父親と焼き印
心美ちゃんを迎えての非日常とも言える慌ただしい一日が終わり、翌日から僕は再び日常に戻った。
香苗は明後日まで休みを取っていたが、僕は職場でトラブルが起こった関係で休みを切り上げたのだ。
心美ちゃんは夏休みの最中で、今は8月上旬なのでまだ一月近くも休みだ。
彼女も環境が大きく変わったのだから、夏休みがたっぷりあるのは良かったと思う。
そう思いながら、会社が近づくと足取りが重くなる。
僕の居る部署は通称「藤崎チーム」と呼ばれているが、それは決して精鋭を集めたからではなくリーダーの藤崎課長のクセのある性格だった。
とにかく良く怒鳴るし高圧的。
僕を初め、部署のみんなのモチベーションは下がる一方。
今日はどうなるかな……
「ただいま」
家に帰ると、堅焼きそばのいい香りがする。
それと共に「お帰りなさい、パパ」と心美ちゃんが玄関に出てくる。
「ただいま。今日はゆっくり出来た?」
「はい。お昼までは荷解きをして、その後は勉強してました」
「え、そうなんだ。もっとゆっくりしても良かったのに」
「有り難うございます。でも、勉強は好きなんです。特に数学をやってるとパズルみたいで楽しいですよ」
パズル……ね……
学生時代、とにかく数学が苦手で落第しないことがメインテーマだった自分の事を思いだし、何故か目を逸らしてしまう。
「どうしたんです? 行きましょう。ママと一緒に頑張って作ったんです。パパが堅焼きそば大好き、って聞いたから」
心美ちゃんはそう言うと、僕の手を握ってリビングに引っ張っていく。
う……やっぱり、この距離感は……
「あれあれ、お二人さんもう仲良くなったんだ! うわあ、何かヤキモチ焼いちゃうな」
僕らを見て香苗はニヤニヤしながら冗談っぽく言う。
「あ、でも香苗さんもパパに追いついてますよ。実は私も堅焼きそば大好きなんです」
「え! そうなの」
「はい。前から」
あれ?
僕はこの言葉に内心首をひねった。
事前の書類では心美ちゃんの好きな食べ物は「特になし」となってたはず……
そんな細やかな疑問は香苗と心美ちゃんの幸せそうな笑い声でかき消された。
まあいいや。
好きな食べ物程度。
「あ、そうだ。心美ちゃん敬語とか使わなくて良いよ。私たちは親子なんだから。他人行儀は無し!」
「……いいんですか」
「もちろん。親に敬語使う子供がいるかい?」
僕の言葉に心美ちゃんは顔をほころばせると、小さく頷いた。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
和やかな食事の雰囲気と、ウイスキーに気が緩んだんだろうか。
僕は気がついたらポロッと藤崎課長の愚痴を言っていた。
心美ちゃんの前で嫌な自分を見せたくない、と思いながらも藤崎課長の高圧的な態度や、強い口調によるプレッシャーの負担をぼやいてしまう。
ああ……最低だ。
自己嫌悪に浸っていると、向かいに座っている心美ちゃんがポツリと「パパ、その人嫌いなんだ」と言った。
「え? ああ……ゴメン。変なこと言って。気にしなくて良いよ。一緒に住み始めたばっかなのに、愚痴っちゃってゴメン」
僕はさっきの愚痴をかき消そうとするみたいにわざと明るい口調で言ったが、心美ちゃんはアーモンドみたいな瞳を大きく見開いて僕をじっと見ていた。
「藤崎課長、って言うんだ」
「ああ、でも大丈夫だよ。今の仕事が終わったら関係も良好になるよ」
僕の心にも無い嘘に、心美ちゃんは視線を上に向けると何かに気付いたように目を見開いて嬉しそうに頷いていた。
「そうだ。パパの職場ってどんな会社なの?」
「え? ああ、SEって言ってね。色んな会社のコンピュータが問題なく動くように管理してるんだ」
「へえ……カッコいい。ね? どんな名前のとこ?」
興味津々でのぞき込んでくる心美ちゃんに、僕は結局会社名と所在地まで教えた。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
あれ?
3日後、職場に着いた僕はビジネスリュックを2度ほど見直して首をひねった。
弁当がない。
確かに朝、入れておいたはずなのに……
そう。確かに自分でリュックに入れた覚えがあるのだが、それすら記憶違いとは。
本当に疲れてるのかもな……
そう思いながらため息をつくと、後輩の
「先輩、何なんすかあの子」
「は?」
「先輩の言ってた養子ってあの子ですか。めちゃヤバいじゃないですか! アイドルかと思ってビビりましたよ」
心美……ちゃん?
なんで……
「なんで、あの子が」
「あ、なんか先輩の弁当を持ってきた、って言ってましたよ。ってか、俺もあんな娘欲しいな。『パパの上司の方にご挨拶を』なんて、今時絶滅危惧種かってくらいですね。つい藤崎課長教えちゃいましたよ」
その言葉に驚いて入り口を見ると、そこには白いワンピースを着た心美ちゃんが弁当を持って立っていた。
慌てて駆け寄ると、心美ちゃんは顔をほころばせて小さく手を振った。
「パパ、良かった。はい、お弁当。忘れてたからビックリしちゃったよ。ママもお仕事だったから、どうしようか迷ったけど……持って来ちゃった」
「あ、ありがとう。ちゃんと入れたはずなんだけど……ゴメンね」
「ううん、いいの。お陰でパパがお世話になってる方にもご挨拶できるし」
「いやいや、そんなのいいよ。ほんと、有り難う。もうここまででいいから……」
どう納得してもらおうかと思っていたら、心美ちゃんはアッサリと受け入れた。
「うん、分かった。パパがそう言うなら止めとく。お仕事頑張ってね」
良かった。さすがにここで我を通すような子じゃないんだな。
心美ちゃんは奥のデスクに座り、彼女をじっと見ている藤崎課長に微笑みながら会釈した。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●
やれやれ。
弁当は忘れるし、心美ちゃんで藤崎課長に嫌みは言われるし、散々な一日だった。
(可愛い子じゃないか。あんな子を養子にするエネルギーがあるなら、それを少しでも仕事に向けたらバッチリなのにな)
うるさいよ。
余計なお世話だ。
課長の言葉を追い出すように缶コーヒーを飲むと、駅の改札に向かった。
1週間後の朝食の時。
心美ちゃんは僕と香苗を見ながらおずおずと言った。
「今夜なんだけど……クラスの友達とカラオケに行く約束しちゃったんだけど……いいかな?」
僕らは思わず顔を見合わせた。
不満だったのでは無い。
また? と言う気持ちだった。
この1週間で心美ちゃんは度々帰りが遅い日があった。
そのため心配する気持ちもあったが、その反面21時前には帰っていたので、この程度なら……と言う思いが勝った。
「ええ、ただあまり遅くならないようにしてね。心配だから」
「もし、何かあったらすぐにパパかママの携帯を鳴らすんだよ」
その言葉に心美ちゃんはクスクス笑いながら「はあい」と言って、パンを咥えた。
もし、僕らが本当の親だったら。
またはもう半年くらい先だったら、多分心美ちゃんの提案に難色を示していただろう。
中学生なのに夜遊びなんて、と。
ただ、まだ親子になって一ヶ月も経っていないため、僕も香苗も「親」と言うものの姿を掴みかねていた。
そのため、心美ちゃんの事をまだ同居人、と言う感覚で見てしまっていたのだ。
なので、彼女の提案を受け入れた。
彼女もしっかりした子だ。
まず変な事はしないだろう。
だが、心美ちゃんがこの日帰ってきたのは23時過ぎだった。
何故か石鹸の香りもしたが、それより僕も香苗も流石に一言言わないと、と思い声をかけた。
「心美ちゃん。こんな時間になるなら、これからは事前に連絡してくれないか。ただ、正直言うと……もうちょっと早めに……」
だが、僕の言葉の途中で心美ちゃんは深々と頭を下げた。
「パパ、ママ。ご免なさい。これからはもうこんな事しません。だから大丈夫」
「ううん、ダメなんて言わないわ。ただ、中学生らしい時間に帰ってもらえれば、全然友達と遊びに言っていいんだから」
香苗が慌てて言うと、心美ちゃんはニンマリと笑って言った。
「ううん、本当にもう大丈夫。だいたい片付いたから」
片付いた……?
その言い回しに引っかかる物を感じたが、それを聞く前に心美ちゃんは「疲れたから先に寝るね」と言って、部屋に入った。
その時。
偶然心美ちゃんのバッグの中が目に飛び込んできて、僕はギョッとした。
香苗に言うか迷ったけど、心美ちゃんのプライバシーも考え言うのを辞めた。
だけど……あれは。
僕は彼女のバッグに入っていたメイク道具が頭から離れなかった。
心美ちゃんは帰ってきたときに化粧なんてしてなかった。
今までも、だ。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
翌週の水曜日。
出勤すると職場は異様な雰囲気に包まれていた。
本部からの幹部級の社員が数名、藤崎課長のデスクの前で難しい顔で話し込んでおり、他の社員も明らかに動揺していた。
僕は小声で瀬能君に尋ねたが、その返答に目を見開いた。
藤崎課長が……警察に捕まった?
「いや、何でも中学生と援交したらしいんですよ。で、相手の中学生がよりによってラインの記録とかその時の動画をもって警察に行ったらしくて……で、自宅の住所も知ってた女の子がそれも伝えて、そのまま……」
そう言って瀬能君は両手で手錠をかけられる仕草をした。
援……交。
それって援助交際……
「馬鹿な……課長は……そんな」
「ですよね。課長、そんな趣味無いはずですもんね。でもまあ、人は隠された性癖とかありますしね。に、しても課長ずっと『俺がいないとダメなんだ』『助けてやろうとした』って言ってたらしいですよ。部長が……あそこで話してるの聞いちゃって。てか、助けてやろうってエグいですよね。完全に援交オヤジの言葉じゃないすか」
中学生。
助ける。
その二つの言葉が頭の中で、まるで焼き印のように強く残った。
そして……なぜか、心美ちゃんのバッグの中のメイク道具が浮かび、それと共にある一つの疑念が浮かんだ。
だが、僕は苦笑いを浮かべるとその疑念を追い出した。
僕は馬鹿か。
彼女がそんな事を……あり得ない。
何より僕は彼女の父親だ。
彼女を……信じる。
だが、そう思うほど全身の冷や汗が止まらなかった。
(もう大丈夫。だいたい片付いたから)
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