大好きだよ

 目が覚めたとき、デジタル時計は3時15分を表示していた。

 暗闇の中、香苗の小さな寝息が聞こえる。

 

 それを聞いていると、先ほどの悪い夢が夢に過ぎない事を実感してホッとすると共に、自己嫌悪も覚えた。

 夢の内容は……思い出したくも無い。

 

 夢の中で香苗と愛を確かめ合っていた時。


(愛してる……)

 

 そうつぶやいて彼女の顔を見た時。

 香苗のはずの顔が心美ちゃんに変わっていた。

 そして一糸まとわぬ姿の心美ちゃんは僕を見て……


「私も愛してるよ、パパ」


 その直後目が覚めた。

 お陰でまだ呼吸が荒く、冷や汗でパジャマが濡れている。


 なんで……あんな夢を。

 自分を殴りつけたい気分だった。

 

 あの子は娘だろ。

 小さな頃から親と引き離されて、独りぼっちで。

 そんな中で僕と香苗を信じて、家族になってくれた。

 そんな彼女に……なんて夢を。


 今日は早く仕事に行こう。

 今日だけは……心美ちゃんと顔を合わせられない。

 自分の視線だけで彼女を汚してしまう気がする。


 僕は香苗を起こさないようにそっとベッドを出た。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


「申し訳ありません。仙道は休みを取っており、明日戻る予定となっております。もしよろしければ、折り返しさせましょうか?」


「あ、いえ……大丈夫です」


「かしこまりました。柳瀬様からお電話合った旨伝えておきますので。高橋……失礼しました。柳瀬心美ちゃんの件、ですね」


「お願いします」


 そう言うと、僕は通話を切った。

 

 仕事が終わった帰り道。

 心美ちゃんと香苗には急な飲み会で遅くなると伝えて、ネットカフェに来ていた。

 今はネットカフェの外で電話をしている。

 今朝思ったように、今日だけは心美ちゃんと顔を合わせたくなかったのだ。

 だから23時頃に帰ろうと思っている。


 それと共に、僕はどうしても話を聞きたい相手が居た。

 それは……心美ちゃんが暮らしていた児童養護施設「天使園」のホーム長、仙道一樹せんどうかずき

 僕と香苗が心美ちゃんを引き取るときに、同席していた男性。

 

 彼に施設に居た頃の心美ちゃんの事を聞きたかったのだ。

 もちろん疑念なんかじゃ無い。

 施設に居た頃の普通の女の子としての生活を知ることで、彼女への自分の中の壁を無くせるかも、と思ったのだ。

 

 彼女とは早く親子になりたい。

 オッサンと敬遠されながらも、つかず離れずでお互いに細いながらもしっかりした信頼関係を持つ。

 そして、娘の彼氏にヤキモキしながらも祝福し、彼氏と仲良くなる。

 そんな「普通の父親」になりたい。

 そうすれば、こんな苦しみも無くなるはず。


 その反面さやには連絡できなかった。

 この前のライン。

 心美ちゃんが以前も近くに来ていた事。

 さやに会って、その事を深掘りするのが怖かった。


 まあ焦ることは無い。

 それに、娘の事を逐一詮索するようなうるさい親にはなりたくない。

 それじゃああの男と一緒だ……

 アイツに見せつける。

 僕はお前とは違うと……


 ああ、姉さんはどうしてるかな。

 

 ふと、1年近く連絡を取ってない姉のことが浮かんだ。

 県外に嫁いで4年になる。

 1歳の息子、健太君にも会ってないな。

 今度、香苗と心美ちゃんを連れて、遊びに行くかな……


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 ついダラダラ過ごしてしまい、結局家に帰ったのは23時半だった。


 遅くなった。

 心美ちゃんは当然として、香苗も寝てるだろうな。

 そう思いながら、ドアを開けるとまだ明かりが点いていた。

 そして、人の気配がする。


「ただいま、遅くなった。起きててくれたんだ。ゴメン、香苗」


 そう言いながら靴を脱いでいると、リビングから心美ちゃんが出てきた。


「お帰り、パパ。飲み会楽しかった?」


「え……」


 僕は一瞬、状況の理解が出来なかった。

 それは起きていた彼女もだったが、心美ちゃんの格好が白の丈の長いTシャツと……下は確認できない。

 これは……


 心美ちゃんは僕の視線に気付いたのか、ニヤッと笑って言った。


「あ、ダメだよパパ。なに見てるの? でも……安心して」


 そう言って心美ちゃんはシャツを上に上げると、下には短パンを履いていた。

 良かった……いや、そうじゃない!


 僕はわざと重々しい口調で言った。


「父親をそうやってからかわないように。まして、君は14歳だろ? もう半分大人の女性なんだから」


「はあい。それより、早く上がりなよ。疲れたでしょ? お水入れてあげるね」


「いや、大丈夫。それよりママは?」


「あ、ママは友達と出かけた。なんか、昔の親友が急にコッチに遊びに来たんだって。だから今夜は戻らないと思う」


「え……」


 意識の中に沈みかかっていたはずの今朝の後ろめたさがまた蘇ってきた。

 僕は足早にリビングに入ると、心美ちゃんに言った。


「ゴメン。ちょっと飲み過ぎたみたいで……悪いけどもう寝るよ。心美ちゃんも寝た方が良い」


 心美ちゃんは無表情で僕をじっと見ると、そのまま僕の方に歩み寄ってきた。

 な、なんだ。


 そして、僕の目の前に来るとそのままネクタイにそっと両手をかけた。


「ネクタイ外してあげるね」


「いや……大丈……夫」


 僕の言葉を無視して心美ちゃんはそっとネクタイを外すと、そのままワイシャツのボタンを外し始めた。


「パパ……苦しそう。楽にしてあげるから」


 そのまま2つ目のボタンを外した所で、心美ちゃんは僕の目をじっと見た。

 信じられないくらいに小さな顔に、綺麗で大きなアーモンド型の瞳。

 それは、陳腐な表現だが「まるで吸い込まれそう」に感じた。

 

「パパ、お酒強いんだね。全然匂いがしない」


 その言葉に何故か背中に冷や汗が吹き出た。

 いや、別に……どうと言うことは無い。

 ただの中学生の言葉だ。


「ま、いいや。じゃあ寝る前にギュッとして」


 そう言って心美ちゃんは僕の首に両手を回して、抱きついてきた。

 彼女の身体の膨らみと石けんの香りが鼻腔をくすぐる。


(私も愛してるよ、パパ)


 ギョッとした僕は思わず乱暴に心美ちゃんを引き剥がしてしまった。

 まずい……!


 心美ちゃんは僕に両肩を掴まれたまま、呆然としている。


「……パパ?」


 僕は激しい後悔に襲われたが、軽く息をつくと心美ちゃんの目を見て言った。


「心美ちゃん……聞いて欲しい。僕らは親子なんだ。親子って言うのは……特に、異性の親子はさっきみたいにくっついたりしないんだ。親子でも男女だから。君なら分かるだろ? だから僕らも……」


 そこまで言ったところで、僕はギョッとして言葉を止めた。

 心美ちゃんが目を大きく見開いて、涙を流し始めたのだ。


「ご……めんなさい」


「い、いや……そんなつもりじゃ」


 心美ちゃんはしゃくり上げながら俯いた。


「私……ずっと、一人……だったの。ずっと……家族に憧れて……」


「心美ちゃん……」


「でも……どうしていいか……分からない。どう甘えて良いか……ゴメンね、嫌いにならないで」


 そう言うと、彼女は両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。 

 僕は自分の配慮の無さに愕然とした。

 

 ずっと彼女は施設で家族と接すること無く暮らしてきた。

 だから、愛情表現も上手じゃ無い。

 本で読んだり、役所の人に散々言われていたじゃ無いか。

 それを……自分の気持ちだけに引っ張られて……傷つけた。


 僕もしゃがみ込むと、心美ちゃんの背中をそっと撫でた。


「ゴメン。君の気持ちも考えず。そうだった。君も僕もちょっとづつ親子にならないとね。これからちょっとづつお互いを分かっていこう……パパを……許してくれないかな? もう一度チャンスをくれないか?」


 心美ちゃんは涙で濡れた顔を上げてジッと見た。

 その表情は思わず心臓が高鳴る物だった。


「許して……くれる?」


「それはパパのセリフだよ。お互い、ちょっとづつ適切な距離を知っていこう。ちょっとづつ」


「……嬉しい。ねえ、パパ。もう一度……ギュッとしていい?」


「ああ。分かった」


 その途端、心美ちゃんはさっきのように両手を僕の首に回して抱きついてきた。

 でも、今度は僕も彼女の背中に腕を回した。

 彼女は娘なんだ……まだ14歳。

 その辺の子供と一緒……

 

「大好きだよ、パパ」


 突然耳元で囁かれたその言葉にギョッと目を見開いたが、心美ちゃんの表情は伺えなかった。

 いや、これは……父親への愛情表現……だ。

 どこでも言われてる。言われて……る。


 その翌日。

 休憩中の社員食堂で天使園からの電話を受けた僕は、呆然としながら通話を聞いていた。

 施設職員からのその内容は、ホーム長の仙道一樹が電話で一方的に退職を伝えた後、そのまま連絡が取れなくなった、と言う物だった。

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