肆
可畏が姿を消して八日の後の事だった。
鬼の毒気が屋敷中に満ちた。血の匂いが漂い、誰しもが可畏が贄を喰ったのだと理解しただろう。
牡丹が幼い頃に感じた鬼の毒気そのものだった。
◇
羅刹鬼が贄を喰らった事により、護法は継続されたかに思われた。しかし、『鬼の食事』が終わって一ヶ月が経とう言うのに、不知火の屋敷は今も毒気が強まったままである。護法の柱である可畏も未だ人前に姿を表さない。
毒気は精神を蝕み、体力を奪う。異常な空気に屋敷中が覆われる中、牡丹だけが冷静だった。
牡丹は待っていた。好機が来るその時を――。
◆◇◆◇◆
それからまた、二ヶ月が経とうとしていた。
牡丹は朝の目覚めと共にとある方角をじいっと認めた。かと思えば颯爽と動き出す。寝巻きを脱ぎ捨て着替えると、一目散に部屋から出た。
――ああ、今日も毒気が強い
不知火は相変わらず毒気が満ちたままだった。毒気を浴び続けた者達の殆どが、まともに立ち上がる事が出来ない状態と言っても良い。下手に邪気への耐性もあるものだから、死ぬのも容易ではなく苦しみばかりが続く。死屍累々の無法地帯。その中を牡丹だけが優雅に歩いていた。牡丹だけが鬼の毒気をものともしていなかった。可畏と出会った日もそうだ。皆が苦しみもがいて部屋に籠る中、牡丹だけが日がな一日を何事もなく過ごした。邪気をどれだけ受け入れても直、満たされる事のない器。牡丹は、どうやっても可畏が望む贄にはなり得なかったのだ。
◇
牡丹が向かった先は、不知火当主の部屋だった。部屋は、暗い。まだ昼間だと言うのに、当主の部屋は窓すら無く、蝋燭の明かり一本すら灯ってはいなかった。牡丹は侵入したその部屋の暗闇の奥をじいっと見つめる。そこに、確かに一人いるのだ。
「……牡丹か」
その病み色に染まった部屋の奥からは、嗄れて息も絶え絶えの声が響いた。
「お久しぶりです。
牡丹は老体に鞭打つようにつらつらと話した。声色こそ落ち着いていたが、嬉々とした心根は嫌でも伝わるだろう。それが、男――当主の腹に据えかねた。しかし、もう怒声を吐き出す力は無く、ようやっと喉の奥から言葉を押し出していた。
「……何しに来た」
牡丹は声がする方へと、ゆっくりと近づいた。
「私、子供の頃から欲しいものがあったんです。でも、もう我慢しなくて良いですよね」
暗闇の中。力無く床に伏す当主の側へと辿り着いた牡丹は、鮮やかな花が咲き誇るような満面の笑みを浮かべていた。
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