第14話
千秋が、花妻との関係を進めたいと思っていた間、花妻は、今のまま卒業まで関係を続けるためにどうするべきかと考えていたことを知って、子供だった自分を少し反省した。
翌日の放課後、いつもと同じように家庭科準備室へ行くと、珍しく花妻は部屋に居なかった。
机の上には、昨日花妻が吸っていたタバコケースが乗っていた。
ふいに、昨日のキスの味が恋しくなり、吸い寄せられるように、タバコに手を伸ばした。
「――ねぇ何してんの? 千秋」
「ヒッ!」
突然後ろから声をかけられて、氷を背中に入れられた時みたいに、ビクビク肩を震わせた。手の中にあったタバコを慌ててポケットの中に押し込んで隠す。
花妻は、ちょうど真後ろに居たので見えていないはずだった。
ゆっくりと振り返ると、花妻は、眉間に皺を寄せて怒っていた。手に持っていた書類の束を素早くクルクル丸め、パンパン手の上で叩いている。口は弧を描いて笑っているが、目が笑っていない。
「いま隠したものを、先生に渡しなさい」
「何も、隠してないです」
「へぇ、何も?」
「ナニモシテナイデス」
「ロボットかよ」
くつくつと笑った顔を見て、あぁ、やっぱり綺麗だなぁと思った。最初は花妻の顔を好きになった。
家庭科の先生で、授業中は氷みたいに冷たい表情をする。笑いの沸点は意外と低い。モデルでもしてそうな顔なのに、普通に先生みたいなことを先生の顔をして言う。
そんな見た目と言葉遣いに反して真面目なところを好きになった。
けど、先生じゃないときは、千秋に隠れて一人で適当な生活してる。だから、心配もしてる。
「勝手に入ってすみませんでした」
「まぁ、鍵かけてなかった俺も悪いんだけど」
花妻は机の上に置きっぱなしだった、タバコの箱に手を伸ばし、ポケットにしまった。
「先生、タバコって、美味しい?」
「美味しいよ?」
「じゃあ、俺とするキスより?」
「なに、まーだ昨日のキスフレの話続ける気? 出来れば勘弁してほしいんだけど」
「いや、あれは……もういいです。十分」
「分かればよろしい。で、千秋さ、そのポケットに入れているものに火つけた瞬間マズくなるんだよね」
なんのことが分からず、ぼけっとしていると、花妻は、前触れもなく千秋の頬に軽いキスをした。
「千秋、聞いてる?」
「っ、なっ! 先生、卒業まで、キスしないって」
昨日の全身の血が沸騰するようなキスじゃなく、それは挨拶みたいなキスだった。
「一切しないなんて言ってないだろ。場所とやり方考えてくれればいいよ。けど、昨日みたいなのは、卒業まで無しな。俺も我慢できなくなるから」
じゃあ昨日も今日のような軽いキスをすれば良かったのにと思った。えっちなことに興味津々だった千秋に対して教育的指導のつもりだったのなら悪趣味だ。
「じゃあ、手繋ぐのは?」
「お前は、高校生にもなって、手を繋いで歩いて欲しいのか?」
「それは……その」
恋人繋ぎを説明しようと思ったが、その言葉は打ち消された。
「千秋、話を逸らすな。いいから、ほら、さっさと、そのポケットの中のもん出す!」
腑に落ちない顔をしていたら、花妻は、再び怒った顔になり手のひらを上にして眼前に差し出してきた。
千秋は、仕方なくポケットの中に手を突っ込んで握りつぶしたタバコを差し出された手の上に置く。
「マズくなるって先生の立場が?」
「それもあるけど、知らねーの? 喫煙者が非喫煙者とキスすると、甘くて美味しいってお話」
「何それ、じゃあ、俺はずっと、まずいキスのままってこと?」
「なんだよ千秋、昨日まずかったの? 俺とのキス。せっかく心を込めてしたのになぁ」
「……まずくは、なかった」
美味しいとは言いたくなかった。
「良かったな」
千秋は、花妻のタバコ味のキスが、苦くて甘いことをもう知っている。
そして、あと一年半くらいは、そのキスを心ゆくまで味わえないことも分かっているし、おそらく花妻がくわえているタバコに嫉妬し続けるだろう。
花妻のことが大好きだから。
「なぁ千秋、俺とキスしたくても、タバコは吸うなよ。俺さ、どうせするなら、お前と美味しいキスがしたいんだよね」
そう目を細めて、意地悪く笑った顔で見つめられる。
「……い、一年半後に、昨日より美味しいキスご馳走してやるよ」
「それはそれは楽しみだな。じゃあ俺はその間、頑張ってタバコで味付けしておくよ」
「いや、そこは俺のために禁煙してよ」
「はいはい」
花妻が「美味しいキス」を所望している以上、千秋は、どんなに花妻とキスがしたくなっても、タバコを代替にできないのを悔しく思う。
けれど、キスがしたいキスがしたいと、この放課後の家庭科準備室で思った気持ちの分だけ、卒業後に美味しいキスが出来るのだと思うと、指折り数える「先生と生徒」でいられる毎日を大切にしたいと思った。
終わり
帰ってくれ!花盗人 七都あきら @akirannt06
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