ひとまずひとくぎり
横穴に転がり込むと、もうリーチェの姿はなかった。
逃げ足の速さに感心しているところに、姫の声が刺さる。
「……どうしてこんなところにいるの」
ひととき戦場から抜け出したからか、姫の口調は前のようにやや砕けたものに近づいていた。
それでいて、冷たさもまとっていた。
「それはこちらもです、どうして鞘もなしに、こんなところにまで……」
「……傷つける覚悟を決めたのならば、傷ついたものが立ち去るのを許容しなくてはならない。
傷から逃げることを承知しなければならないと思っていたのです」
「姫?」
姫が何を言っているのか、よくわからなかった。
傷つけることに傷ついていたのは、姫の方だろうに。
「……テオのことを言っているのです。
私は、もうテオから差し出されるものを受け取りません。
戦いのために、テオから、何も奪い取りなどしません。
だから、下がっていてください。
もう、貴方を傷つけ続けて戦うのなんて、嫌なんです」
「お待ちください、おれが、ですか」
「そうでしょう。テオがここで、お別れといたしましょうと言ったではありませんか。
もう、無理でしょう。こう傷付いてまで、進むことが必要とは思えませんとも言ったではありませんか」
「違います。それは姫が」
「私が、ですか?」
不機嫌になった。こうしてしまったらまずいと経験上、わかっている。
「いえ、言ったのは私ですが」
慌てて否定するも、その温度は低いままだった。
「そこを変えようとしているのでなければいいですが、私がなんなのでしょう」
「姫が、傷ついているのに、無理に討伐の行軍を進める必要もないと」
「……なんだ、そっか言葉が足りなかったのね、私たち」
「……わかりません、姫。姫は傷つけることに傷ついていたように、見えていましたが」
「私も、テオがいやになったのかと思った。だから、私一人で戦おうしたんだけどね」
ひとり得心したかのように姫は続ける。
「誤解はといておきましょう。いくら聞き分けの悪い私と言っても、
抑えるところは抑えているつもりです。生き物たる以上、喰わねば生きていけない。
無理に譲れば踏み込まれる。守るために、毅然と倒さなくてはならないことはわかっています
そこから逃げるようなことは、しません」
「しかし、姫は戦いののちに……その、涙を」
「……それは。嫌だったの。
何より嫌だったのは、貴方を傷つけることよ」
「おれ、ですか?」
「何度もあなたの魔力を吸うことに、爆風に耐えることを強制することに。
テオがその痛みに耐えかねたのだと、思ったの。
そうして傷ついているのを、見るのが嫌だったの。
そしてあなたの、その、別れましょうと意思まで踏みにじって、そばにはいられないと思った。
そばにいるためには、そばにいてもあなたが傷つくことを強制しない関係じゃないと、駄目だと思ったの
だから、私一人で竜神を倒してしまえれば、と」
ああ、確かに、リーチェの言う通り。
おれは姫を見誤っていた。姫は聖剣が使えなくなったくらいで、止まるひとではなかった。
「申し訳ありません、姫」
頭を下げる。そばにいながら、その心を推し量り切れなかった自身のふがいなさを悔いて。
「顔を上げて、テオ。足りなかったのは私も」
「……許されるのであれば足りないところばかりの騎士ですが、許されるのであれば改めて、誓いを」
「受け取りましょう。私からも誓いを」
「竜神を討ち取るまで」
「いいえ、竜神を討ち取ったのちも」
「「ともに、歩みましょう」」
二人の誓いは、重なった。
竜殺しのふたり こむぎこ @komugikomugira
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