DIVA〜歌姫は奏でる〜

入江 涼子

第1話

 あたしはとある国の王都の片隅にある飲み屋で歌い手をやっていた。


 と言っても、こちらに居着くようになったのは3年くらい前だが。それより前は方方を流離さすらっていた。要は定住の地を持っていなかったのだ。けど、3年前にこちらの店主に「お前さんさえ良かったら、家に来ないか?」と誘われて。そのまま、居候している。

 だが、タダ飯食らいはダメだと思う。なので、店の手伝いを朝から昼間にやり、夕方から夜は竪琴を奏でながら歌を披露していた。ちなみに、店主には奥さんと可愛い娘さんがいる。3人共、あたしには親切だ。


「……ディーバ、今日も歌うのか?」


「うん、住まわせてもらっている以上はせめてと思ってね」


「まあ、お前さんが歌いたいなら構わんが。ディーバの歌は客達に人気があるしなあ」


 そう言って快活に店主もとい、旦那は笑う。傍らにいる奥さんと娘のジュエルもにっこりと笑った。


「そうね、ディーちゃんの歌声は不思議と元気をくれるからね」


「うん、姉ちゃんの歌と竪琴は一級品よ!」


「ありがとう、旦那に女将さんにジュエルちゃんも。張り切って歌わないとね」


 あたしは答えながら、店内の片隅にある椅子に腰掛けた。竪琴を構え、おもむろに演奏を始めたのだった。


 夕方になり、男性客や女性客の姿がまばらに見え始める。

 あたしはまず、短めのしっとりした曲を歌う。確か、「異郷」と言う名の曲だったか。これは幼い頃、実母に習った。


 ♪人は旅をする


 当てもなく流離う


 ただ、砂塵の風が私の頬を撫でていく


 ああ、私はどこに行くのか


 それは誰にも分からない


 歩き続けるだけだ


 誰か、私を見つけて


 願いながら、私は空を見上げた


 竪琴をかき鳴らしながら、一曲目を終えた。男性や女性達がパチパチと拍手をする。中には涙ぐむ客もいた。


「うん、やはりディーバの声は素晴らしい。何とも哀愁漂うのに、どこか懐かしくもあるな」


「本当に、この歌は悲しいけど。胸に迫るものがあるわ」


 口々に客は感想を告げる。あたしはお返しにと立ち上がり、深々とお辞儀をした。二曲目に入ったのだった。


 夜も更けていき、旦那や女将さんはあたしに遅い夕食と飲み物を持って来てくれた。早速、夕食である豚肉の香草焼き、黒パンの薄切り、コンソメスープを食べる。あー、胃袋にしみる。豚肉の香草焼きもスープも凄く美味しくて。やはり、旦那や女将さんの料理は絶品ね。

 そう思いながら、食べ進めていたら。不意に1人の背が高い男性が近づいて来た。 


「……君が噂のディーバか、素晴らしい声だった」


「それはどうも」


「私は君の声が気に入った、共に来ないか?」


「……はい?」


「君は我が屋敷にて歌ってくれるだけで良い、衣食住は保証するぞ!」


 あたしは固まった。一体、何だ?


「……おい、兄ちゃん。家の歌姫に何の用だ?」


「あんたが店主か、なら話は早い。ディーバを我が屋敷に連れて行きたいんだが」


「は?俺はあんたの素性は何にも知らん。だというのに、いきなり何なんだ!」


 旦那は訝しむ表情をする。男性はよく見たら、凄く綺麗な顔をしていた。身なりも上品な感じだしな。もしや、凄くやんごとなき身分の方ではないか?!

 けど、なるべくなら関わりたくない。あたしはこの客の応対を旦那に任せて夕食をかきこんだ。


 翌日、またあたしは店で竪琴を手に歌を披露していた。

 5〜6曲程を歌い、そろそろ引っ込もうとしたら。昨夜の男性がこちらにやって来た。

 やはり、短く切り揃えた黄金のまっすぐな髪に淡い翡翠の瞳。さらに、高い背丈にガッチリとした逞しい体格が目を引いた。この人、もしや騎士か何かをやっていそうだ。

 ましてや、これだけの美貌を持ち合わせている。あたしは考える内に空恐ろしくなった。えーん、やっぱり関わり合いにはなりたくないよ!!


「ディーバ、昨夜はすまなかった」


「あー、あたしはそんなに気にしていません。むしろ、無視してすみませんでした」


「いや、私と君はほぼ初対面だったしな。まずは名乗ってから言うべきだった」


「はあ」


「私は名をユーリス・ソアレルと言う。一応、公爵家の嫡男だ」


 あたしは耳を疑った。は?!公爵家って。滅茶苦茶、高貴な身分の方じゃないのさ!!

 内心で動揺しながらも営業用の表情を作る。


「わざわざ、実名をどうも。あたしはこのお店の歌い手兼売り子のディーバ。ちなみに、実名はあるんだけど。ご贔屓さんにしか、教えていません」


「分かった、ディーバ。実名を教えてもらえるようになるまでは。通わせてもらうよ」


「……はい?!」


 あたしが驚きのあまり、素っ頓狂な声を出したら。男性もとい、ソアレル公爵令息は爽やかな笑顔を浮かべる。


「今日は自己紹介で満足しておくよ、明日もまた来るから」


「はあ」


 あたしが素っ気なく言っても、公爵令息は嬉しそうにした。彼はそのまま、店を後にしたのだった。


 あれから、早いもので1年が経っていた。未だにソアレル様はお店に通い詰めている。あたしは彼が「どうか、屋敷に来てほしい」と願うたびに、断り続けていた。また、来るたびに花やらお菓子やらを持って来る。それも最初は固辞していた。

 けど、旦那や女将さん、ジュエルちゃんも「坊っちゃんが可哀想だしね、受け取るくらいはやってあげなよ」と言って来てさ。仕方なく、言われてからは受け取るだけはしていた。お礼は言っていたが。

 今日もソアレル様がやって来た。あたしはそろそろ、この国から他国に行きたくなっていた。またぞろ、放浪癖が首をもたげてきている。


「やあ、ディーバ。今日の歌も良かったよ」


「はあ、毎日来てくださるのはいいんだけど。よく、飽きませんね」


「そりゃあ、君を本気で口説きに来ているからな」


 ソアレル様はにっこりと笑う。


「え、口説きにですか。それ、人前で言っちゃっていいの?」


「私は気にしていないよ、ディーバ」


 ソアレル様は真面目な表情になった。そして、おもむろにあたしの前に跪いた。


「……ディーバ、私は生涯君だけを妻とする。婚約してくれないか?」


「……はあ、参りましたね。分かりました、ソアレル様」


「まずは私をユーリスと呼んでくれ、ディー」


 あたしはひたすらに乞い願いう眼差しを向ける彼に根負けする。ため息をつきながらも片手を差し出すソアレル様ことユーリス様に頷く。彼の手を両手で包み込むように握った。 


「ユーリス様、あたしはこの通り平民です。それでも、あなたはあたしを求めた。これからはあなたの為に生きていきます」


「ありがとう、ディー。そろそろ、君の実名を教えてくれ」


「……あたしは母さんから、コレットと呼ばれていました。だから、そう呼んでください」


「ふむ、コレットか。相わかった」


「ユーリス様?」


 あたしが首を傾げたら。ユーリス様はニッと笑う。


「やはり、噂通りだったな。実は隣国の公爵令嬢がある平民の若者と駆け落ちして。彼女は一人娘を産み落とした。その娘は母君譲りの銀糸の髪、父君譲りの淡い藍の瞳が美しいと。君を見た時、一目で分かったよ」


「な、最初からあたしの素性が分かっていたの?!」


「ああ、隠していてすまなかった。けど、これで君の祖父君や祖母君に報告ができる」


 ユーリス様はにこやかに笑う。あたしを抱きしめたのだった。


 その後、あたしは本当に母方の祖父や祖母に会わせてもらえた。実は祖父母は母さんが駆け落ちをした後もあたしの行方を探し続けていたらしい。そして、長年の友人であったソアレル公爵閣下もとい、ユーリス様のお祖父様も秘かに協力していたとかで。やっと、母さんが亡くなってから十年余り経って娘のあたしが見つかった。

 祖父母と再会した当初、2人は涙を流しながらあたしを出迎えた。


「ああ、あなたがコレットね。娘のケリーにそっくりだわ」


「うむ、よくぞ元気でいてくれた。これからは儂や妻のクリスティアと3人で一緒に暮らそう」


「分かりました」


 祖父もとい、ノルディン公爵様と奥方のクリスティア様はそう言った。こうして、あたしはノルディン公爵夫妻の養女になったのだった。


 3年後にあたしはコレット・ノルディン公爵令嬢として、ユーリス・ソアレル公爵令息と結婚した。あたしが20歳、ユーリス様は24歳になっている。

 婚儀や初夜も無事に終わった。新婚ほやほやだ。ユーリス様は忙しい中でもあたしとの時間をなるべく、取ってくれている。


「コレット、今日は庭園を散策しよう」


「そうね、そうしましょう」


 頷いてあたしは立ち上がった。ユーリス様と2人でゆっくりと庭園に向かう。


 もう、季節は初冬になっていた。早いものでユーリス様と結婚して半年が過ぎている。

 あたしは彼と手を繋ぎながら、庭園を散策した。途中にある東屋に行き、隣り合って座る。


「ユーリス様、ちょっと。伝えたい事があるの、いいかしら?」


「いきなり、どうしたんだ?」


「……あの、あたしね。最近、体調が優れなくて。それでお医者様に診てもらったのよ」


「え、体調が優れない?大変じゃないか」


「ま、まあ。落ち着いてね。お医者様によると、おめでたとか言ってたわね」


 それとなく言ったが、ユーリス様は驚きのあまりに固まった。少し経って彼は慌て出す。


「え、おめでた?!」


「うん、あたしのお腹の中に赤ちゃんがいるんだってさ。要は妊娠してるって」


「……そ、そうか!けど、今は寒いしな。もう、中に戻ろう!」


 ユーリス様はそう言ってあたしを立ち上がらせる。


「ちょっと、失礼するよ」


 彼はあたしの背中や膝裏に両手を回す。気がついたら、横抱きにされていた。


「ユ、ユーリス様?!」


「さ、屋敷に戻ろう。身体を冷やしたら大事だ!」


 ユーリス様はきっぱりと言った。仕方なく、暴れないようにしながら大人しくしていたのだった。


 ――END――


 


 

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