組織の宿敵と結婚したらめちゃ甘い(こともない)

有象利路

いい夫婦の日♡ ~義兄による新機軸イビり~

 今日は11月22日。そのまんまの語呂合わせでいい夫婦の日と呼ばれている。

 といっても別段、その日に何か祝うわけではない。

 11月はそもそも、俺達の結婚記念日が別日に存在するからだ。


 で、その結婚記念日についてはゴタゴタがあったものの、俺達夫婦はきちんと愛を深めることに成功している。

 なのでせいぜい「いい日だね~」ぐらいの感想をお互い言い合うぐらいの、なんでもない一日で終わるはず、だったのだが――


「いい夫婦の日と掛けまして、ジブンら夫妻と説く。その心は?」


 俺こと犀川狼士と、その嫁である律花は、眼の前の金髪作務衣関西弁糸目男……通称バカキン(バカ金髪)こと柳良虎地お義兄さんの襲来を受けていた。

 お義兄さん、とあることから、この人は俺の義理の兄にあたる。

 当然、俺との仲は良好……ではない。まあ険悪ってほどでもないが……。


「帰ってくれませんか?」


 正直に俺はそう告げた。お義兄さんは普段からテンションがやたらと高く、その上で律花ラブの重度のシスコンであり、そして俺をイビることを終生の趣味としている。そんな趣味ある?


「ブッブー! 何の心もないやんけその返答は! 追試じゃ!!」

「赤点でいいんで帰ってくれませんか?」

「ほな律、お前の答えは?」

「えー……。ラブラブ?」


「――模試やな」


「どういう意味なんすか」

「なんなのお兄ちゃん……」


 そもそも点数をつける尺度に追試だの模試だので表現しないで欲しい。

 お義兄さんは律花のことを愛しているが、じゃあ律花の言うことは何でも聞くのかと言うと別にそんなこともなく、律花が「帰ってよ」と言ってもガン無視している。


 もしかしたらこの人の脳内辞書に「帰る」という単語と、それに類する熟語とかは存在していないのかもしれない。じゃあもう死ねって言うしかなくない?


「ボクはなぁ、常に目ェ光らせとんねん。お前ら夫婦がホンマに心が通じ合っとるんか、それを都度確認せな気が済まへんのや。だってそうやろ? ただでさえ身体で通じ合っとらんねんから、そんで心まで離れとったら……ホルァァ!!」


 バァン! と、お義兄さんは机の上に何かの用紙を叩き付けた。

 随分と記入欄が小さくて細かい、ザ・役所の書式であるそいつの名前は――



「離婚届や!!!」



「いい夫婦の日に持ち出すなそんなもん!!」

「もう最悪……」


「ええか!? 今からお前ら二人には、ボクが出題するクイズに答えてもらう!! クイズの中身はシンプルに、お前ら夫婦に関することだけや! やけどそこでお前らの解答が一致せんかった場合、ちょっとずつボクが代筆でこの離婚届を埋めていくからな!? 筆跡も真似た上でや!!」

「歴史上聞いたことのない脅しだ……」

「はあ……」


 呆れ返っている律花は、もう兄を叱る気力もないようだ。

 恐らくこの人の脳内辞書に「やめる」という単語と、それに類する熟語とかは存在していないのかもしれない。じゃあもう殺すぞって言うしかなくない?


「安心せえ。黒のボールペンやなく万年筆で書いたる」

「それ普通に有効なので何一つ安心材料にはならないですね」

「ごめんねろうくん。あとであの紙燃やしておくから」

「燃やすべきは離婚届ではないんじゃないか……?」


 もうこのバカキンそのものを燃やして欲しい。二度と余計なことしないように。

 まあ、お義兄さんの抜き打ちチェックは今に始まったことではない。

 そしてそのチェックを拒むことは、少なくとも俺には許されない。

 一応、そんな感じの約束を、俺は結婚の許可を得る際にこの人と結んでしまっている。


 しかし、あんなもの方便と思っていたけど、この人はガチで定期的に俺達夫婦の様子を見に来るんだよな……。

 多分、姑ってこんな感じなんだろうな……。


「お兄ちゃん。結婚して一周年とちょっと経った夫婦に、離婚届を見せるってどうかしてると思わないの?」

「思わんな~」

「でしょうね」


「こんな紙切れ一枚で気分悪なるんなら、所詮その程度っちゅうこっちゃ。ホンマにお前らがラブラブなら、こんなもん鼻で笑ったらええやないか。それとも、律はビビっとんか?」

「むっ。別に、ビビってなんてないけど?」

(あっ……これもう挑発に乗るやつだわ)


 流石は兄と言うべきか、お義兄さんは律花の扱いに長けている。

 なので俺はもうこの後の展開が予見出来てしまった。


「ほんだらクイズぐらい軽く答えたらんかい! ほんで全問正解さしてこんな紙切れ破り捨てえ!! 夫婦の絆はこんな紙切れに負けへんのじゃ!! 見せたれ!!」

「いいよ見せたげるよ!! 早く問題出して!!」

「ええー……」


 俺を丸め込むことも出来るが、律花を焚き付ければ俺も自動的に追随することになるので、そっちの方が手っ取り早い。

 ……ということをこのバカキンは分かっているのだ。

 性格が悪い上に頭の回転が早い。

 ああ神よ、義兄に余計な能力を与えないでくれませんか。


「ろうくん! ちゃっちゃと片付けるよ!」

「実はクイズやりたかったのか、律花……?」

「早速の第一問!! 『律が一番嫌いなんは?』 はいスタート!!」


 もう抵抗しても無意味だ。クイズが始まってしまった。

 あー、こういう形式のクイズね。俺と律花の解答を一致させなければならないってことは、相手のことをよく知っていなければならないということだ。

 律花は俺の、俺は律花の、互いの思考を読んだ上で、共通の解答を導き出す。


(確かに夫婦仲を調べるには丁度いいかもな。まあ、難易度としては大したことなんてないが)


 別に、俺達はお互いのことを知り尽くしているわけじゃない。

 俺はまだ律花に明かしていないこともあるし、律花だって大なり小なりそういう秘密を抱えているだろう。

 だが――好き嫌いとかそういうのなら何の問題もない。余裕で分かる。


「なんや義弟。ニヤついてからに」

「別にニヤついてないです。お義兄さんこそ、何を書いてるんですか?」


 お義兄さんはメモ帳に何かを記載していた。

 俺達のチェックかと思ったが、多分違う。


「ボクの答えや。お前らは口頭で同時に解答を発表してもらうけど、ボクも律のことなら分かっとるつもりやからな」


 つまり、お義兄さんはお義兄さんとして『律花の一番嫌いなこと』を書いたのだろう。


「……もし、ろうくんがお兄ちゃんよりも間違いが多かったら?」



「死なすで」



「俺だけデスゲーム化するのやめてくれませんか?」

「でも、お兄ちゃんに負けちゃったら確かに……ね?」

「その死を肯定するのもやめてくれないか?」


 何なんだよこの兄妹は。見た目とか性格は全然似ていないけど、やっぱ根底に流れているものは同じだってのが微妙に分かったわ。

 とはいえ、律花からすれば旦那は兄よりも己の理解度が低いってのは嫌だろう。

 死なす云々はともかくとして、俺だってお義兄さんには負けたくない。


「ほな解答の発表や! せーので言えよ!? せーの!!」


「虫!」

「浮気」



 お義兄さんは無言で離婚届の妻側に記載を開始した。



「ちょっと、ろうくん!! なんで浮気とか言うの!?」

「だ、だって、律花も一番嫌だろ浮気は!?」

「わたしっていうか、みんな嫌でしょ浮気は! わたしが一番嫌いなものなのに!」

「え? 虫よりも浮気はマシってこと……?」

「そんな話はしてないし!」


「ええぞ……。もっと争え……。争うんや……」


 邪悪な笑みをお義兄さんは浮かべていた。この人の思うツボな展開だからだろう。


「一応確認ですが……お義兄さんの答えは?」


 俺がおずおずと訊ねると、お義兄さんは無言でメモ帳を俺達に開示した。

 そこには――『虫(特にゴキブリ)』とさらりと書かれている。


「律の常識やろこんなん」

「うぷッ……」


 俺の胃袋がバコンと暴れた。

 間違えたショックと義兄に負けたショックとその他ストレスのショックにより、ゲロを吐く半歩手前ぐらいまで来ている。喉元を偵察しに来ている。

 律花は俺の背中をさすさすとは……してくれない。


(まずいぞ……舐めていた。これ、意外とムズい……!!)


 まずもって、お義兄さんの出題がいやらしい。この人は関西出身でもないくせにバリバリの関西弁を操るから、『律が一番嫌いは?』という訊き方をした。

 俺はそれを『律花の一番嫌いな』と解釈したが、律花は『自分の一番嫌いな』と考えたから、解答にズレが生じたのだ。


 俺のミスとしては、律花が何を答えるのではなく、『質問をどう解釈したか』という視点が丸々抜け落ちていたことにある。

 しかし……この質問のクソさよ。お義兄さんはきっちり『律花の嫌いなもの』で考えている以上、恐らくは意図的なものだ。絶対律花は『嫌い』を『嫌いな』で考えると分かった上で仕掛けたのだ。


 だってこの人性格クッッッソ悪いから。100%わざとだわ。

 あー、ぶん殴りてえ。


(――いや、ぶん殴るべきは俺だ。己の浅慮を他人への怒りで埋め合わせるな)


 浮気も虫も律花は嫌いだ。だが、浮気なんて誰だって嫌いなのは当然で、この場合は虫を挙げる方が律花のパーソナリティに寄っている。

 完全に俺が馬鹿だった。

 こいつはガチでいかないと――俺は本当に死ぬべきだろう。


「ほな第二問! 『律は何で虫が嫌いなん?』 さあ考えろや!」

「なにその問題……」

(これは――解答が既に2パターンある……!!)


 素直に問題文を受け止めるのならば、『律花は虫が嫌いなのか?』となるので、恐らくは虫が嫌いになった原初のエピソードを挙げればいい。

 が、先程の関西弁と標準語のズレを鑑みるに、『律花は虫の嫌いなのか?』という解釈も出来なくはない。その場合は、虫の一番気色悪い部分を挙げる必要がある。


 どちらも俺は答えが分かっている。

 分かっているが、しかしそのどちらを律花が選ぶのかまでは読み切ることが出来ない。

 だって俺、別に関西弁のこととかよく分かってないし……!!


(何年も前からこの兄妹は兄が関西弁、妹は標準語で会話をしている以上、そこに傾向や癖のようなものがある! で、このバカキンはそれを熟知している! 俺は半々でしか解答を読みきれないが、恐らくこの人は律花がどっちの解釈をしたかが分かるんだ……!)


 わざわざ出題者であるお義兄さんが回答者として参加しているのは、俺との差を見せつけることによって俺を最大限イビるためだ。いっそ清々しいまである。


(傾向……そう、傾向だ。一問目、律花は『』を『』と捉えていた。比較的ストレートな解釈で、穿った見解はしていない。

 ということは、今回も王道的関西弁解釈の『何故』と捉える可能性が高い。

 つまり俺が答えるべきは、律花が何故虫嫌いかになったエピソード……『幼少期、夜中目を覚ましたら額の上を謎の虫が這い回っていた』というものになる!)


「さっさと巻いてくで~。せーの!!」


「きもいから」

「幼少期、律花が夜中目を覚ましたら額の上を謎の虫が這い回……」



!?



 え……?





!?!?




 いかん、思わずマガジンの不良漫画でよく見るアレを二度打ちしてしまった。


「そんな解答アリなのか!?」

「だって嫌いな理由とかシンプルじゃん」


 きもいから――なるほどな。

 確かに虫は全般的にきもいかもしれない。そりゃそうか。


「むしろなんでろうくんは、そんな昔話を挙げたわけ!? 長いし!」

「いや、嫌いな理由って、そういうエピソードかと思って……」

「アホか。クイズの答えもツッコミも、長文になったら冷めるやろがい」

「ぐ……ッ」


 また読み違えた。今度は律花の問題解釈自体は合っていたが、律花そのものの解答がどうなるかに思考のリソースを割いていなかった。

 いやむしろ、これは一つの傲慢と呼ぶべきか。


(『律花は俺と同じ答えを出すだろう』という思い込みが、俺の中にあった……!!)


 結婚しているから。ラブラブだから。夫婦だから。

 そんな理由だけで、解答までもが一致する可能性は高くない。


 むしろ律花は俺と性質的には真逆だ。

 センスと感覚、どこか超然とした部分があり、それを調和させて生きている。

 俺みたいにダラダラと脳内で思考をし、理屈や理論、根拠を前提として物事をあまり考えない。右に行きたければ右に行く、前に進みたければ前に進むタイプだ。


 俺は左に行くべきではないから右に行き、後ろから何かが来ているから前に進む。そういう考え方をしてしまう。

 故に『虫はきもいから虫はきもいんだよ、だから虫は嫌い。きもいから』という『律花ちゃん思考』を、俺は中々出来ない……!!


「お義兄さん――」

「ほれ」


 俺が促す前に、お義兄さんはメモ帳を見せてきた。

 そこには――『キモいから』と、一言一句違わぬ正解が記載されている……。


「おろろろろろろろろッ」



 吐いたわw(精一杯の抵抗)



「きゃーっ! ろうくん大丈夫!?」

「ゲロとか大したことあらへんわい。ボクとか律がオドレと二人で遊んでるって初めて知った時、その場で血反吐と血尿と血便と血涙出て緊急入院したからな?」


 ダメージ量でもマウントを取ってくる。お義兄さんは俺へ容赦がない。

 容赦がないから、俺が吐いて律花がその片付けをしているのを尻目に、カリカリと離婚届をしっかり埋めていた。


「律の部分は完成や……。残りは義弟の部分と印鑑やな。一回のミスで記入欄の半分くらい書けるから、つまりあと二回まではミスれるけど、三回ミスったらゲームオーバーやぞ」

「なんで離婚届がライフゲージみたいになってるんですか……」


 印鑑まで押されると離婚届が完成してしまう。

 普通に有印私文書偽造罪、提出までいくと同行使罪に該当するだろうから、むしろこのまま放置したら罪に問えるのではないか。


 そんなことを俺は思ったが、でも先に俺の心が壊れてしまうだろう。

 俺は律花への愛だけは誰にも負けたくない。

 それが律花の肉親であるお義兄さん相手だったとしても、だ。


(これ以上の敗北は、もう嘔吐ではすまない……!!)


 俺は洗面所で口をゆすいで、顔を洗って、気合を入れ直した。

 嫁への愛を証明するために。

 義兄に勝利するために。

 自分の愚かさに打ち克つために。


「来い……!! 第三問だ……!!」


「ろうくん、お兄ちゃん、そろそろお茶しよ? シュークリーム買ってあるから」

「ええやん! ほな終わろか。飽きたし」


「ふざけるなァァ――――――ッッ!!」


 敗北を刻まれた上に消化不良で終わらされる。

 それこそまさに最高のイビりであることに俺が気付いたのは、シュークリームを食べ終わってからだったことを付記しておく。



《おしまい》

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組織の宿敵と結婚したらめちゃ甘い(こともない) 有象利路 @toshmichi_uzo

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