第4話 紗央里視点 許嫁との新しい関係

「ふふ、それにしても友紀乃さんたら、お変わりありませんわね」

「え? 今のやりとりにそんな要素あった?」


 しばし抱擁をした後、体を離しながら気恥ずかしさをごまかすように私は昔を思い出してそう言った。だけど友紀乃さんときたら、きょとんとした可愛い顔をして、忘れてしまっているようだ。

 まだ神の子であるような幼い頃のこと、仕方ないとも言えるけれど、だけど、私は全部覚えているのに。


 私の六つになる誕生日の少し前のこと、祝いに友紀乃さんが何でもしてくださると言うから、私は大好きな友紀乃さんとずっと一緒にいたくて、結婚してほしいとお願いしたのだ。

 年の離れた兄にはすでに許嫁がいて私は姉のように慕っていたので、婚姻は私にとって身近な好きな人と一緒にいる為の方法だった。友紀乃さんは私のお願いに、最初は意味が分からないようだったけれど、ずっと一緒にいる約束をすることだと説明すると言ってくれたのだ。

 私とずっと一緒がいいから、結婚しようと。それを親に話して許嫁にしてもらった。あの時と友紀乃さんの表情も言い方もよく似ていて、まっすぐなところが変わらないなと思いだされたのだ。


「……ふふ、内緒ですわ」


 それを説明しようかと思った。だけど、口に出すのももったいない気がした。私だけが覚えていたっていいのだ。友紀乃さんにとっては忘れるほどのことでも、私にとって素敵な思い出なことには変わらないから。


「えー、気になるなぁ。子供の頃、私からプロポーズしてたってことだろうけど。……でも、さっきの私の方が、ずっと本気だからね?」

「ゆ、友紀乃さん……」


 抱擁をといたばかりでお互い体を向き合うようにしているこんな今にも触れ合いそうな状態で、友紀乃さんがどこか熱っぽい瞳で私をみつめられて、私はドキドキと胸の高鳴りを抑えることができない。

 また、口づけをするのだろうか。嫌ではないけれど。私だって、ちゃんと寮に戻る直前にリップは塗りなおしているけれど。だけど何度しても、緊張してしまう。


「ねぇ、紗央里さん、その……今ってさ、二人きり、だよね」

「えっ、そ、そうですわね?」


 いつ目を閉じようか。でもあんまり早くすると期待しているみたいだし、だからって言葉にしてもらうまで察しないと言うのも望んでないみたいだし。と迷っていると友紀乃さんが突然そんなことを言った。

 確かに二人きりではあるのだけど、この寮部屋の中では二人なのは当たり前だ。なのにあえてそんなことを言うのは、やっぱりキスの合図なのだろうか? でも今までと違うし、単に会話の前置きの可能性も?


「あー、今って言うか、食堂もまだ始まってないし、この寮自体、戻ってきてる人多分他にいないでしょ? そう言う規模での話って言うか」

「あ、そう、ですわね」


 寮は普段私たちが目にしないところまで、たくさんの大人の力で成り立っている。総監督である方は常駐しておられるので鍵こそ開いているけれど、長期休暇の期間は食堂も浴場も休止中だ。寮に戻っても自分で食事の用意をして各部屋備え付けのお風呂を使えばその掃除も自分でしなければならない。

 なのでほとんどの人は始業式の前日まで戻らない。玄関脇の管理室にいる人を除いて、あと数日の間、この建物にいるのは私と友紀乃さん二人だ。

 だけど改まってそう言われると意識してしまうような。


「そ、そうは言いましても、元々しっかりした建物ですので、それほど気にすることはないかと」

「まあそうなんだけど、でも、大きな声をだしちゃったら聞こえる可能性はあるし。……あの、なんていうか、こういうのってはっきり言うべきじゃないのかもしれないけど、伝わってないみたいだから言うね?」

「は、はい、なにかしら?」


 とはいえ、キスをするときは声を潜めてしまうくらいだ。部屋の外なんて気にしなかったし、今後もそれを気にしてほしくはない。なのでそこまで気にしなくても、私は大丈夫。と言う意味もあって言ったのだけど、友紀乃さんは視線をそらしてから、真剣な顔でそう前置きをした。

 その表情にドキっとしてしまいながらも、なんだか真面目なお話をするようなので私も心構えをする。


「その……今夜、一緒のベッドで眠りたいと思ってるんだ」

「えっ、そ、それは……」

「もちろん無理強いとかじゃないし、強引にするつもりはないんだけど、その、中々回りを全く気にしなくていいのってあんまりないし、なんていうか、キスよりもうちょっと、いちゃいちゃしたいなって言うか……」


 思わぬその提案に言葉が出ない私に、友紀乃さんはどこか早口になってそう言った。どこか必死なその言い方に、求められているのが伝わってきて体が熱くなってしまう。

 でも、そんな、婚前交渉なんて。はしたないのでは。いえ、でも、それを言えば唇は私から許しているのだし。それに求められること自体は悪い気はしないと言うか、気持ちもわからないではないと言うか。だけど、まだ、心の準備が。


「だ、駄目ならもちろんいいし、あの、考えておいてほしい、かな」

「だ、駄目なんて……その、け、検討いたしますわ」

「う、うん。お願いします」


 心臓がばくばくして頭がまわらなくて答えられない私に友紀乃さんがそうどこか伺うように俯き気味に続けるので、私は慌てながら返事をしようとして、おかしな物言いになってしまった。

 検討はこの状況で使う単語ではない。だけどはいと即答できないのも事実で、そして、いいえ、と言ってしまうのもはばかられて、私は……。


「ごめんね、昼間から変な話してさ。でもほら、土壇場でノリでなあなあっていうのも断りにくいだろうし、まあ、そんな感じだから」

「そ、そうですわね。ええ、お気遣い、理解しておりますわ。その、少し驚いてしまっただけですので、大丈夫ですわ」


 空気を変えようとされているのか、友紀乃さんはそう軽い調子で謝罪された。謝られるようなことではないけど、まあ、昼間からする話でもないのも事実。

 私もその空気にのるようにできるだけ軽い口調に聞こえるように応える。それに友紀乃さんはほっとしたようにゆるく微笑む。

 それに私も力が抜けて、緊張で体がこわばっていたことを自覚する。友紀乃さんはこういう人を安心させる雰囲気がある。そう言うところが本当に好き。


「うん、そうだよね、びっくりさせてごめん」

「いえ、まあ、そうですわね。昨年に比べて思った以上に積極的でいらっしゃるから」


 日常的なスキンシップとして私の手をひいたり軽い触れ合いは積極的にされる友紀乃さんだけど、あまり甘い雰囲気と言うのは苦手なのかいつもからっとしていた。口づけも私から促した時は初々しく戸惑っていたくらいだ。

 なのでてっきり、そういったことには少し奥手なのだろうとばかり思っていた。一度したから口づけは大丈夫になったようだけど、まさかその先を友紀乃さんから提案してくるなんて。しかもこんなに早く。

 その急な変化は友紀乃さんも自覚しているだろうと思い、軽いままそう言ったところ、友紀乃さんはどこか困ったような笑顔になった。


「去年? それは……うーん、今だからはっきり言うけど、その、クリスマスまで、紗央里さんが私のこと好きだとはわからなかったし」

「え? ど、どうしてそのように? 許嫁ですのに」

「いや、許嫁ってあくまで親が決めた話で、紗央里さんがどう思ってるかは関係ないし、将来結婚するのも紗央里さんが嫌がったら話がなくなるだろうし」


 そして思いもよらないことを言われてしまった。


 いえ、言われてみればそれはそうだ。定義上、許嫁は本人ではなくあくまで親がその関係を決めたものだ。本人の意思が反映されている確約はない。

 まして長いこと距離もあったし、私から具体的に言葉や行為で積極的に気持ちを伝えたことはない。手紙も人に見られる可能性や後に残ることを考えると、あまり気持ちをこめるのは気恥ずかしかった。


 そうか。友紀乃さんがお手紙をくれなかったのも、結局は私があいまいな態度だったから、本気には思われていなくて、あくまで形だけだと思っていたからだったんだ。

 とてつもないショックが私を襲う。だけど、待って。さっきのプロポーズの言葉は嘘なんかじゃない。今、友紀乃さんが私を思ってくださっているのは間違いのない事実だ。

 落ち着こう。別に友紀乃さんは私を非難したくて言っているのではないはずだ。


「……では、友紀乃さんにとって以前の私は、許嫁と言われているだけの、ただのお友達だったと言うことなのでしょうか?」

「いやまあ、一応許嫁として、意識はしてたよ。もしかしたら万が一、本当に結婚するかもしれないとは思ってたし」

「……そうではなく、友紀乃さんは? 友紀乃さんは、私のことをどう思っていらしたの? はっきり仰って」

「えっと、まあ、なんていうか、高嶺の花、かな。紗央里さんが私を好きなんて思いもしなかったし、好きになっても仕方ないと思ってた。だからあんまり、恋愛感情として意識してたわけじゃないよ」

「……そうでしたの」


 言わせたのは私なのに、心の中がずんと重くなる。ずっと私の片思いだったのか。なのにクリスマスの日は、私は一方的に……恥ずかしい。一人だけ盛り上がっていたなんて。


「でもね! 紗央里さんが相手を見つけるまでは許嫁でいいと思ってたし、もし紗央里さんの都合によっては結婚するかもとは考えていたわけで、つまり……自分で自覚してなかったけど、私の方はいつでも紗央里さんと結婚していいって思ってたみたい」


 さっきまでと違う意味で熱くなってしまう自分をごまかす様にうつむいてしまう私に、友紀乃さんは私の肩をつかんで強引に顔を寄せて強い口調で話だした。そして軽く頬を赤くしながらもまっすぐ私の目を見て、そう赤裸々に語ってくれる。


「だからその、高嶺の花の紗央里さんだからあきらめるようにしてただけで、多分、私も紗央里さんのこと前からずっと好きだったのも嘘じゃないよ」

「……本当に、慰めではなく、そう言ってくださっていますの?」


 その目を見て、本気で言ってくれている。と心から感じているくせに、私はそんな風に確認をしてしまう。だって、さっきの言葉が、私の独りよがりだったのだと自責した心が、友紀乃さんの優しさでないかと、自分がそう思いたいから本心だと感じているだけではないかと不安になってしまう。

 そんな心の弱い私に、友紀乃さんは微笑んでくれた。その慈愛の微笑みに、私の心は何度でも掴まれる。


「本当だよ。それがわかったからこそ、今だから言えるってことなの。それに、ちょっと誤解を招くかもしれない内容だけど、今なら、今の私と紗央里さんなら言っても大丈夫な関係だって思ったから言えたの。この話を聞いたら、私の気持ち、疑ってしまう?」

「そんな……いえ、疑うなんてこと、しませんわ」


 そこまで言ってもらって、それでも友紀乃さんの言葉をそのまま受け入れられないわけがない。私は友紀乃さんの目をまっすぐに見つめ返してそう答えることができた。

 私の返事に満足してくれたようで、友紀乃さんは最後の問いかけで少し首をかしげた悲し気な表情からふっと朗らかな笑みに戻して私の肩から手を離した。

 その豊かな表情の華やかさはいつでも私の胸をときめかせてくれるけれど、同時に離れた肩の熱が寂しく感じてしまう。


「よかった。まあ、なんでこんなことをわざわざ言うかというと、言わないのも不誠実かなって言うのもあるんだけど、もう一つ理由があってね」

「? なんでしょう」


 お互い思いあってはいたけれど、私はすでに心が通っていて、友紀乃さんはあくまでの形だけの関係だと思っていた。そのすれ違いがあった。と言うのは確かに、知ったところで私が少し恥ずかしいくらいだし、勘違いがあったとあえて黙っているのもやりにくいと言うのもわかる。

 だからあえて言ってくれたというのだけで十分な理由だと思うけれど。他に理由とは?


 今度は私が首をかしげると、友紀乃さんはふんわりと、どこか大人びた笑みになる。それだけで何故かどきっとしてしまう。なんだか艶のある表情のような?


「だって、それで私が奥手でいつまでも待つタイプだと思われたら、困るから」

「え、そ、それはその……」


 私が去年との違いにびっくりしていたから、それは違うと言う説明だったと。つまり、つまり?


「もちろん無理強いはしないけど、でも、その気になってもらえるように努力するつもりだから。だって私たちはもう、ただ親が決めた許嫁じゃなくて、恋人だから、ね」

「は、はい……」


 これからはもっと積極的にいく、とさりげなく私の手を取って宣言する友紀乃さんの笑みに、私は目をそらすこともできずにただ頷くことしかできなかった。

 きっと、一生私は友紀乃さんにかなわないのだろうな。そんな予感が、私の今夜の運命をすでに決めていた。

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許嫁百合 川木 @kspan

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