者を確認、それにより特例でタオ・リーの保護任務を中止、タオ・リーを使用した発露者無力化作戦に切り替えろとのことです!」

 「………了解。至急迎えを頼む。」

 黒田はそういって電話を切るなり、木にもたれかかったままずるずると座り込み、

 「日本史上最悪の一日だな。」とつぶやいた。

 遠くからヘリコプターの音が聞こえる。

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