第2話 赤い糸

  ――ゲームと現実は、違う。


 そんなのは、子供でも理解出来る実に簡単な事実である。


 故に電子機器の中で採った手法宜しく、力づくで体力を削ってふれんずとの契約に持ち込むことなどは不可能に近い。


 未開の地にて、血を血で洗うような生存を賭けた戦いであるならばまだしも。


 教育とビジネスをも兼ねた学び舎の中で力技など採ろうものならば、速攻退学処分を下されてしまうだろう。


 人とふれんずが共存する社会においては、彼らもまた立派ななのだから。


 人間と同じく、生きる上での権利は保障されているのだ。


 したがって、契約とは話し合いを経ての合意に他ならない。


 互いに条件をすり合わせて、双方納得が要った故に成立するのである。


 そう考えると、雇用主と従業員の関係に近いのでは無かろうか。なんて。


 いずれにせよ、人間もふれんずも。お互いに良しとならねば、競技者としての第一歩など到底不可能なのだった。


 ――唯、この場における問題点を挙げるならば。初対面で選ぶなど、正直第一印象でしか判断が出来ないことだろう。


 救いがあるならば、司会進行役の教頭曰く、あくまで初めのパートナー選びなのでインスピレーションで決めろとの点であろうか。


 相性が良ければずっと関係を継続すれば良いが、例え人間同士であっても衝突は起こるのだ。


 プロを目指す上での方向性の違いや、性格の不一致にて別れることも珍しくなく。


 何より、在学中であれば他にも多くの在籍するふれんずとの誼を結ぶ機会もある。


 加えて、監督となる人間学生サイドに認められている権利としては、法に触れる手段で無ければ、学外から選手となるフレンズを引っ張ることも許可されているのだ。


 だからこそ、この場は意外と気軽に声を掛けて、これからの実技の授業の際に轡を並べる相手を見繕えば良いだけなのだ。


 學苑側が言わんとしてることは、得てしてそういう話であろう。


 強そう。カッコイイ。可愛い。賢そう。芯がありそう。才覚を感じるなどなど……。


 そんな理由で良いと言う。


 ――裏を返せば、一部を除いて何も事前情報が無い上で初めのパートナーを選ぶわけだから、ある意味でプロとして必要となるであろう鑑識眼を必要とされる場面でもある、と。


 そんな風に漠然と、廻照かえでも感じていた。


 周囲の学生は、如何しよう、誰にしようかと各々ざわめきを起こしている。


 例外は、既にパートナーは決まっていると言わんばかりに堂々と構えている者。


 コミュニケーションが得意なのか、手っ取り早く近くの相手に声を掛ける者。


 周りの者と相談しながら、あーでもないこうでも無いと意見を交わす者。


 正しく、十人十色。


 志が似通っていようとも、百人居れば百通りの在り方があって当然だろう。


 されど――。



「――あぁ、あそこのが良いな」



 ぽつりと、一つ零し。


 周りが未だ喧騒に包まれる中、廻照はそんな雑踏と熱気を掻き分けるように。


 否――まるで惹き寄せられるかの如く、視界に映り込んだ一人の少女の方へと足早に歩みを進めていた。


 きっと、この瞬間の己は、得体の知れないオーラを纏っていたのであろう。


 一目で見て判るほどの、情熱。熱量。即ち、覇気。


 それとも、まさか変質者のような笑みを浮かべていたのではないかとも、少々心配になってしまう。


 何故ならば、廻照の進む道は何時の間にか――掻き分けるのではなく、当然のように割れていたように感じられる。


 引かれるのではなく、惹かれる。


 導かれるように、流れるように。


 まるで約束の地を目指し海を割った、予言者の如く。


 気圧される、とはそういうこと。


 圧倒される、とはこういうことではなかろうか。


 しかし――当然のように此方に気が付いているであろう彼女もまた、歩み寄る廻照を睥睨したまま目を逸らしてはいなかった。


 己よりも頭一つ分小柄な少女であるにも拘わらず、その出で立ちよりは間違いなく――廻照という男を、睥睨しているのであった。


 そうして触れられる距離へと迫れば、ますます目の前の少女の華奢な風貌が鮮明なものとなる。


 男子である廻照が着用している濃紺の詰襟の制服とは異なり、女子用のアイボリーのセーラー服に身を包んだ可憐な少女。


 ふれんずという存在ながらも、彼女の姿形は人間の其れに近しいだろう。


 誰も触れたことの無い、初雪のようなきめ細かい白い肌。


 天井の職人が紡いだが如き、腰まで伸ばされた白銀の髪。


 紅玉よりも深い熱量を携えた赫色の双眸は、その意志の強さをありありと見せつけるように滾っていよう。


 人形以上に整った鼻梁は小生意気につんと澄まし、艶やかな薄桃色の花唇は確かな潤みを帯びている。


 少女然としながらもその首筋には魔性の煽情さを兼ねており、ふわりと甘い華の色香が薫るのだ。


 制服から伸びたほっそりとした手足は艶めかしく、華奢な肩口は抱けば途端に壊れてしまうのではなかろうかとの錯覚を起こしてしまう。


 しかしながら、彼女が人外たる所以は――何よりその小さな背から生えた、一対の小振りな黒い羽に違いない。


 純粋な人間ならざる、魔性だけが抱く。漆黒の翼。


 されど――。


 そのような美の極致が如き容貌よりも、何よりも。


 廻照が彼女を眼にした瞬間に抱いたものは――、



「――君は、運命を信じるか?」



 たった、その一言に凝縮されているものであった。


 自分自身でも、言語化できる領域は其処が限界なのだろう。


 美貌だとか、可憐だとか、稀少だとか。


 そのようなことよりも遥かに――運命、と云う言葉が相応しいだろう。


 冷静に考えればインチキ占い師のような、はたまた三流ナンパ師の如き陳腐な台詞であったかもしれないが、この言葉が自然と零れ出たのだから仕方あるまい。


 件の少女を視界にとらえた途端、宛ら天へ誘う光の如き道が見えてしまったのだから。


 退かれるだろうな、だとか。気持ち悪がられたらどうしようだなんて脆弱な思考は、最早廻照の中に存在すらしていなかったのだ。


 ――けれどもまた、この熱情は廻照だけの思い込みではなかったらしく。


 目の前の彼女もまた、きっと己と似た感触を抱いていたのだろう。


 その小さくも艶やかな口端からは、唄うように甘い玲瓏れいろうが紡がれる。



「己が力にて――運命とは切り開くもの、踏破するもの、乗り越えるもの。されど、その稀なる導きまでをも無下にする程に狭量ではなくってよ」



 凛とした声色と共に、問い掛けた廻照へと返答が寄越される。


 故に――既に己の中では、核心を得られていたのだから。


 返歌のように、彼女へと向き合う。



「ならば、これ以上の言葉は不要だな。俺は、廻照。吾勾あかぎ廻照。これからよろしく頼むよ」


「ふふん、光栄に想いなさいカエデ。このわたくし――エレスィ・セスィコモの名を預けてあげるのだから」


「其れは有難いことで。共にこう、いただきへ」


「えぇ、天と地をも統べるのは、この私たちだけなのから。でも、もしも志半ばで折れるようなことがあれば――」



 其処まで言って。エレスィは、その少女らしい細腕から少女らしからぬ力を以って、廻照の襟を惹き寄せ――耳元で囁いた。



「その魂の深奥までもころして差し上げてよ。この私と歩む以上、途中下車なんて赦さないんだから」


「元より、そんな半端で終わる気なんて無いさ」


「先は、天上か奈落。二つに一つよ」



 可憐なかんばせなれども、凄味を以ったオーラを噴出させながら。


 これは契約の証よ、と――。


 そのまま彼女は、廻照の首筋へと甘い痺れと共に小さく噛んで身を引いた。


 少女の薫り、花の吐息。


 初対面だと云うのにも拘わらず、抱きしめたくなるような愛おしさすらも――きっと、錯覚では無いだろう。


 やや頬を上気させ、はにかんで此方を見上げるエレスィに見惚れてしまったのは、まぁ仕方の無いことだろう。


 此処に契約は、成った。あとは全てを成し遂げるか、塵に消えるかの二択である。


 微熱を帯びながらも激情はなりを潜め、暫し彼女と見つめ合ってしまう。


 されども、それより何よりも――此処は間違いなく、入学式の会場であり。周囲には未だ、数多の同級生たちが存在していることを忘れてはならない。


 決して逃げないと誓ったばかりであるが。


 ……正気を取り戻せば、ちょっとだけそんな事実から早速逃避したいと思ってしまったのもまた事実である。



「……なんか明らかにヤベェ奴らがいるんだが」


「すっごい綺麗だけど、あの女の子怖すぎ……」


「ちっぱい美少女にかぷかぷされるのウラヤマシス」


「唐突なラブコメは女の子の特権だからね、仕方ないね」


「ミュージカルやめろ。フラッシュモブじゃねーんだぞ」



 まさか異世界に来てまで、穴があったら入りたいという感覚に苛まれることになるとは思わなかった。


 廻照は持ち前の技能により表情にこそ出さないが、顔から火が出そうな有様だ。この世界であれば、ふれんずの中には実際に顔から火くらい出す奴もいるかもしれないが。



「ふふん、カエデったら見なさいよ! この場の誰もが、私たちを主役だと認識していてよ!」



 たちっていうの止めてくれ、とはさっきの今で流石に言えない。


 これなら天を掴む日もすぐそこね、なんて追加口撃までくれる様相。


 肝が太いのか、文字通り別次元の精神性を有しているのか。


 燦爛とした満面のしたり顔で話し掛けて来るエレスィに対して、悠然と曖昧な笑みで答えて場を乗り切るしかない廻照なのであった。


 前途多難に思えるが、その道筋だけは見目の通り光輝くものであって欲しいものである。

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