俺のことが好き過ぎる教え子、珍解答だらけな件。

こばなし

放課後、教室。二人きりの特別授業。

 放課後の教室、目の前には美少女。


「先生」


 彼女は俺を上目づかいで見つめ、それから。


「ふたりっきり、ですね?」


 小首をかしげ、意味ありげに語る。


「……お前、なんで居残りさせられてるのか、分かってるよな?」

「はい」

「じゃあ、どうしてだ。答えてみろ」


 俺が腕を組み見下ろすと、彼女は口元に指を添え、恥ずかしそうにつぶやいた。


「一対一、秘密のトクベツ授業、です♡」

「補習な」


 この美少女(問題児)には手を焼いている。

 いつもこんな調子で俺をからかってくるからだ。


「さあ、先生。私に愛のご指導を——あたっ」


 両手を広げ、ハグを求める問題児の脳天に、軽くチョップ。


「まったく。せっかくの楽しい放課後を無駄にしてどうする」

「私は、先生との時間を確保できて嬉しいです」

「はいはい」


 のれんに腕押し。

 問答はやめだ。とっとと本題に入ろう。


「補習の原因はコレだ。分かってるだろ」


 俺は一枚のA4用紙を彼女に突きつける。


「それは……先生へのラブレターですね」

「昨日の現代文のテストだ」


 語調を強め、続ける。


「まず、名前だ。なんだ、飯島李絵いいじまりえって」


 用紙の指名記入欄を指さす。

 彼女の本当の苗字は、北村きたむらだ。


「なぜ自分の名前を間違える?」

「将来的には間違ってません。私、先生と結婚して飯島さんになるので」 


 にこりと微笑むその顔からは、一切の悪気を感じない。


「お前の名前は北村だ。これまでも、これからも」

「なるほど……」


 彼女はうーむ、と、細い顎を白い指先でなでる。


「北村先生。悪くない響きです」

「婿入りもしねえ」


 ポジティブ変換が過ぎるだろ、こいつ。


「次に解答の方いくぞ」

「私の告白に対しての、ですか?」

「……文脈を読め」

 

 どう考えてもテストの話だろうが!


「大問1の問2。文中の単語の意味を答える問題だ」


 文章中の、『不遇』という言葉に下線が引かれている。

 正解例としては、運が悪いとか、恵まれていないとか、だろう。


 目の前の補習生の解答は——


「なんだよ、『先生と出会う前までの人生』って」

「間違ってません」


 間違ってません、キリッ! ……じゃねえんだよ。


「答えが個人的過ぎる。もっと普通の答えを書け」

「私にとってはそれがベストアンサーなのですが」


 北村の顔は大真面目だ。


「それに、最終的には自分でたどり着いたものこそが答えだと、先生が常日頃からおっしゃっているではありませんか」


 大きな瞳をきらめかせ、まっすぐに向けられる視線。 

 くそ、よく聞いてやがる。

 嬉しくもあるが、今後のために指導しておく。


「それはそれとして、だ。これは現代文のテスト。出題の意図をちゃんと汲み取れ」

「分かりました」


 素直でよろしい。

 ……とは、まだ言ってやれない。


「次。大問2の文章問題」


 幸福、懸念、労働。

 これら三つの単語で文章を作る問題である。


 北村の答えはこれ。


【私にとっての幸福は、飯島先生とともに人生を歩むことです。それにおいて懸念される問題点はひとつもなく、あるとすれば、飯島先生を支えるために労働をし過ぎたあまり、飯島先生との時間を作れなくなる可能性くらいです】


「? ちゃんと赤丸がついてますよ」

「一応、正答ではあるからな」

「じゃあ、どうして」


 問題児は怪訝そうに眉をひそめた。


「職員室でとなりの席の谷川先生に見られて大変だったからだ」


 谷川先生。

 生徒たちから慕われる、数学の美人教師である。


「ちゃんと受け止めてあげなよ、だの、応援してる、だの……散々だったんだからな!」


 それはもうアホみたいにからかってくるんだ、あの人。

 センシティブな問題なのに声でかいし。


「すみません。まあ、彼女には私と先生の関係を取り持ってもらうようにお願いしていますから」

「はあ!?」


 まさかの共犯。


「数学のテストで好成績だからって気に入られちゃいまして」

「そんな……」


 そんなことでひいきしちゃうとは。

 しかも、教師と生徒の恋愛を助長してしまうとは。


「どうかしてるぞ、お前ら……」

「そんなに頭を抱えないでください」


 頭を抱える要因の当人が言うな。


「安心してください。先生と私が結ばれる確率は、1億パーセントです!」


 数学が得意なヤツからは聞けなさそうな、バカみたいなセリフだ。

 

「……まあいい。現代文のテストも、何だかんだでほぼ学年トップだからな」


 だから、それだけなら補習の必要はなかった。

 真の本題はここから。


「それで、北村」


 俺は解答用紙を裏返す。


「その、これの件なんだが……」


 さすがに俺も、切り出しにくい。

 

 解答用紙の裏に書かれていたのは、北村の気持ち。


 綴られていたのは、担任であり、現代文担当教員である、どこかの誰かへの好意。

 端的に言えば、それは”ラブレター”だった。


 こんな俺でも、多少なりとも恋愛経験をしてきたつもりではいる。


 ここまでされれば、それが自分へ対するものであると気付かないフリも、彼女の気持ちを無下にすることもできなかった。


「その、あれだ。えっと……」


 とか言いつつ、まったく慣れねえな、俺。


「先生」


 しどろもどろになっていると、北村が。


「困らせてしまって、すみません」


 今までとはうってかわって。

 どこか悲しそうな顔でふっと微笑んだ。


「私、分かってます。先生がたくさん、考えてくれてるってこと」


「私のことも、みんなのことも」


「今だけじゃなくて、将来のことだって」


 北村は視線を落とし、ぽつり、ぽつりと続ける。


「だからこそ、私がこんなだから困らせちゃってるって」


「でも、私も困ってるんですよ?」


「だって、私、それでも先生のこと……」


 北村の目からこぼれた涙が、彼女の頬を滑り、机上にぽたぽたと落ちていく。


「強めの口調でも、いつも愛情をもって教えてくれる先生が、好き」


「一人になりがちな私でも、居心地の良いクラスにしようとしてくれる先生が、好き」


「分かりませんって、何度聞いても、分かるまで教えてくれるあなたが……どうしようもなく、好き」


 彼女は涙でぼろぼろになりながらも、思いの丈を語ってくれた。


「北村……」

「え、えへへ……言っちゃいました、全部」


 ハンカチで涙をぬぐい、笑顔を作る北村。


「分かってますよ、先生が次に言うこと。こう見えて、頭は良い方ですか——」

「北村、聞いてくれ」


 思わず声に力がこもり、北村を戸惑わせてしまう。


「悪いな、遮って」

「いえ」


 でも——


「どうしても聞いて欲しいんだ」


 俺はまっすぐに彼女を見つめた。

 北村がそうしたように。


「まず北村の気持ちは、確かに受け取った。……ありがとう」


 できる限りの優しい笑顔で告げる。


「ただ、北村の気持ちに答えることはできない。君のことは、生徒として見ているからだ」


 俺の言葉に、北村はうつむき、くちびるを引き結ぶ。


「でもな。それは俺の事情だ」

「……?」


 言うと、彼女は不思議そうに顔を上げる。

 

「諦めろ——とか言って、無理やりに大人になって欲しいだなんて、俺は思わない」


 そうだ。

 だって誰かを好きになるということは、尊いことだからだ。


「せっかく生まれたその気持ちを、ないがしろにする必要はないよ」

「じゃ、じゃあ、先生を好きなままでもいいんですか……?」


 北村の目に鈍く星が光る。


「勝手にしなさい。ただし」

「ただし?」

「これから君は、たくさんの人と出会うだろう。俺よりもずっと素敵で、趣味も合って、いっしょに居て心地良さを覚えるような人たちと」


 きっと、そうだ。

 いや、そうであって欲しい。


 なぜなら彼女は、大切な、俺の教え子だからだ。


「そういう人たちともしっかり向き合って、そしていつか、俺を先生としてではなく、一人の人間として見れる日が来た時……北村がどう思うか、なんだよ」


 北村は俺の話を、これまで以上に真剣な表情で聞いている。


「いいところも悪いところもひっくるめて、君が、『この人がいい』と思える人を選んで欲しい。君の人生の主導権を、握って放すな」

「……はい」


 彼女はどこか満足したかのように、微笑んだ。






「それじゃあ、今日の補習はこれで終わりだ。気をつけて帰りなさい」


 北村を背に、教室の戸締りの準備を始める。


「先生、最後に質問いいですか?」

「ん、なんだ」


 手を止めて、愛すべき教え子を振り返る。


「先生の好きなタイプ、教えてください」

「はは、なんだそりゃ」


 まったく、この期に及んで。

 まあいい。答えてやる。


「俺は、強い女性が好きだな。特に目標に向かって勉強とか頑張れるタイプの子が好きだ。つい結婚したくなっちまうレベルで好き」

「ふ、ふふふ……」


 北村がこの日一番の笑顔を見せる。

 くったくのない、最高の笑顔だ。


「なにか、おかしかったか?」

「いいえ。……先生って、やっぱりずるいです」


 ああ、そうだ。

 俺はずるい。


 でも、君が幸せになれるなら、このくらいのずるはするさ。


「では、先生。今日もありがとうございました」

「おう」


 一礼した北村は、教室を出て歩き出した。


「北村、宿題を出すのを忘れていた」


 見送る背に、つい、声をかける。

 北村が足を止め、振り返る。


「幸せになれ」


 それを聞いた愛しき教え子は、さっきまで泣いていたのがウソみたいな笑顔で言った。


「先生の宿題なら、喜んで。……答え合わせ、ちゃんと、付き合ってくださいね」

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