第3話 紗央里視点 許嫁への思い
「おかえりなさい、紗央里さん」
「わ、ゆ、友紀乃さん、た、ただいま、かえりました……」
クリスマスに一歩前進をしてから、友紀乃さんは少しずつ変わっていった。それでも冬休みの頃はまだどこか距離があったのに、今、友紀乃さんは寮に戻ってきたばかりの私に抱き着いてきている。ゼロ距離だ。さすがにまだ慣れてなくてどぎまぎしてしまう。
一年生が終わって春休みになり、それぞれ実家に帰ってから、お互い話を合わせて少し早めに寮に戻ってきた。久しぶりと言っても、約一週間ぶり。冬休みの時と変わらないくらいなのに、こんなに熱烈に迎え入れられるなんて。
もちろん、他ならぬ友紀乃さんに求められるのだから、嫌な気分ではないけれど。
「久しぶりの紗央里さん充電~、なんてね。ごめんごめん、会えて嬉しいからつい」
「お、大げさですわね。悪い気はしませんけれど」
数秒、ぎゅっと私を抱きしめながらも軽い調子で友紀乃さんはそう言ってから力をゆるめ、私を離した。それを寂しく感じながらも、それを言うのは気恥ずかしくて私はそう言って誤魔化した。
「お茶いれてるから、一緒に飲もう? 休みの間のことも聞きたいしさ」
「ありがとうございます。それはもちろん構いませんけど、毎日のようにお話していたではありませんの」
「直接話すとのは全然違うでしょ。こうして顔を見て話したかったの」
恥ずかしがることもなくからりと笑ってそう言った友紀乃さんの笑顔に見とれてしまう。
友紀乃さんの、こういうところが本当に好きだ。友紀乃さんは初めて会った時からずっと、私ができないことを軽々とやってしまう。友紀乃さんがいなければ、私はきっと今よりずっとつまらない人間になっていただろう。
「すぐに着替えますので、少々お待ちくださいな」
「はーい」
手早くウォークインクローゼットに入って部屋着に着替えることにする。春物のコートが少し暑いくらいだったけれど、脱ぐと室温は少しひんやりした。柔らかい室内用のワンピースに着替えて出ると、にこにこしながら席についている友紀乃さんが手招きした。
友紀乃さんに促されるまま近寄ると、手を取られる。そのまま引かれるまま、すぐ隣に座った。去年はまだ向かい合って座るのが定位置だったけれど、クリスマスに私が勇気をだしてから友紀乃さんは当然のように私と隣合って座るようになった。
向かい合ってお茶をするのも、友紀乃さんの表情がよく見えて嫌いではなかったけれど、隣で肩が触れ合うのはまた違った楽しさがある。
「はい、どーぞ」
「ありがとうございます。ふぅ、温まりますわね」
ずいと押して促されたのでお茶をいただく。絶妙に温かいお茶はちょうどいい塩梅だ。
「日差しは暑いくらいだけど、気温はそれほどでもないしね。昨日の夜は結構涼しかったよね。体調崩したりはしてない?」
「体調は問題ありませんけれど、確かに朝も冷えましたわよね。友紀乃さんは大丈夫ですの?」
「もちろん。でも朝か。紗央里さん、今日は何時に起きたの?」
「いつも通り、六時半ですわね」
私の起床時間は決まっている。同室で暮らしているけれど、友紀乃さんは私が起きた後にいつも起きられるので、実際に何時かわかっていなかったのだろう。
特に知っておいてもらう必要もないけれど、もしかして友紀乃さんも規則正しく生活しようと言う気になったのだろうか? 友紀乃さんは少し寝汚いところがある。そう言うところも可愛いけれど。
「前からそんな気がしてたけど、紗央里さんってもしかして、平日も休日もいっつも同じ時間に起きてるの?」
「もちろんそうですわ。体内リズムが狂ってしまいますもの」
「偉すぎる……」
「ふふふ。よろしければ、起こしてさしあげますわよ?」
「うーん、私、寝るの好きだからなぁ」
「存じておりますわ」
友紀乃さんが夜更かしをしているなら注意の一つもする気になるだろうけど、友紀乃さんが私より後に寝ることはほとんどない。必要な睡眠時間が多いのだろう。そう言うものは個人差があるものだし、友紀乃さんは頭がよいからきっとその分普段から脳みそを使っているのだろう。
「うーん……紗央里さんって、ほんと、ちゃんとしてるよね」
「そうでしょうか。まあ、だらしなくならないようには意識しておりますけれど」
「してるよ。部屋着にもすぐ着替えるし……私と一緒にいて、ここ嫌だな、とか思ったらすぐ言ってよね? 外着でいるの汚くて嫌じゃない?」
確かに友紀乃さんは部屋着に着替えずに休憩を挟んだりすることが多い。だけど別に、泥だらけの格好と言うわけではないのだ。普通に外に出ただけでそれほど汚れているわけでもないのに、汚いと思うわけがない。
私がすぐに着替えるのは単に幼いころからそうしているから、その方が落ち着くだけだ。私の家はそれなりに由緒があったりして、子供のころから着物で外出することも少なくはなかった。
だから家に帰るとまず着替えないと、心から落ち着くことができない。世間的に私は着物を着慣れているほうがと思うけど、普通に洋服の方が過ごしやすいし、着物はどうしても気を遣う。ただそれだけだ。
「そんなこと思いませんわ。私がそうしたいからしているだけですし、友紀乃さんの奔放なところが……その、私は好ましいと思っておりますわ」
「紗央里さん……ありがとう、そう言ってもらえてほっとしたよ。私は紗央里さんと違ってお嬢様ってわけじゃないし、正直に言うと釣り合わないって自覚してるからさ、これからも何かあったら遠慮なく言ってね」
「そのような、そのようなことを仰らないで」
私の言葉に苦笑するように友紀乃さんがそんなことをいうものだから、私は反射的に友紀乃さんの手を取ってそうお願いしていた。
だって、釣り合わないなんて、そんなのは、私の方だ。確かに家柄は私の方が上かもしれない。でもそれだけだ。そもそも家なんて、兄が継ぐのだから私には関係ない。
ただ一人の人間として、友紀乃さんが劣っていることなんてない。お顔付も人を和ませる愛らしいものだし、いつでもご自分のペースを崩さない心の強さをお持ちで、何をするにも人より器用にこなしてしまう。お茶だって、私がほんの少し手ほどきをしただけでもう美味しくいれてしまう。
それでいて、けして人を見下すところのない人だ。高潔で心優しく、いつだって陽だまりのように寄り添ってくださる。友紀乃さんを見ていると、頑張らないととも思えるし、同時にほっと一息をついて安心もできる。この人と一緒ならもう大丈夫だと。
確かに、迷ったことがないとは言わない。
幼い頃に出会い、友紀乃さんに惹かれてから長い時間がたった。友紀乃さんに結婚の約束を強請り、やや強引にだけど許嫁の地位を手に入れた。
だけど入学してからは少しずつ距離が離れていってしまった。年に一度しか会えないこと以上に、友紀乃さんときたら筆無精で、年々お手紙のお返事が減って近年では年賀状しかくれない。私もそうなると一方的に送りにくくて、時候の挨拶しか送れなくなった。
幼い頃の口約束、それも私が願って言わせたにすぎない。友紀乃さんを縛り付けるべきではなく、私も手紙の返事すらくれない友紀乃さんにこだわっても仕方ないのかもしれない。
そんな風に考えたことだってあった。それでも、顔を合わせる度に、友紀乃さんを改めて好きだと思わされた。別の人を好きになってみようと、皆さんが憧れる先輩を観察してみても、友紀乃さんの素敵なところばかりが思い出されて、友紀乃さんの笑顔が消えなくて、そんなこともできなかった。
だから父にお願いして、私は思い切って友紀乃さんと同じ高校に進学することにした。私も私で母の出身校を進められてはいたのだけど、これ以上中途半端なのは嫌だった。
そうして友紀乃さんの傍で過ごして、もうどうしようもないくらい、手遅れなほど、私は友紀乃さんが好きだと自覚した。離れていたから、寂しいから、それをごまかすために連れない友紀乃さんなんてと内心で憎まれ口をたたいていただけで、本当は好きで好きで仕方なかったのだ。
一緒に過ごす友紀乃さんはこれまで私に対してそっけなかったことなんてないかのようにして、私と一緒が嬉しいと言う風にふるまう。それは今までの年に一度の逢瀬でもそうだったけれど、ずっと一緒にいても変わらなかった。
お世辞だったり無理にふるまっていたのではなく、素でそうなのだ。それでわかった。本当に、友紀乃さんに他意はないのだ。
単純に手紙が好きではないからしなかっただけなのだろう。そこにそれ以上の意味はなく、私がそれを待っていたなんて思いもせず、悪びれもせず手紙をありがとう、マメだねなんて言えるのだ。
だから私は、迷うのをやめた。
友紀乃さんは物理的な距離さえ近ければ、私以上に言葉や行動で気持ちを伝えてくれるのだ。なら私が離れなければいい。私が離れたから悪かったのだ。それに何より、私が人生で友紀乃さんさん以上に人を好きになることはないだろう。
この人を逃せば、私はきっと心にぽっかりと穴があいた人生を過ごすことになるだろう。小中と私はそんな状態だったのだ。自覚はしていなかったけれど、今はそれがわかってしまう。
そうして友紀乃さんと一緒に過ごして、その気持ちはどんどん強くなっていっている。
なのに、友紀乃さんがそんな風に感じていたなんて。自分が恥ずかしい。自分ばかり幸せな日々に浸るばかりで、友紀乃さんがそのようなくだらないことで憂いていたなんて、思いもしなかった。
「友紀乃さん、私は、ありのままのあなたの全てを、お慕い申し上げているのです。その、昨年連れない態度をとっていたことはお詫び申し上げますわ。どうしても、恥ずかしくて……」
言葉できちんと伝えなくてはならない。だから恥ずかしいけれど、私は友紀乃さんの目を真っすぐに見てそう告白した。
友紀乃さんと一生を共にすることを改めて心に誓ったとはいえ、友紀乃さんがあまりに軽い調子で近づいてくるものだから、気恥ずかしさから距離をとったり軽口でいなしたりしたこともあった。
もう高校生だと言うのに、いつまでも幼子のような恋愛観では呆れられてしまうだろう。
そう思い、私はクリスマスのあの日に勇気を出した。
あの時は予想しておらず突然だったからか、友紀乃さんは非常に戸惑い混乱した様子だった。そんなところも可愛らしかったけれど、思い切って私から頬に口づけると強引に友紀乃さんから口づけられた。
そのまま二度、三度と求められた。あの、初めての口づけのしびれるような幸福と言ったら、今思い出しても体の芯が熱くなる。
あれからデートをしたり何かある度に、今までと違う明確に恋人の距離で接してくれて、その度に口づけも交わしていた。
それでもう、私はすっかりお互いの気持ちが通じ合っているものだと思い込んでいた。
きちんと言葉で伝えていなかった。そのせいで、友紀乃さんを傷つけていたのだ。本当に申し訳ない。だから、恥ずかしがっている場合ではない。誠心誠意、心を伝えなければ。
「ですけれど、幼少期から今まで、友紀乃さんのことを忘れたことなどありませんわ。友紀乃さんと共でなければ、私は幸せになれないのです。逆にあなたさえいれば、私は幸せになれるのです。どうかご自分を卑下なさらないで」
「紗央里さん……ありがとう」
友紀乃さんにきちんと伝わるように、できるだけまっすぐな言葉で思いを伝えると、友紀乃さんは少し驚いたようだったけれどすぐにほほ笑んでから私をぎゅっと抱きしめた。
その力強くも優しい抱擁に、とても恥ずかしいけれど、伝えられてよかったと安堵する。時間がかかったかもしれないけれど、間に合ったんだ。
「ちょっと気になっただけなんだけど、気を使わせてごめんね。そんな風に言ってもらえるとは思わなかった。でも、すごく嬉しい。うん」
そして私を抱きしめる力を弱め、私と顔を合わせてから友紀乃さんはとろけるような笑顔でそう言った。
「私も、紗央里さんとずっと一緒がいいよ。結婚しようね」
「っ、はい。絶対に」
昔と同じその笑顔と言葉に、私はそっと友紀乃さんに抱き着いた。
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