聞こえる(5)

「え……それは……どういう事」


 茜ちゃんから?

 助けて、って。

 事態の把握が充分にできず、心美ちゃんの顔を凝視してしまう。


「分かんないよ、そんなの。でも……行かなきゃ……パパ」


 目を泳がせ、今にも泣きそうになっている心美ちゃんを見て、僕は逆に冷静になり始めた。

 人の心理として、自分以上に動揺している相手が居る場合逆に冷静になる、というのがあるけど本当だな、と感じた。

 心美ちゃんは僕に何か言いたげなすがるような視線を向けている。

 そんな彼女を見て、僕が言うべき事は一つだった。


「家、分かる? 車出すから一緒に行こう」


「有難う。1人じゃ……怖くて」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 近くのコインパーキングに停めてから心美ちゃんの案内で着いてみると、茜ちゃんの家は小さなアパートだった。

 今時中々見ない……年季の入った作りで、木造作りの外観はそこかしこに汚れやへこみが見える。


「茜ちゃん、お母さんが4歳の頃に死んじゃって、お父さんと二人暮らしなの。建設現場でお仕事してる関係で、ここ1週間は留守にしてるみたい。お父さんは留守しがちだけど、もう慣れたからって良く言ってた」


 心美ちゃんの言葉に頷くと、僕らはさびの浮かんだ階段を上り、ドアの前に立った。

 インターホンを鳴らすが返事は無い。


「茜ちゃん。いる? 柳瀬です」


 やはり返事は無く、中からは何の物音もしない。


「……留守なんじゃないのか?」


「そう……かな。それか、体調悪くて返事できないとか」


「携帯鳴らすか? それかライン送ってみるか」


 僕の言葉に頷くと、心美ちゃんは携帯を取り出し耳に当てる。

 すると、中から着信音が聞こえてきた。

 

「茜ちゃん、大丈夫? 柳瀬です」


 先ほどよりも大きめの声で心美ちゃんが呼びかけるが、変わらず物音さえも無い。

 心美ちゃんはドアノブに手をかけてみると……開いた。


「……開いた」


 僕らは顔を見合わせて、その場に立っていた。

 どうする。

 だけど、心美ちゃんへの電話や中から聞こえる着信音も含め、明らかに普通じゃない。

 これは……仕方ない。


「入ろう。何かあったらパパが責任を取る」


 心美ちゃんは無言で頷くと、僕の後ろに回って袖を握り締めた。


 室内は真っ暗だったので、明かりをつけることを何度か言いながら携帯のライトを使い電気をつけた。

 すると外観からうかがえるよりも広く、上がりかまちの周りは各地の土産物の人形や木彫りの像などで雑然としていたが、他はむしろ簡素だった。

 

 目の前には少し離れたところにリビングが見える。

 右隣にはお手洗いが。

 

「茜ちゃん、ゴメン勝手に上がって。何か……あった?」


 自分の声が裏返ってしまったのを感じる。

 明らかに動揺していた。

 早く終わらせたい。

 この中は……変だ。


 上手く言えないけど、奇妙な気配がする。

 物音は無いので感覚的なものでしかない。

 根拠は無い。

 

 この感覚の示す所は分かっていた。

 でも、言葉にしたくなかった。

 それはあまりに恐ろしい想像だったから。

 

 背中に感じる心美ちゃんの体温だけが僕をこの場につなぎとめていた。

 もし1人だったら回れ右をして逃げ出していただろう。


 「ずっと居ると……泥棒と思われ……る。茜ちゃんの部屋は? そこで……最後にしよう」


 僕は大きな声で言った。

 まるで誰かに聞かせるように。


「リビングを抜けて……右側」


 僕は返事をせず目の前の真っ暗なリビングに向かう。

 何度か失敗した後、リビングの電灯を点ける。

 するとリビングと共に、開け放たれていた茜ちゃんの部屋も見えた。


 畳敷きの5畳ほどの同じく簡素な部屋。

 だが……中を見てその場から動けなかった。

 部屋の壁には8枚ほどだろうか。

 心美ちゃんの明らかに隠し撮りと思われる写真が飾ってあった。

 机の上には、心美ちゃんと茜ちゃんであろうと思われる人物が腕を組んで写っている写真が写真立てに入って置かれていた。

 で、あろうと言ったのは、心美ちゃんの隣の少女の顔だけが黒いマジックで塗りつぶされていたからだ。

 なんでこんな事を……


「これ……去年の文化祭の後で一緒に撮ったやつ」


 心美ちゃんが震える声で言う。


「茜ちゃん……言ってた。『私なんかが一緒じゃ心美ちゃんを汚しちゃう』って。そんな事無い、って言ったのに……」


 茜ちゃん……そこまで。


「彼女、本当に心美ちゃんを……」


 僕はそう言い掛けて口を閉じた。

 今……何か。


 どすっ。


 耳の中に暴力的に飛び込んできたその音は、僕らの目の前……クローゼットから聞こえてきた。

 何かが崩れ落ちるような……積んであった荷物が崩れて落ちるような。


 クローゼットだ。

 服を詰めた箱が……落ちただけ。

 そう思いながらも僕は冷や汗が止まらなかった。

 足が震える。

 

 だけど、クローゼットから目を離せない。

 

 その時。

 クローゼットから滲むが畳にわずかに染み込むのが……見えた。

 そして……聞こえた。


 ほんのわずか。

 いつもなら聞き逃している程度の音。

 

 ひゅっ、と言う息。


 僕は心美ちゃんの手を掴むと、その場から駆け出した。

 もう目の前のわずかなものしか目に入らない。

 そのままドアを開けて外に出ると、無言で車まで走る。

 心美ちゃんの手を引きながら。


 そして車内に入ると、震えながら大きく息を吐いて言った。


「警察を……呼ぶ。何も無かったらパパが責任を取るから……いいね」


 涙目になって頷く心美ちゃんにそれ以上目を向ける余裕も無く、僕は電話した。


 その後。

 到着した警察が中を調べたところ、クローゼットの中から茜ちゃんの遺体が発見された。

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