不知火家は、鬼すらも喰らう一族であるといわれがある。邪気を喰らい、鬼を喰らい、化生けしょうを喰う。そうやって、人とは違う力を手に入れてきた。それ故に、不知火が邪気祓において高名であるにも関わらず、謂れの恐ろしさが人を遠ざけた。異形を喰らうその身は、邪気を振り撒くと恐れられているからだ。だがそれ以上に、不知火という存在を遠ざける理由がある。その一つとして、不知火が『鬼を飼う』家でもあるからだった。


 ◇


「うっ……」


 くぐもった声が、牡丹から漏れた。蝋燭の灯りで薄ぼんやりとした部屋の中。空気は重く、どんよりと。蝋燭は円の形で置かれ、一見儀式の様相。その中心に牡丹はいた。今にも崩れ落ちそうな姿勢で座り込み、痛みに耐えるように顔は怪訝に曇る。牡丹を取り囲むのは、綿布をした水干すいかん姿の者達。牡丹を見下ろす視線は綿布の下に隠れて、心中は不明瞭だ。一人、また一人と牡丹の背に手を当てて、牡丹が病を治した時と同様に黒い邪気が水干姿の者達から牡丹へとずるずると移動して行く。その度に、牡丹は絶えずくぐもった呻き声が漏れていた。


 その姿を、鬼――可畏かいは部屋の出口の横で遠巻きに見つめるだけたった。鬼の姿で、佇む姿は異形そのもの。だが、紅い目は鋭くも牡丹から視線を外さない。

 その瞳は何を思うか。ただ、無言で見つめるばかりだった。


 漸く、最後の一人が終わると、途端に蝋燭の火は消える。薄暗い部屋の空気はどんよりと重暗かったが、牡丹がふうと息づくと、空気は微風にでも流されたかのように澄んでいく。しかし、牡丹はその場から直ぐには動けないのか、蹲ったままだった。

 そんな牡丹を放って、囲っていた者達は次々に出口へと足を向ける。が、出口で待ち構える可畏かいの姿を一目見ると、目を合わせないように、そそくさと部屋を出て行った。それらの気配が遠のいて、漸く可畏は動いた。ゆっくりと牡丹に近づいて、しかしニタリと面白がるような笑みを浮かべる姿で牡丹へと問いかける。


「牡丹、立てないのか?」


 嫌味な口ぶりに聞こえたのだろう。牡丹は素っ気なく返すだけだった。

 

「別に待ってなくて良いのよ」


 明朗とは言い難い。それでも不調を思わせない口達者なそれに、可畏はくぐもって笑った。

 

「強がるなぁ、運んでやろうか」

「要らないわ」

「遠慮するなって」


 抵抗する力も無い牡丹は可畏にされるがまま。ひょいと持ち抱えられて、だからと言って、暴れてまで降りる気力も無いのか、何をする様子も無い。大人しく抱えられたままの牡丹の姿を可畏はじっとりと眺めた後、漸く歩き始めた。


「次は湯殿ゆどのだろ。動けないなら洗ってやるぞ」

「結構よ」

「遠慮しなくても良いぞ」

「嫌よ、あなたずっと見てるし、余計なところを触るじゃない」

「当たり前だ。何の為に洗ってやると思ってるんだ」


 そんな、悠長な会話を繰り広げながら、儀式の間を抜け出した可畏の足は別棟にある湯殿へと向かった。檜の浴槽には湯が張られ、湯気が視界を奪う。浴槽の淵に牡丹を下ろすと、本当に手伝おうとしているのか可畏の手が帯へと伸びる。だが、牡丹は漸く身体が動くようになったのか、ぺちんと可畏の手をはたく。加えて、犬猫をあしらうように、しっしと手を払って見せた。


「何だよ、元気になっちまったのか」

「えぇ。手は必要無いわ」

「つまんねぇなぁ」


 だらりとした態度であっさりと諦めて、可畏は湯殿の外に出た。そのまま、湯殿の入り口扉に背をつけて、そこからは一歩も動かない。牡丹の前で見せていただらりとした姿は消えて、表情の無い冷たい異形の姿に誰も湯殿へと近づけなかった。


 そうして、四半刻もすると牡丹は扉の隙間からひょこりと顔を出した。そこに、可畏がいると知っているかのような――しかし特に表情に変化の無い顔は湯でほてり、紅梅色に染まる。濡れた髪が牡丹の色香を助長して、待ちぼうけていた筈の可畏はにたりと笑って牡丹の濡れた髪を撫でた。


「はあ、今夜喰っちまうか」


 艶めかしく熱い息を吐きながら、不穏な事を口走る。しかし牡丹は意に介していない様子で、「出来るものなら、お好きにどうぞ」と軽口に返すだけだった。


 ◇


「ねえ、私はいつ食べ頃になるのかしら」


 自室に戻り、寝衣ねまきに着替えた牡丹がポツリと言った。その目は、憂いを帯びて怯えてでもいるのかと思えば――そんな事は無い。悠々と書物に目を落として、可畏の姿すら見てはいなかった。問いかけられた可畏はというと、牡丹の膝に枕にして、ご満悦の様子である。


「まだだなぁ。美味そうなんだけどなぁ」


 と、まるで明日の夕食でも決めかねているかのように答える。しかし、ふつと何か思うところがあったのか、可畏の頭上で視界を埋めていた書物を牡丹から奪い取った。


「何かあったか?」

「いいえ、は十五、六歳だと聞いていたものだから」

「幾つになった」

「十八よ」

「なんだまだガキじゃねぇか」

「世間一般ではお嫁に行ってもおかしくない年頃よ」


 牡丹は可畏に奪われた書物を取り返そうとするも、可畏に阻まれる。可畏は身体を横にしながらも、下から牡丹を鋭く見やった。

 

「嫁に行きたい相手でもいるのか」

「当主様が贄の私を行かせるわけないじゃない」

「そりゃいるって話か」

「いないわよ。私の死に場所はもう決まっているもの」


 牡丹の言葉に、可畏は何も返さなかった。しかし、目線は牡丹を見つめたまま。だからか、牡丹はもう一度、可畏へ「ねえ」と、問いかけた。


「いつ、私を食べるの?」

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