目
仙道ホーム長が失踪した。
その事実は僕の理解を超える物だった。
職員の人に最初に聞いたときは、確かに彼は旅行に行くと言っていた。
そこから電話での退職から失踪というのは、飛躍にも程があるだろう。
だが、その反面僕はあの日……
心美ちゃんを引き取って施設を後にするときの彼の表情……何かに怯えていたような顔を思い出していた。
彼は何に怯えていたんだろう。
それを知りたい。
やっぱり一度施設に行ってみようか。
香苗と一緒に。
ただ、心美ちゃんを置いて香苗とだけ行く事は現実的に難しいだろう。
そうなると……さやになるが、彼女も最近店が忙しいとかで、中々ラインの返事も返ってこない。
実際、店も臨時休業になっていることが多い。
アイツは何をやっているんだろう……
まあ焦ることは無い。
失踪という物騒な単語も出ているこの件に、一人で首を突っ込むことは不安もあるし。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら仕事から帰った僕はおや、と思った。
心美ちゃんの部屋から複数の女の子の笑い声が聞こえたのだ。
失礼ながら僕は驚いてしまった。
心美ちゃんを引き取って以降、彼女から友達に関する話を聞いたのは、課長の一件の時にカラオケに行く、と言っていた時だけだったし、実際にそう言った子達との関わりを見るのは初めてだった。
部屋の中から、心美ちゃんの楽しそうな笑い声が聞こえる。
それを聞いてるとこっちまで幸せになってくる。
あの子もやっぱり年相応の少女なんだな。
僕は笑顔になりながらリビングに入ると、夕食を作っている香苗に言った。
「心美ちゃん、友達来てるんだ?」
「うん、そう。クラスの子らしいんだけど、夕方からずっといるよ。
香苗もニコニコと話している。
「で、お友達に夕食でもどう? って声かけたら嬉しそうにしてたから、あの子の分も作ってるけどいいよね?」
「もちろん。せっかくの心美ちゃんの友達なんだから、おもてなししないとね」
「良かった。じゃあ悪いけど二人を呼んでもらってもいい? 丁度出来たの」
「了解」
僕は二つ返事で、心美ちゃんの部屋の前に行くと、軽くドアをノックした。
「二人とも、夕食出来たよ。良かったらみんなで食べよう」
すると中から二人揃って「はあい」と聞こえ、ドアが開いた。
友達が来るのでオシャレしたのだろうか、赤いチェックのワンピースが彼女の可愛さをより引き立たせている。
友達の方は、黒縁眼鏡に肩まで伸びた髪を後ろで縛ったシンプルなスタイルで、服装も青のデニムと緑のトレーナーと言う同じくシンプルなもので、心美ちゃんとは正反対だった。
でも、仲が良いのか二人は手を繋いで出てきた。
「パパ、お帰り。茜ちゃん、紹介するね。この人が私のパパ」
茜ちゃんと言われた子は僕を見て、緊張した様子で深々と頭を下げた。
「初めまして。あの……坂田茜と言います。心美ちゃんには本当に、良くして頂いてます」
「いやいや、それはコッチのセリフだよ。さっきも楽しそうだったね。心美と仲良くしてくれて有り難う」
僕は心から安堵を感じながらそう言った。
心美ちゃんが手を繋いでいた姿。
僕への距離感の近さを不安に思ってたけど、やっぱりこの子は単に人との距離感を計るのが不慣れなのかも知れない。
「茜ちゃん、ママのビーフストロガノフ、すっごく美味しいんだよ。茜ちゃんも気に入ってくれると思う」
「そうなんだ……嬉しい。心美ちゃんの家のご飯頂けるなんて……」
茜ちゃんは頬を紅潮させながら言った。
「さ、行こう。コッチ座って」
心美ちゃんは茜ちゃんの腕に自分の腕を絡ませると、テーブルに連れていった。
それからみんなで食事をしたけど、茜ちゃんは人見知りのせいもあり、心美ちゃんがしゃべることを、彼女の横顔を見ながらじっと聞き入っていた。
時折頷いたり、口をポカンと開けたりするその姿は、友人と言うよりもまるでアイドルのファンのようだった。
まあ、心美ちゃんはかなり可愛いからな……
「ね、ね。心美ちゃんって学校ではどんな感じなの?」
香苗は興味津々と言った表情で茜ちゃんに聞いていた。
「もう、ママ。そんなのはいいって。茜も困っちゃうじゃん。ねえ?」
だが、茜ちゃんは頬を紅潮させると、目を輝かせて話し出した。
「はい。男女問わず本当に人気です。クラスの女子もほとんどの子と親しいですし。特に男子からは他のクラスや学年の子からも、毎週誰かから告白されたり、デートに誘われたりしてます。全部断ってるけど」
「え~、なんで断るの! 良さげな子って居ないの? イケメンくらいゴロゴロいるでしょ」
「香苗、お前……酔ってる?」
「酔ってないよ。普通に気になるじゃん」
不満そうに唇を尖らせる香苗に、心美ちゃんは冷めた口調で言った。
「だって、みんな好みじゃ無いもん」
「じゃあ、どんな人がタイプなの?」
茜ちゃんがおずおずと聞くと、心美ちゃんはニンマリと笑って言った。
「パパみたいな人かな」
瞬間、息が止まった。
危うくムセそうになり、慌てて顔を横に向けた。
「ちょっと、心美ちゃん! それママの前で言う? せっかく親子になったのに、いきなりライバルじゃん」
香苗の冗談めかした口調に、心美ちゃんはペコリと小さく頭を下げた。
「はい。お手柔らかにお願いします。お母様」
「やだ!」
二人は楽しそうに笑っていたが、僕はとても笑えなかった。
冗談……だよな?
そう思ったとき。
視線を感じたのでふと斜め前に視線を向けると、茜ちゃんが僕に向かって冷ややかな視線を向けていた。
思わず視線を逸らしたが、それからも射るような視線は続いているように思えた。
なんなんだ……あの子。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
みんなで夕食を食べた後、心美ちゃんは茜ちゃんを家まで送り、帰ってくると「疲れちゃった。先に寝るね」と言って、部屋に戻った。
そのため、僕らはリビングで一緒にウイスキーを飲み始めた。
心美ちゃんを引き取る事が決まったとき、お祝いに買ったアイラモルトだった。
心地よい酔いもあって、口も滑らかになる。
「なんかホッとしたよ。心美ちゃんもちゃんと中学生なんだな、って」
「ふふっ、何よそれ。あの子は14歳。中学生よ」
「そうなんだけど……ほら、あの子ビックリするくらい大人びてるからさ。だから、今日のあの子見てホッとしたよ」
「そうね。あの子は……大人よ。それに賢い。自分のゴールをちゃんと見て、そこから逆算してる」
「……凄いな。さすが女性同士だ。僕よりずっとあの子を見てるね」
驚いていった僕に香苗はウイスキーを一口飲んで僕をジッと見た。
「もちろん。でもね、一番見てるのは……あなただよ」
酔いで仄かに赤くなった頬と瞳は
そして、その気分のまま香苗をそっと抱き寄せる。
「ここじゃヤダ……ねえ、部屋に行こ」
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
香苗と愛を確かめ合うのは久々だった。
そんな高揚感と共に、彼女の身体を抱きしめていると脳の奥に心地よいしびれと、熱を感じる。
それは彼女も同じようで、僕の背中に回す腕もまるで僕の身体をまさぐるように情熱的に動いている。
「愛してる……卓也」
「香苗……」
香苗の吐息を感じながら、彼女の首元に何度もキスをした。
「ねえ……そろそろ」
彼女の言葉に僕は笑顔で頷くと、身体を動かした。
その流れで視線がドアに向いた僕は、そのまま……凍り付いた。
間接照明が小さく灯る暗い寝室。
そのドアの隙間が小さく開いて、そこに大きな……アーモンド型の瞳が見えた。
「……どうしたの?」
香苗の声で我に返ると、動揺を誤魔化すように彼女を抱きしめた。
「なんでもない」
心美ちゃん……嘘だろ。
そう思いながら再度ドアを見ると、まだ隙間からこちらをじっと見ている。
そして、心美ちゃんは瞳の下に指を当てると……あっかんべーをした。
え!?
混乱する僕を見て満足したかのような笑顔を浮かべた心美ちゃんは、指をそっと唇に当てると……消えた。
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