終章:戦のゆくえ

場所は、伊勢神宮の本殿から伸びた廊下を伝い、いくらかの建物を経た、とある離れの一角である。

外はうだるような暑さである。

夏の終わりを告げる蝉が、離れを囲む木々の木陰から、最後の力を振り絞りながら鳴いている。

御簾をおろした部屋の中、火花は今、まさに、力によって押し倒されようとしていた。

「あの」

会話を楽しんでいたところ、突然、目前に迫った力の体に、火花は驚いて声をあげた。

「力様、困ります」

火花は目をかっと見開いて、力のその力強い目を見た。

迷いがないその動きに、火花は懸命に抵抗する。

ばたばたと暴れ始めた火花の両腕を、力は己の両腕でつかみ一つにまとめ、ぐいと顔を近づけた。

「観念なされよ」

しわがれた野太い声でそう囁かれ、火花は思わず言葉を失う。

今や、二人は板敷の上に敷かれた畳の上で、互いの体を絡ませ合い倒れ込もうとしている。

力老爺の荒ぶる吐息が、火花の耳元に迫る。

「力様、駄目――」

火花が力なく悲鳴をあげた。

「駄目、やめて――!誰か!」

大きな声を出して、火花は助けを求めた。

その時である。

内外を隔てていた御簾が勢いよくはねあげられると、外界のまばゆい光が一瞬で室内に飛び込んできた。

「ごめん」

と、その言葉と共に、火花の体を組み敷いていた老爺の重みが、ふっと消えた。

代わりに、力の抜けた身体が、そのまま垂直にどさりとのしかかってきた。

あまりのことに、火花は何が起こったか分ららない。

しかし、先ほどの声には聞き覚えがあった。

「は、八郎?」

己の身の上に覆いかぶさるようにうつ伏せている老体をなんとかずらし、火花は思い切り呼吸する。

「そこにいるのは、八郎なの?」

顔の上にかかる老爺の腕で、あたりの様子は分からない。

すると、全身を覆っていた老爺の重みが、ふっと軽くなった。

開けた視界に、八郎の姿が映る。

「八郎!」

あおむけのままの火花は、八郎に向かって両手を伸ばした。

その手をつかみ、八郎は、ぐいと火花の上半身を起こす。

「ご無事でしたか、火花さま」

「八郎!ああ、八郎!お前なのね!」

それまで青い顔で全身を引きつらせていた火花は、はじかれたように八郎に飛びついた。

「八郎!怖かった。八郎!」

火花の声は徐々にゆるんでゆく。

「火花さま……!」

八郎は、火花を抱くその腕に、しっかと力を込めた。

頭の中には、先ほど聞いた権助の言葉が巡っている。

火花のいる離れに向かう途中で、権助は確かに八郎に言った。

「寝とってしまいなされ」

と。

権助は右の口角をぐいとあげ、くつくつと笑った。

権助の笑い声が、八郎の頭の中に響く。

「はち、ろう……?」

力が入ったきり緩まない八郎の両腕に、火花は少しの抵抗を試みる。

「火花さま」

八郎の力強い視線は、今、まっすぐに火花に向けられていた。

火花は思った。

八郎なら――、と。

火花の全身から、ふっと力が抜けた。


八郎が無心に火花の腰紐をほどいている間に、胸を貫かれた力は息絶えようとしていた。

己に何が起こったのかは分からなかったが、激しい痛みが胸から全身へと伸びている。

四肢はしびれ力が入らず、呼吸は徐々に浅くなってゆく。

おぼろげな意識の中で、力は見た。

柱の陰に、権助が控えているのを――。

大の字にひっくり返っている己の位置からは、ちょうど権助の口から下が見えた。

権助は、笑っていた。

右の口角をぐいと引き上げて、にたり、と笑っていた。

室内では、今まさに八郎が火花とまぐわっているところである。

その傍らで、己は死んでゆく。

その空気を肌で感じながら、権助は笑っているのだった。

薄らいでゆく意識の中で、力は怒りを感じた。

「おのれ……」

それが力の、最後の言葉となった。


八郎と火花が結ばれてしばらくしたある日の事、志摩の館に、西の果てから伝令が届いた。

伝令が伝えたのは、志摩の殿様の討ち死にであった。

「この家は、どうなるの」

知らせを聞いた火花はうろたえた。

「火花さま、私と共に野に下りましょう」

傍にひかえていた八郎は火花にそう提言した。

しかし火花の答えはそれを覆すものであった。

「いいえ八郎。私は逃げませぬ。今後、私がこの家を盛り立てます」

その言を聞き、すっかり力をなくしていた北の方や親族および家の者は大いに奮い立った。

後の世になり、この大戦は「元寇」と呼ばれることとなる。

隠居を失った相模国には力の息子たちが凱旋し、国はつつがなく栄えた。

領主となった火花は、八郎と夫婦となり、志摩の国はさらに大きく栄えたという。

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【常世の君の物語No.9】火花 くさかはる@五十音 @gojyu_on

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