聞こえる(2)
さやとの話をした翌日の木曜日。
この日は朝から雨が静かに降り続く静かな日だった。
僕はこの日、有給を取っていた事もあり窓の外の雨を見ながら、ベッドの背を上げてぼんやりと本を読んでいた。
香苗からは自堕落だ、とからかわれているが中学生の頃からこの状態での読書が大好きだった。
特に雨の日は余計に。
香苗は仕事で、心美ちゃんは今日は茜ちゃんと図書館で勉強すると言う事で、今はシャワーを浴びている。
なので、夕方まで1人だが、ここ最近色々あって疲れていたので、ゆっくりと考えを整理して気持ちを落ち着かせられるのは有り難かった。
そんな事を考えながら雨の音の心地よさに身をゆだねていると、うとうとしてくるのが分かった。
こういうまどろみもまた雨の日の読書の良いところなのだが……
そんな気持ちのままどうやら眠ってしまったらしい。
ぼんやりと目を覚ますと、僕は鳥肌が立ち一気に意識が覚醒した。
そして、目だけ動かすと隣に寝ていた心美ちゃんと目があった。
「おはよう、パパ。早かったね、もうちょっと寝てていいのに」
「え……なんで……」
「ふふっ、いたずらしちゃった。気持ち良さそうに寝てたんだもん。前からいいなぁって思ってたんだ、パパのベッド。やっぱフワフワじゃん」
心美ちゃんはそう言いながら目を細めて微笑んだ。
「……茜ちゃんと図書館……」
「まだ1時間ある」
「あ……じゃあ、僕が出るよ。心美ちゃんはゆっくり……」
「やだ」
心美ちゃんはそう言うと、ベッドから出ようとした僕の袖を掴んだ。
「私たち親子でしょ? 親子が一緒に寝るのって何も変じゃないじゃん」
「でも……君は娘で……」
「それって私たちを男女、って意識してるからでしょ。私は平気だよ。パパが勝手に私を女と思ってる」
その言葉に僕は心臓が大きく跳ねるのを感じた。
(女と思ってる)
その言葉は僕の心の中の痛いところを付いた。
そんな事はない。
僕は……父親だ。
彼女は可愛い……そして一生大切にする娘……
僕は無理に苦笑を浮かべると、またベッドに入った。
「こんなオッサンといて楽しいのか?」
「うん、楽しい。……後、ホッとする」
「そうか」
「……家族っていいね」
「そうだな」
心美ちゃんの言葉に心がほのかに温まるのを感じた。
「私、ずっと自分の家族が欲しかったの。何があっても離れない。心の奥底からつながった家族。血を分けた肉親って言葉に憧れてた。私の……血を分けた」
淡々と話す彼女の口調と外の雨音が入り混じる。
肉親……
「……どうしたの? パパ、険しい顔してる」
「いや、なんでもない」
慌ててごまかしたが、心美ちゃんは僕の目をじっと見ている。
「家族の事? だって私が家族、って言ったら急に怖い顔した。……ねえ、聞かせて? 私を娘と思ってるなら」
そう言いながら心美ちゃんは僕の頬をゆっくりと撫で、目を覗き込む。
その手の暖かな……そして心地よい感触に心が緩んだのだろうか。
それとも心美ちゃんの瞳に引き出されたのか。
僕は口から言葉がこぼれるのが分かった。
脳の片隅で警告が聞こえた気がしたけど、止められなかった。
「血を分けているからこそ……憎い事もある。一生の枷になる事もある」
思わず口から漏れた言葉に焦りを感じたが、構わず話した。
「僕の父は外面の良い人だった。でも、家では仕事のストレスを家族にぶつけ、怒鳴り声や暴力を振るう男だった。母はそんな父と離婚する事も無く従属していた。そのために、僕と姉は身を寄せ合ってアイツの顔色を伺っていることしか出来なかった」
途切れ途切れに話しながら心美ちゃんの様子を見ると、無表情で僕の話を聞いている。
「そんなある日。高校1年生の夏の日だった。友達の家から帰った僕は、今で姉の叫び声を聞いた。駆け込むと、そこには姉を殴っているアイツの背中が見えた。その時。何かが切れた。目の前が真っ赤に染まり、気がつくとそばの写真立てでアイツの後頭部を殴っていたんだ。あの時の感触は覚えている。……そしてアイツは倒れて、家族はバラバラになった。僕と姉は親戚の下に引き取られた。母は……それでもなおアイツに付く事を選んだんだ」
僕はホッと息をつくと言った。
「アイツは今、老人ホームに入っている。家で急に倒れて……
話しながら自分が泣いているのが分かった。
「僕が……家族を壊したのか。そんな思いがずっとある。姉さんは僕の味方でいてくれるけど……母さんにもアイツにも会ってない。姉さんだけが僕の肉親なんだ……」
その時。
心美ちゃんが僕の胸に身体を寄せてきた。
一瞬焦ったけど、それを引き剥がす事ができない。
いや、自分がそれを心の隅で求めているように思えた。
苦しい……辛い。
誰かにこの空洞を埋めて欲しい。
涙が頬を濡らす。
「ごめん……みっともないところを。それに、君に話すことじゃ……」
「なんで? ……嬉しい」
そう言うと、心美ちゃんは突然僕の頬に顔を近づけた。
……なんだ?
突然の事に動く事が出来ずに居ると、次の瞬間。
頬に舌のぬめりを感じた。
頭の中が真っ白になる。
何を……されてるんだ?
心美ちゃんの舌が僕の頬を這いまわって……いや、舌先……舌全体に包み込まれるようだった。
独立した生き物のような生々しい暖かさと、湿った感触。
頬と耳元に感じる吐息。
唇に垂れる心美ちゃんの髪。
甘く、仄かな彼女の香り。
それは気を抜くと……何かに意識を引っ張られてしまうような、甘美な暗闇を見ているようだった。
「私たち、家族でしょ。全部……見せて」
心美ちゃんの声が耳元に……いや、脳の奥に直接飛び込んでくる。
全部……
目の前の景色がぼやけ始めたその時。
心美ちゃんは僕から顔を離すと、ニッコリと笑った。
「綺麗になったね。ほっぺた」
そう言って彼女はベッドから出た。
「ありがとう、お話し聞かせてくれて。……凄く嬉しかった。じゃあ出かけてくるね」
そう言いながらペコリと頭を下げて部屋を出て行こうとしたが、何かを思い出したのか突然振り向いて言った。
「また、聞かせて」
そう言った彼女の顔は、見たことも無いような……吸い込まれるような微笑だった。
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