聞こえる(4)
駐車場に戻り、心美ちゃんと車に乗った僕はそのまま車を走らせ、一緒にマンションに帰った。
雨はまだ降り続けているが先ほどよりも少し小降りになって来たようだ。
「大丈夫? 結構濡れちゃったね、肩の所」
僕はそう言うと、タオルで心美ちゃんの肩のところを拭いた。
だから二人で入るのはやめたほうが良かったのに……
「平気だよ、このくらい。でも、ちょっと冷えたかもだから今からシャワー浴びるね」
心美ちゃんはそう言うと、着替えを取りに部屋へ入ると、浴室に向かった。
僕はため息をつくと、冷蔵庫から麦茶を出してリビングのソファに座る。
茜ちゃん……か。
あの子と心美ちゃんは仲の良い友達……のはず。
だけど、何故かそんな風に見えない。
もっと違う……そう……あれはまるで。
ぼんやりと考えていると、携帯が鳴ったので確認するとさやからだった。
「もしもし、どうした」
日曜の事かな?
そう思っていると、予想に反して想像もしない内容だった。
「今からこっち来れる? 今、えっと……心美ちゃんの友達って言う……この前来てた茜ちゃんって子がいるんだけど」
「茜ちゃん? でもなんで僕が……」
あかねちゃんはここまでの感じだと、むしろ僕とは口を利きたくない側の子のはず。
「それがね……あなたに謝りたいんだって。あと、心美ちゃんとの事も説明したい、って。ただ、あの子が居ると言いにくいみたいで、心美ちゃんには内緒で、って」
なんだよ、そりゃ。
「いや、そんな事気にしなくていいからって伝えといて。あの時もそうやって言ったんだけど」
「私も気にしなくていい、卓也はそんな人じゃない、見たいなニュアンスの事言ったんだけど、退かないんだって。どうしても、って。正直私も困ってるからさ……ちょっとだけでいいから話してあげて」
その口調からは本気でもてあましている感じが伝わってきたので、ため息混じりに了承して通話を切った。
さやは今回の件には関係ない。
あまり迷惑も掛けられないだろう。
何なんだ、あの子は……
僕は立ち上がると、浴室の心美ちゃんへ声をかけた。
「職場から急に呼び出しがあった。ちょっとだけ顔出してくるよ」
「分かった。いつもお仕事ありがとう。気をつけてね」
シャワーの水音に混じって心美ちゃんの声が聞こえた。
●○●○●○●○●○●○●○●○
カフェに着くと、ソファ席で茜ちゃんが座ってオレンジジュースを飲んでいた。
「ゴメンね、お待たせ」
そう言いながら、僕はあかねちゃんの向かいに座る。
「いいえ。こちらこそ突然無理言ってすいません」
「それは大丈夫だよ。こっちこそ言い方きつかったかな? ここまで気に病ませるなんて……申し訳なかったね」
茜ちゃんに向かって深々と頭を下げる。
「気にしないで下さい。後で考えると失礼にも程が……あったな、って」
「いいよ、ああいう内容はデリケートだ。当事者以外には中々程度が分かりにくい。僕らもそんな事は分かってるから気にしなくていいよ」
僕は笑顔でそう言った。
なんだ、案外いい子じゃないか。
茜ちゃんは僕の言葉に笑顔を浮かべると、わずかに周囲に視線を動かして言った。
「あの……心美ちゃんの事なんですけど」
「ああ、彼女の事を話したいって言ってたっけ? 学校での事?」
「いいえ……もっと……違う事を」
ためらいがちにそう言うと、茜ちゃんは大きく息をつき、眉を寄せると言った。
「謝っておいて言う事じゃないかもです。でも……やっぱり我慢できません。心美ちゃんを解放してあげてください」
「……え? あの……それは」
「言葉の通りです。あなたは心美ちゃんの事を何も知らない。あの子の本当に見ているものを。見てきたものを。私にだけ教える、って言ってくれたから……だからあの子を守らなきゃなんです」
熱に浮かされたような口調で言うその目は僕を見ていなかった。
まるでここには居ない誰かを見ているような感じだった。
「えっと……ゴメン、それは図書館でも言ったけど……」
「知ってます。でも……今から私の言う事を聞いてからでもそう言えますか? 全部……聞いてからでも」
その言葉に僕は思わず彼女の顔を凝視した。
なんだ、それは?
「ごめん、それ……どういう……」
その時、近くに来たさやが僕らに小声で言った。
「ゴメンね、二人とも。他のお客様も居るからさ……ちょっと場所を変えてくれると……」
すまなそうに言うさやに僕と茜ちゃんは頭を下げた。
「じゃあ……家まで送って下さい。その道すがらにお話しします」
流石にこれには断る選択肢は無かったので、頷くと彼女に続いて店を出た。
霧のような雨の中、まるで僕と茜ちゃんだけが世界に居るように感じる。
そんな閉ざされたような世界の中で、彼女の話を聞こうとしている。
彼女の横を歩きながらその緊張で足取りがおぼつかなくなっているのを感じた。
「あの……話の内容って……」
茜ちゃんも緊張しているのか、何回か小さなため息をついていたようで、周囲にしきりに目を向けている。
一体……何を言おうとしてるんだろう。
そんな事を考えていると、急に聞き覚えの無い着信音が鳴り、茜ちゃんが「誰なの……ちょっとすいません」と言って携帯を取り出して耳に当てた。
すると、それまでと彼女の様子が変わった。
その場に固まったように立ち竦むと、僕を見て慌てて数メートル離れると行ったり来たりしながら誰かと話していた。
時々立ち止まっては首を振っている。
それからしばらく誰かと話しているようだったが、やがて通話が終わったのか僕のところに戻ってくるとポツリと言った。
「……すいません」
「いや、いいんだよ。で、話の続きだけど」
「あ、心美ちゃんの……ですよね。すいません、そうでした。えっと……心美ちゃん、学校でも凄く頑張りやさんなんです。それに……えっと……お父さんやお母さんの自慢話ばっかり。『パパとママのお陰で生まれ変われたみたいに毎日楽しい』って。あんまり楽しそうだからヤキモチ焼いちゃうくらいです」
先ほどとは別人のように明るい口調だが、僕はその言葉が耳を素通りしていた。
なんだ……これは。
「そうか……有難う。所で言いたかった事って……」
「あ、この内容です。こんな事、心美ちゃんの前だとあの子、恥ずかしがっちゃうから。有難うございました」
茜ちゃんは一気にそう言うと、バッグから携帯を取り出した。
それは……心美ちゃんの。
「これ……お返しします。心美ちゃん、間違えて私のバッグに携帯入れちゃってたみたいで。お渡しいただければ」
「……分かった」
僕はやっとそれだけ言うとスマホを受け取った。
すると、茜ちゃんは頭を下げてまるで逃げるように小走りで歩いていった。
●○●○●○●○●○●○●○●○
茜ちゃんの後姿が見えなくなると、僕はため息をついてマンションに戻った。
何だったんだ、今のは。
あの子……何を言おうとしてたんだ?
あんな内容じゃ無い事は分かる。
じゃあ何を……
考えても全く理解できなかった。
色々と想像したが結局1人で考えてもなんともならない。
もう一度茜ちゃんに話を聞かないと。
さやにも事情を話して、出来ればあの店でさやも交えて。
だが、そんな提案を聞いてくれるのか……
頭の中をグルグル回る考えに支配されながらも、それから先には全く進まなかった。
まるで霧……いや、この雨みたいな先のボンヤリした景色を歩いているようだ。
そう思いながら、マンション近くのコンビニの前を通りがかると、突然入り口から「パパ」と声が聞こえたので、驚いて目を向けると心美ちゃんが丁度店内から出て来るところだった。
「お帰り、パパ。お仕事大変だったね」
そう言いながらニッコリと微笑む心美ちゃんは、いつもと違う白の無地のTシャツにジーンズ素材のハーフパンツとラフな格好だった。
「ああ、ただいま。仕事が早く片付いたよ。心美ちゃんは何買ったの?」
「宿題に使うノートが切れちゃってたから買ってきた。後は飲み物とお菓子」
「そうか。じゃあ一緒に帰ろうか。あ、あと仕事帰りにたまたま茜ちゃんと会ってね。彼女から携帯を預かってきたよ。間違って彼女のバッグに入ってたって」
「え? そうなんだ! あ、ありがと……後で茜ちゃんにもお礼いっとかないと」
目を大きく見開いて僕からスマホを受け取った心美ちゃんは、ホッとしたような顔を浮かべた。
仕事帰りって……言い訳になってるのか? まあ、でも別に詮索される事でもない……か。
心美ちゃんを見ると、特にいつもと変わりはない。
その様子にホッとしてる自分がいた。
そう思いながら一緒に家に入ると、玄関で突然心美ちゃんが両腕を抱えて震えるようなしぐさをした。
「大丈夫? 寒い?」
「うん……お風呂上りで外出ちゃったからかな」
「あ、じゃあ……またシャワーした方が……」
「やだ、何回も入りたくない」
そっけない口調でそう言うとそのままの格好で言った。
「背中からギュッとして」
「え……いや……」
「風邪引いちゃう」
それは有無を言わせぬ口調に聞こえ、茜ちゃんと会った事への後ろめたさも手伝って「少しだけなら」といかにも渋々、と言う口調で言うとあくまでも軽く、背中から前に腕を回した。
「それじゃ首が苦しいだけだよ。……もっと下」
そう言って心美ちゃんは僕の手を掴むと、自分の胸の辺りまで手を降ろして押し付けた。
彼女の腕の上から手を回している格好だが、自分の頭に一気に血が上るのを感じる。
心美ちゃんの身体の冷たさが僕の身体に染み込んでくる。
「……あったかい。有難う」
「なら……いいけど。でも……中学生は普通、父親とこんな事はしないから。これが……最後だよ」
「茜ちゃんとは会ってたのに?」
いつも通りの口調だが、僕は心臓を冷たい手でつかまれたような悪寒を感じた。
「あれは……仕事の後でたまたま」
「寒い。もっとギュッとして。でないと離れないから」
僕は眉を強く寄せると心美ちゃんの身体を背中から強く抱きしめた。
脳裏に香苗が泊まりこみの仕事である事が浮かんできた。
なんで……そんな事が……
「寒い。やっぱりシャワー浴びる」
「その方がいい。温まっておいで」
ホッとしながらそう言うと、心美ちゃんは僕に顔を向けて無表情で言った。
「パパも冷えちゃったね。一緒に入る?」
「……は?」
顔をこわばらせながら言うと、心美ちゃんは僕の頬を軽くつねって言った。
「パパ、可愛い。冗談に決まってるじゃん。じゃあ入ってくるね」
クスクスと笑いながらそう言うと、心美ちゃんは部屋に入っていった。
僕はその後姿を呆然と見ているしかできなかった。
その夜。
疲れが酷かったため食事を作る気になれず、ピザを頼んで二人で食べていると突然心美ちゃんが携帯を見て呆然としていた。
「どうした? 何かあった?」
見たことの無い様子に思わず尋ねると、心美ちゃんは声を震わせながら言った。
「パパ……茜ちゃんから。どうしよう。『助けて、すぐに来て』って。ねえ……どうしたらいい?」
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