出逢い(2)

「どうぞ、入って。疲れただろ」


 僕はドアを開けると、緊張した様子の心美ちゃんを見て言った。

 築10年の中古マンションで2LDKの特筆するところの無いものだけど、心美ちゃんはぽかんとした様子で中を見回していた。


「凄い……こんな立派な所に……」


「え~! 立派なんて有難う。心美ちゃん上手なんだから」


 買い物の袋から食材を出しながら香苗は上機嫌な様子だった。


「心美ちゃん、豚のしょうが焼きが好きって言ってたよね? 頑張って作っちゃうから遠慮せずに食べてね」


「はい、有難うございます」


 心美ちゃんは深々と頭を下げる。

 僕はバルコニーに面した6帖の洋室に彼女を案内した。


「ここが君の部屋。13歳だしプライバシーもあった方がいいだろうから、鍵も付けといた。好きなように置きたいだろうから荷物は僕らが広げないほうがいいよね? でも手伝いが要るときは遠慮せずに言って欲しいな」

 

「え……こんな窓の見えるお部屋……悪いです。ここ、リビングの隣のお部屋より広いし。私、お部屋とか無くても……」


「いやいや、そうは行かないよ。君は家族なんだから」


「じゃあ、手前のリビング横の部屋で……」


 そこに香苗がやってきて、心美ちゃんの肩を優しく叩いた。


「子供は親に甘えるものでしょ? 私たちがここを使って欲しいの」


「そうだよ。今すぐには難しいとは思うけど、少しずつ家族になって行こう」


 僕らの言葉に心美ちゃんは、目を潤ませながら微笑むとまたぺこりと頭を下げた。


「有難うございます。私……嬉しい」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 それから僕と香苗は夕食の準備を。

 心美ちゃんは部屋で荷解きをしていた。

 彼女は夕食を手伝うと言ってたけど、早く部屋を落ち着ける環境にして負担を軽くしてあげたかった事と、彼女をもてなしたかった事もあり、2人で準備した。


 そして、しょうが焼き以外にも数々のメニューをそろえた豪華な夕食が始まり、僕と香苗は幸福感やアルコールもありかなりリラックスしていた。


「心美ちゃんは何か趣味とかあるの? 好きな音楽や本とか」


 香苗の言葉に心美ちゃんは小さく首を振った。


「そういうのは全然。施設はお小遣いも少ないですし、ずっと相部屋だったからそういう所に気が回らなくて」


「え? 14歳なのに相部屋なの?」


 僕は驚いて言った。


「はい。私のいた施設は小さい所だったので……お部屋も多く無くて」


 確かに、あそこは木造の平屋建てで、一昔前の養護施設みたいな小ぶりな建物だった。

 それにしても14歳の女の子がずっと相部屋と言うのは辛かっただろう。


「でも、慣れちゃってたので。そういうものかな、って。だからこんな立派なマンションに住めるだけでも凄いのに、自分のお部屋なんて……」


「これからはそれが普通だからね。趣味なんかもゆっくり見つけていこ?」


「はい。あ、でも香苗さん。趣味なら……一つあるんです」


「え? なになに! 教えて」


 目を輝かせて身を乗り出した香苗に向かって心美ちゃんは言った。


「昆虫採集」


 コンチュウサイシュウ?

 僕は耳に飛び込んだ単語を理解できず、戸惑った。

 理知的で大人びた彼女のイメージとかけ離れすぎていた事もあり、その言葉だけが宙に浮かんでいるかのようだった。

 香苗も同じだったようで、目を泳がせた後わざとらしい大きな声で笑った。


「あ……昆虫採集、好きなんだ! すごい……え~! 学者さんとか目指してるの?」


「いいえ。ただ、好きなんです……集めるのが」


「へえ……そう」


「いやいや、いいじゃない。僕はいいと思うよ。昆虫って綺麗なのも多いみたいだし。知的好奇心も刺激されるしね。心美ちゃん賢そうだから、ピッタリの趣味だと思うよ」


「有難うございます。でも、お二人の眼に入らないようにしますので大丈夫です」


「ああ、頼むよ。こいつは虫が完全にダメだから」


「……ごめんね」


「いいんです。私こそすいません。事前に確認もせず。知ってたら処分してきたのに」


「そこまでいいよ。せっかくのコレクションなのに」


「いいんです。もう手に入れた後だから」


 心美ちゃんの感情の消えたような口調に戸惑いを感じながら、僕はおおげさに頷きながら、わざと明るい口調で言った。


「そうなんだ。あ、じゃあ次は僕らの趣味を話そうかな! 僕はドライブかな……」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 やれやれ、やっぱり中学生って難しいな。


 僕は重くまとわりつくような夜の空気にうんざりしながら、酔い覚ましもかねてコンビニへの道を1人で歩いていた。


 家のウイスキーを切らしていたので、買ってこようと思ったのだ。

 それに香苗と心美ちゃんが少しでも腹を割って話せる機会を設けて行きたいとも思っていた。

 香苗もそれを望んでるし、心美ちゃんもその方が早く我が家に馴染めるだろう。

 僕は二人が仲良くなった後で、のんびりと関われればいい。


 彼女は14歳の女の子だ。

 30過ぎのオッサンなど、さほど必要としないだろう……


 それにしても名古屋の夏は本当にうっとおしいな。

 重い、と言う言葉がピッタリ来るような蒸し暑さだ。


 そう思いながら夜空を見上げたとき。

 後ろから息を切らせたような女の子の声が聞こえたので、振り返ると心美ちゃんが走ってきていた。


「え? どうしたの?」


 驚きながら言う僕に心美ちゃんは息を整えながら言った。


「私もご一緒したかったので」


「いやいや、別に良かったのに。ウイスキーとつまみを買うだけだから」


 だが、心美ちゃんは僕の目をじっと見ると、ポツリと言った。


「一緒に歩きたかったから」


 え?


 その口調に僕は一瞬呼吸が止まった。

 言葉だけなら単なる仲の良い親子あるあるだ。

 何も変わった事はない。


 でも……そう言った時の彼女の表情。

 そして目の輝きは……まるで大人の女のような色気に満ちていた。


 顔を紅潮させ、目を潤ませて僕を見る心美ちゃんから目を離せなかった。

 そして、心美ちゃんはいつの間にか僕の隣に来ると、そっと手を握ってきた。


 予想も出来ない行動に心臓が止まりそうだった。


「ちょ……心美……ちゃん!」


「私、父親と手をつないで買い物行くの夢だったんです。……いい、ですよね?」


 父親と……

 そんな……馬鹿な。


 いや、彼女は9歳の頃から両親がいなかったと聞いた。

 そんなものなのだろうか?

 でも……いや……これは……


「ダメですか?」


 そう言いながら顔を覗き込んでくる彼女の顔は不安そうだったので、僕は首を振った。


「いや……大丈夫。……行こうか」


「うん。あと……パパ、って呼んでいいです?」


「え?」


「戻ったら香苗さんの事もママ、って呼びたいです」


 そういうことか……いや、もちろん。

 それは僕らが望んだ事なんだから。


「ああ、もちろんだ」


「嬉しい」


 そう言って心美ちゃんは僕の手を握ったまま身体をピッタリと寄せてくる。

 親子って……そういうものなのか?


 あまりに予想外の距離の詰め方に全身が冷や汗でびっしょりだった。

 帰ったら風呂に入りなおさないと……


「汗びっしょり……パパの服、洗濯してあげますね」


「あ……それは香苗が……」


「娘だもん。これからは二人のは私が洗います」


「……ありがとう」


 なぜだろう。

 彼女の言葉に「いやだ」と言えない。

 言おうとすると、丁度のタイミングで言葉が入ってくる。


 だが、僕はそんな自分の考えを追い出した。


 施設で共同生活をしてたんだ。

 親との関わりも乏しい。

 そんな仲でやっと出逢った義理とはいえ親だ。

 そりゃ勇み足にもなるだろう。

 何を邪推じゃすいしてるんだ。


 行きすぎなところは僕や香苗がちょっとづつ傷つけないように言っていけばいい。


 そうだ、それで……いい。


 そう思いながら心美ちゃんを見ると、彼女は微笑んでいた。

 でも、それは幸せそう、とは違う……別の何かを含むように見えた。

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